「松山千春との37年間・彼が純粋に心で歌うなら、僕も純粋さを取り戻し、より心で聞こう。 その4」3362-4/R

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◇更新履歴
V1.0:2015.10.24 初稿
V1.1:2015.10.26 タイトルの変更

■「迸る情熱と熱狂のステージ」

その3 http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-12087326802.html からの続きです。


簡潔に書いて、その4辺りで結論に導こうと思っていたのですが無理のようです。

要点がぼやけぬよう、項目を設けます。


その3を書いて、


80年前半のライブの熱量を確認すべく、

81年春の日比谷野外音楽堂のライブ盤をきいた。 

この録音は、事務所主導によるもの。

翌年の真駒内のライブ盤のリリースを見据えて、実験的な意味合いがあった。


今と比べたら、当時の録音機材なんて、

チャンネル数から何から比べ物にならないのでしょう。

けれどその分、会場の歓声、熱気があまり減衰せずに記録されている(とはいえ、実際はあんなものではない)。


バンド演奏の二部は、もうアンコールのよう。

千春も、この時期は置き場所はどこであれ、一曲、一曲、絶唱している。

「青春Ⅱ」はもちろんのこと、「夢をのせて」、「貴方のことで」さえ、アンコールナンバーのよう。


ライブ盤では、アンコールは、

「季節の中で」のみしか収録されていないが、

このころのライブを体験できなかった方にいうなれば、「想像を絶する」盛り上がりだった。


1977年8月8日 札幌。

紙テープが飛び交い、アンコールでは総立ち。

客が前に詰めかける光景を目の当りにしたマスコミ関係者や、富澤一誠は「とてもフォークのコンサートとは思えない」と紹介している。


それは全国に飛び火してゆく。


熱狂の最高潮は81年から82年だったように思う。

勿論、あくまでもピークであって86年頃までは、「想像を絶する」と称せる。


アンコールになると客が、

松山千春の情熱の熱量を吸収、増幅するかのこどく、

引っ張られるようにステージ前に詰めかける光景が多く見られた。


82年の真駒内はもちろんのこと、

ホールにおいてもそうだった。

東京でその光景(近寄るではなく、引き寄せられて詰めかける)が、

最後となったのが、86年の日比谷野外音楽堂。

東京以外で最後に見たのは(気づいたのは)、87年12月23日の札幌(この時は、制服を着た警備員と男性客とが取っ組み合いになっていた)。


92年初日の上越でもステージに客が集まったが冷静さが見て取れた。


ちなみにステージに投げ込まれるクッションボールは、

90年代半ばまで続いたが、ピークは80年代前半から半ば。

客の呼び笛の使用は、1986年夏が最後のような気がします。


目に見える若さを象徴する熱狂は、87年ごろを境に落ち着いたように思える。


このころのキーワードも情熱。

青春ともいえる若い熱狂の渦の中。

迸る汗と、置き場所にかかわらず一曲、一曲に絶唱する千春。

青臭く、荒削りと言われようが、その姿に感動した。


そんな熱狂が少しずつ、見る者の内に秘められるようになってきて、

次に見えてきたもの、浮き彫りとなったのが、


唯一無二の歌唱力だった。


その5http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-12087707360.html に続きます。

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