こんにちは。

 

 大変ご無沙汰をしております。

 皆さまお変わりありませんか?

 令和初のお正月、いかがお過ごしでしょうか?

 

 2011年の東日本大震災の際には私の故郷・気仙沼である医療支援活動にご賛同、ご協力を賜り、ありがとうございました。ただの学生でしかなかった私にとって、皆さんからご支援頂いたことがどれだけ心強いものであったか...本当に感謝しております。あの時、皆様から頂いた言葉の数々は、私の人生を鼓舞する大切な宝物にさせて頂いております。

 

 あれから 8年9カ月、「私に何ができるのか...?」を考えさせられる日々でした。そして、私なりに...ない知恵を絞り(笑)、共に活動してくれた友人や皆さんから寄せられた思いを少しでも形として残し、伝えていく手段として、当時の活動の様子を学会で発表させて頂いたり、看護学生に授業をする機会を頂いております。おかげさまで気仙沼支援の活動を聴講した看護学生は今年、500名を超えました。

 また、当時世界中の方々から頂いた恩を少しでもお返しできれば...と、2015年ネパール地震、2016年熊本地震、平30年7月豪雨では岡山県・真備町、2019年5月・9月にはロヒンギャ難民キャンプに赴き、看護支援活動に従事させて頂きました。そして現在は大学院生として、被災地の自治体職員の方々にインタビューを重ねながら‘東日本大震災がもたらしたものは何なのか’私なりに探究し、学んでいる道半ばにおります。まだまだ皆さんから頂戴したお声に応えられるよう な者として成熟しておらず...忸怩たる思いではありますが、これからも多くの方々からのお力添えを頂きながら、 私なりに東日本大震災と向き合っていきたいと考えております。 

 

 さて、皆さまから頂戴した義援金に関する入出金清算書に関しまして、2011年 5 月 7 日に以下ブログ (https://ameblo.jp/chikaneekesennuma/entry-10884819807.html)にてご報告させて頂いておりましたが、最終的な報告に至っておりませんでした。改めてお詫びさせて頂くと共に、以下の通りご報告させて頂きます。ご支援くださった方の中で、更に詳細な出納について開示をご希望される方は、菅原(sienkesennuma@gmail.com)までご連絡頂ければ幸いです。 

 

 そして、この期に及んでではありますが...皆様にお願いがあります。 

 被災地では震災から8年が経ち、やっと...本当にやっと今、あの時の想いを他者に伝えられる形になってき た様に思います。「いつまで震災の事を言い続けるのか」という潮流があるのも事実ではありますが、もしお時間が出来ましたら...気仙沼と言わずどこでも構いません。皆さんがあの時、被災地に思いを寄せていただいた事がどれだけの被災地の人々の人生を・命を支えたのか。そして、あの悲惨な出来事を被災地の人々がどのように受け止め、この8年を生き抜いてきたのか...是非、被災地に足をお運び頂き、お感じ頂ける機会を作って 頂ければと思います。

 きっとそれこそが、ご支援いただいた方々への本当の御礼になると信じています。 

 

 そしていつの日か、戦争の悲劇を忘れない為に多くの人々が広島や長崎に行くように…

 千年に一度と言われる災害がどんなものだったのか...東日本大震災の被災地に足をお運び頂くことが、これから遭遇するかもしれない災害から命を守る為の術と、人間の真の強さを目の当たりにできる‘場’になっていくのではないかと考えております。

 

 「被災地を忘れないで欲しい」という思いから「災害から命を守る術を学べる場へ...」。 

 今後もほんの少しだけ...東日本大震災の被災地へ、想いを寄せていただければ幸いです。 

 

 

 最後になりますが、改めて皆さまからのご支援に心より感謝いたします。

 本当にありがとうございました。 

 

 

 

気仙沼支援発起人 菅原 千賀子

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。


五月下旬、、気仙沼市役所の仮設診療所を担当して下さっていた医師から連絡がきました。


「5月いっぱいで仮設診療所を閉めることになりました」と。


正直、ほっとしました。


私達のいないところで継続されていた仮設診療所。

現地の医療を圧迫していないか、なにか問題の火種になっていないかと…ずっと心配していました((+_+))


でも、ひとまず一応の任務を果たしたと考えられ…その任務を終了する事になって本当によかった…


閉じる際に、市役所の職員の方々から

「もう少し、ここに診療所をおいてほしい」

と要望が出たそうです。


最近は2回/週の午後のみの診療になっていたようですが、30名/day程度の受診者ニーズはあったとのこと。

そのほとんどが、市役所職員であったとのことでした。


まだ、市役所の方々は1回/週の休みをとるのがやっととのこと。


気仙沼は高齢者の町。

きっと、高齢者対応と田舎の町の復興をメインにやっていた行政にとって、今の復興支援業務は本当にとてつもない仕事となっているのだと思います。


その後、保健福祉部長さんからもお電話頂きました。

「あの診療所に何人の人が助けてもらったかわからない。お世話になった人達にくれぐれもよろしくお伝えください」

とのことでした。

保健福祉部長さんの話しでは、3人ぐらい重症の方がいたそうです。

一人の方は顔色が悪い為診療所の受診をすすめると血圧がとても高く、そのまま気仙沼市立病院へ緊急搬送。

ただちに心臓カテーテル検査となり、ステント留置となったようです。

(まぁ、心臓の重篤な疾患の予防ができたって話しです)

「あそこの診療所がなかったら、そんな病気の人を失っなってしまったかもしれない。そんな重症の人は、おれが知っているだけでも3人いる。きっと、実際にはもっと沢山の人があそこの診療所で助けてもらっている」とのことでした。



本当に、みなさんのおかげです。


みなさんの御支援がなければ、薬を持っていくことも仮設診療所を立ち上げることもできなかった…


みなさんの支援が、気仙沼の人達を救ってくださったのだと思います。


また、中学校の旧友にもお礼のメールを頂きました。

「疲労でなかなか治らなかった逆流性食道炎をなんどか市役所の仮設診療所で診療してもらった。本当に、あそこの診療所で助けてもたっら人は多いと思う。自分も、体調の悪い友人を紹介し感謝された。ありがとう」

という内容でした。


市役所に診療所を構えることを反対され、それでも

「ここには診療所が必要だ」

と、いつものように頑固に貫いて…(大きな組織の偉い人に言われる事に結構揺れたけど)良かったなぁと

今だから思えます(笑)


市役所の仮設診療所の閉鎖と共に、東京都医師会が統括していた気仙沼のDMATも店じまいを始めたようです。


現地で、同じく気仙沼出身の医療者として私達より早く現地に入り医療支援を展開していた聖マリアンナ医大の小野寺英孝先生がいます。

私達のチームに医師がいない時、助けてくれ光が丘病院の有熱者患者搬送の中心となった人です。

彼は、いち早く故郷気仙沼に赴きDMATのメンバーとして活動を開始。

聖マリアンナ医大全体を巻き込み、2ヶ月半に及ぶ気仙沼継続支援をやりやがりました。


これはむちゃくちゃすごいことです。

一つの大学病院が、一人の医師の故郷の災害支援の為に2ヶ月半にも渡って医療班を継続投入するっていうのは、普通ではありえません。


皆さんの会社で、被災地の業務の手伝いに2ヶ月半継続して人員を送り込むってあり得ますか?しかも、同職種といえども関係ない会社です。ありえないでしょ?


彼は、その熱意でそのありえないことをやらかしちゃったんです。

そして、それが実現できたのは彼の今までの働き方なのだと思います。


もちろん、上司や環境に恵まれていたのかもしれないけど、それだけじゃない彼の人柄なのだと思います。


そんなどえらいことをやった彼が、映画になりました。(@_@;)(笑)

くまさんみたいなんですが。


無常素描 http://a-shibuya.jp/archives/517


と言うそうです。

私もまだ見ていませんが、私達が見た気仙沼が映っているそうです。


入場料は、一部義援金になるそうです。


ご興味ある方は、是非。












こんにちは。ちょっと本業が動き出しつつあり…御無沙汰いたしました。

東京は梅雨。

雨はちょっと憂鬱になりますね~ (。>0<。)



さて、今回少し時間を置かせていただきましたのは今回の運用に対しての皆さんのご意見を伺いたいという意図もありました。


この提示をさせていただいてから4名の方からご意見を頂戴し、その4名の方々と直接お話しさせていただきました。

結果、3名の方からご賛同をいただきました。また、うちおひとりの方からは思慮深いご提案をいただきました。



この場をお借りしまして重ねて御礼申し上げます。



この間、たくさんの方々から賛同のご意見をいただきました。

このブログのコメントでも、賛同の意思を綴って頂いた方もいらっしゃいますが、その他に頂いたメッセージの一部をご紹介させていただきます。



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義援金の件、ブログを拝見致しました。私としては、今回の義援金は菅原様に託したものですので、悩まれて決断された方向に使って頂ければ良いです。薄く広い援助は国や大きな団体に任せて、厚い(熱い)援助を目の前で頑張っている方々に届けるのは『義』に反しないと思います。余り悩まずに前進して頂ければ幸いです。

K様


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「気楽会」への援助、もちろん賛成です。子供たち、そして子供たちを見守る大人達、少しでも皆に笑顔になってほしいです。今の厳しい状況の中で、“元気を出そう”と、色々企画し頑張っている皆さんを応援できれば、こんなに嬉しいことはないです。私は、気仙沼に近い仙台に居ながら、何をしたらいいのかわからず、何もできず、情けない思いでいっぱいです。千賀子の活動と故郷への思い、そして今回の提案に、とても救われる思いです。連休にようやく気仙沼に行くことができました。写真やテレビからではわからない、変わり果てた故郷を目の当たりにし、衝撃を受けました。“復興”という言葉とはあまりにもかけ離れ、ただただ呆然とするばかりでした。同級生が二名亡くなったことも知りました。「チーム菅原」が支援に入った時はもっともっと大変な状況だったんでしょうね。想像を絶します。改めて、尊敬と感謝です。「チーム菅原」のメンバーの方々のコメントをブログで読んでいると“菅原姉さん”の人柄と行動力と医療従事者としての思い等、伝わってきます。とても大変な仕事と思いますが、これからも頑張ってくださいね。

N様


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残りの義援金の用途については、とてもいいと思います!現地で盛り上げる人たちを応援するのも大事ですよね。そこから笑顔が広がっていくはずですからね。

S様


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メールありがとうございます。支援活動お疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。微々たる額しか寄付できなくて、その上このようなご丁寧なご連絡までいただき、申し訳なかったのですが、自分も支援に少し関わっている気持ちになれました。本当にありがとうございました。 メールを拝見し、ブログを確認いたしました。結構な額が集まったのですね。驚きました。ご提案の件ですが、もちろん問題ありません。私は気仙沼のほかに、山田町にも小額を寄付したのですが、そちらも同様のまちおこし系の組織でした。直接緊急支援はあくまでも初動時ですので、今後はこのような活性化が大事ですよね。少しでもこれからの町の再興に役にたつのであれば大賛成です。 今回、菅原さんのところに寄付をさせていただいて本当によかったと思っております。もしこれからもブログを更新することがあるのであれば、のぞかせていただきたいと思います。気仙沼、いつかは再訪したいです。みなさまも、どうぞお体には気をつけて、出来る範囲で行っていただければと思います。

K様


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御提案について賛同いたします。特に子供たちに焦点があたっていることが大切に思います。

N様


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私個人的にはこの案に賛成です。 悲しいかなこの世の中、学歴がなくてはなかなか食べていけません(体感済み)。 でももし勉強に興味が持てたら、好奇心から自主的に学習するようになり、震災のハンデを上手く乗り越えられるのではと私は思います。 そして希望がなければ前進するのはなかなかむずかしいことも多少は理解しているつもりです。 私が送った義捐金は本当に小額で申し訳ないぐらいのものですが、未来を背負う子供たちの役に立つなら、とてもうれしいです。

T様


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このメールに関して‘ご意見のある方は返信を’とさせていただいたにも関わらず、上記の方々以外にも多くの方から応援・賛同メールをいただきました。


今回はその中から‘いただいた文章を掲載させていただいてもよい’と言って頂いた方々のコメントを一部ご紹介させていただきました。


たくさんの方々からのメールにいつも励まされております。

本当にありがとうございます。


さて今回、この義援金には振込件数で言うところの296件のご支援を賜りました。

件数では296件ですが、その中には様々な方が周囲に募って入金してくれたものもあります。


また、「十分なお金はない。けれど、自分にできることをと考え、ものを作ってそれを売って、その売り上げを義援金として納めさせていただきました。」というようなメッセージや、

「子供が3DSを買おうと言っていたお年玉を、この義援金として使って欲しいと差し出され、子供の思いも一緒に振り込みました」というようなメッセージもいただきました。


鳥肌が立つほど感動しました。ありがとうございます。



私が確認できる件数としては296件ではありますが、本当にご協力頂いた方々はその何倍にもなることと思います。

その中で、私が現時点で直接連絡を取得る方々はその一部の方かもしれません。


連絡を直接取れない方から頂いた義援金を私の勝手な判断で‘気楽会に’というのは、道筋として横暴なことなのかもしれません。


で、考えました。

ご賛同頂いた方の思いも届けるのはどうしたら良いものか…と。

そして、ご助言も頂きました。




結果、以下のようにさせていただきたいと思います。



気楽会への運用は、お預かりした金額の20%程度と考えておりました。

なので、気楽会への運用にご賛同いただいた皆様の20%を気楽会にお渡しさせていただきたいと思います

私と現時点で直接連絡を取ることが困難な方から頂いた義援金に関しましては、当初の趣意書通り気仙沼市役所へ寄付させていただきます。


気仙沼市役所へ問い合わせたところ、現時点で気仙沼に直接振り込まれた義援金に関してはまだ配分の目途がたっておらず、配分を決定するための一回目の配分委員会も2か月程度先だろうとのことでした。


気楽会のメンバーには

「支援していただくのはとてもありがたい。金額ではないと考えている。多くの人たちが自分たちの活動を支えてくれているんだということが励みになるので。」

と言っていただきました。

ということで、承諾いただいた方々から気楽会に運用させていただくものと、気仙沼市役所に寄付させていただくものとに割り当てさせていただき、義援金を納めさせていただきたいと考えております。


義援金振り込み後

Gmail:sienkesennuma@gmail.com

 にメール頂いた皆さまにはすでにご連絡させていただいておりますが、こちらにメールすることなくご支援いただいた方で、気楽会への主旨にご賛同頂ける方は上記アドレスにご連絡ください。


上記に関しての御意見は6月18日までとさせていただき、その調整業務が終了次第、気仙沼市役所へ振り込みをさせていただきたいと考えております。


何卒、ご理解の程よろしくお願いいたします。