こんばんは、久しぶりのブログ更新になりました。

15日からずっと、今日を迎えるまで

ブログ更新は控えようと思っていました。


ブログで書くのはどうかとも思いましたが、

今日のこの気持ちを忘れないためにも

ちゃんと書いておこうと思います。

不快な思いをされる方がいたらごめんなさいあせる



4月15日未明。

母方のおじいちゃんが亡くなりました。享年92歳でした。



先月のブログでも書いたように、すごく元気なおじいちゃんで

死因は病気ではなく、眠るようにすっと天国に旅立っていきました。

入院していたのは、数年前にかかった肺炎を機に、

少しずつ体力が落ちてしまっていたからでした。


真夜中、病院からかかってきた電話に一番最初に気がついたのは私。

電話が鳴った瞬間、「もしかして…」と思ったのですが

すごく怖くて電話を取ることができず、母親を起こし、

かかってきた電話番号を確認してもらい、病院からだったので

電話をかけ直したところ、やはり…ということでした。


それからは、葬儀の準備をしたりとすごく忙しくて…

仕事のほうもロケが始まっていたので、引継ぎしたりetc

もちろん亡くなったおじいちゃんと対面もしましたが

「死」というものを実感する間もありませんでした。


そして昨日のお通夜、今日の告別式をもって

数時間前まで私の側にいたおじいちゃんは

ついに、ついに骨になってしまいました。


葬儀の日までそれほど感じなかった「悲しい」という感情が

昨日・今日と一気に溢れてきて、

特に今日はことあるごとにこれが「最後」と言われ、私は

その度にめそめそと泣いていたように思います。


考えてみると、今回のおじいちゃんの死は、

25年間生きてきた中で一番近しい人の「死」でした。

他のおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったときはまだ幼くて

いろいろなことが理解できなかったのです。


自宅から出発するお見送り


体を清める湯灌という儀式


お花で棺をいっぱいにしてお見送りする瞬間


火葬場での本当のお別れの瞬間


骨になって戻ってきた瞬間


全てが初めての経験でした。

おじいちゃんが亡くなってしまった…という喪失感が胸をしめつけ、

止まらない涙をどうすることもできませんでした。

娘である母親や叔母だって笑顔でお別れしていたのに…。


おじいちゃんにとって、私は初孫でした。

私が生まれてからしばらくの間は毎日のように家に来て

私をお風呂に入れてくれていたそうです。

物心つくようになってからも、家が近かったので

よく遊んでもらっていました。


幼すぎる頃のことはもちろん覚えていないけど

おじいちゃんに可愛がってもらったことを

体はちゃんと覚えていたんだなぁって

今になって思います。


大事な人を失うということがどれほど悲しいことなのか。

だけど、必ず「死」はやってくる。

それを乗り越え、生きていかなくちゃいけない。

長生きしたおじいちゃんだけど、その間にはおばあちゃんをはじめ

たくさんの人とお別れしてきたわけだもんね。。


叔母から聞いたのですが、武田鉄也が

おじいちゃんやおばあちゃんは最後に自分がこの世を去ることで

子どもや孫達に「死」がどういうものかを伝え、教えるんだと

言っていたそうです。


なるほど、その通り。


おじいちゃんが亡くなったことで

私は「死」がどういうものなのかを知り、学ぶことができた。


なんというか、本当におじいちゃんには頭が上がりません。


感謝しても、感謝してもしきれないくらい。


なんでもっと会いに行かなかったんだろう…


病院でも「あやちゃんは元気にしてる?」って

いつも気にしていてくれたって…


………。


あーーダメですね、また泣けてきちゃいます(笑)



だけど、家族や親戚に囲まれて、大きな病気もせず

静かに旅立っていったおじいちゃんは幸せだったはず。


考えに考え、私は手紙と、会社の名刺と、

私が描いた(笑)おじいちゃんの似顔絵を棺の中にいれました。


今頃天国に向かっている頃なのかな…?


おばあちゃんや、兄弟、仲のいい友達に

天国でちゃんとめぐり会えるといいなニコちゃん


あたたかくて、穏やかで、笑顔が可愛くて

とってもとっても優しかったおじいちゃん。



今まで本当にありがとうございました。




追伸:

おじいちゃんの遺影は、私の成人式の前撮りの際

おじいちゃんと一緒に撮った写真になりました。

家族みんなからこの時のおじいちゃんの表情が一番いいって

言われて、ちょっとまた、泣けますよね(笑)