「松山千春 『流れ雲』に思うこと~松山千春 全作品解説309~」S3097/R


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更新履歴

V1.0:2015.7.7 初稿


■ 「流れ雲」 編曲者:服部克久

1983年6月21日発売の15枚目のアナログシングル「電話」のB面。


◆レコーディングミュージシャン(後日、追記)
01. ギター(AG):
02. ドラム:--
03. ギター(EG):--
04. ベース:--
05. キーボード:--
06. パーカッション:--
07. マンドリン:--
08. コーラス:--


◆2014.7.7 夢野旅人

偉大なる日本の音楽家、服部良一を父にもつ服部克久(1936年11月1日生)。

服部克久が初めて千春の作品を手掛けたのが、「電話」とこの「流れ雲」である。

千春が27歳、服部さんが46歳のときである。


千春は服部さんとはウマが合い、過去、服部家へも訪問している。

長女・奈緒さんに対して、いつもの調子で話していたら、二度と敷居はまたけないなと雰囲気を感じたという。


それでも付き合いは長きにわたり続いており、

服部さんが手がけていたテレビ「MUSIC FAIR」や、彼の野外ベントに3度ほど出演している。

2008年には、「思ひ」で25年ぶりに編曲を務めた。

松山千春の4枚組ベスト『松山千春の世界』のブックレットに全国イベンターの座談会の模様が記されている。 


1991年夏。

志度ので行われた「服部克久の音楽畑」に千春も参加している。

その直前、四国のイベンター宮垣氏のところへ千春から電話が入る。


「お前に何の落ち度はないが、俺はいけない」


理由は、当時のマネージャー。

積もり積もっていた不満が爆発したらしい。


幸い予定通り千春は出演したが、

もしも、それが現実となっていたら、みんな落胆していただろう。


全席自由で、早くから並んで、もうすぐ入れるぞというタイミングで、


「松山千春、急病、本日、ゲスト出演キャンセル」


と知らされたらショックだもの。

入場時、係りの誘導の不手際があった。

結果、後から並んだ人たちが、先客よりも前列の席に座わってしまった。

そのことに、早くから並んでいた人たちは、不満を抱いた。

それもどうでもよくなっていたもしれない。


このエピソードは初耳だった

そんな我々には知りえない出来事や、

見過ごした、読み取れなかったことは、多々あるのだろう。


「流れ雲」。

一度もステージで歌われた記録がない。

また、この曲に関する本人のコメントを、自分はきいた記憶がない。

どなたか、ご存じの方はいらしゃいますか。


~このまま 僕は死んで行く

さだめなのか 悲しい

流れる雲の行く先は 誰も知らないよね~


のサビから始まる。


松山千春の歌の歌詞で初めて「死」という言葉が綴られた。


~空に 憧れて 空をかけてゆく

あの子の命はひこうき雲~


この曲をきくと荒井由実の「ひこうき雲」を思い出す。

ユーミンが、この曲を書いた背景があるように、


千春の「流れ雲」にも、背景となるエピソードがあったのだろうか。

ただ単に、人生の儚さを歌った唄だとは思えないのです。


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