00 横田基地日米友好祭 T | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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旅最終日。ペンサコラを出てオースティンまでのドライブは長い。
途中、休憩を兼ねてどこかに寄ろうと見所を探す。基本的にメキシコ湾と平行に続くハイウェイを走る訳だが、この海沿いは米海軍関連のものが並ぶ。
ペンサコラには海軍の飛行博物館があり、アラバマ州に入ると「戦艦アラバマ」、ルイジアナ州に「駆逐艦USS KIDD」(でいいのよね、さいかいさん)などがある。
距離的に都合が良い、ルイジアナ州バトン・ルージュの「USS KIDD」に寄ることにする。

バトン・ルージュには午後2時に到着。遅い昼食を摂ってから、US KIDDの見学。
usskidd
実は恥ずかしいことだが、私は何も知らなかった。ただ珍しい船が見学できるという軽い気分で見学を始めたのだった。が、この船、第2次世界大戦時に活躍した船だった。
船の中は、当時の様子が再現されていて実に興味深く面白かった。各部屋にはユニフォームがかけられていたり、デスクの上も家族の写真がはられていたり、使われていたときのようにディスプレーがなされていてリアルさがある。
一般兵のベッドは、体を横たえると寝返りも打てなそうな狭さでぎっしりそなえつけてあり、トイレなど扉なしのこんな状態
wc
位の高い上官には個室があり、ベッドの質もよくなる。ダイニングなども、一般のところはスティールの食器なのが、上官用のところには優雅にテーブル・セッティングがなされている。当時の様子がイメージできるようだ。

寝室の一部が、当時の品々の展示コーナーになっていた。その中に日本に駐在したらしき人の所持品があり、古い日本の紙幣、日本語のMP章、鹿児島の引越し業者の名刺などが含まれていた。
第2時世界大戦なのだから、日本は敵国。
gun
こんなのを見ても「これで日本兵を狙ったのだろうか」と複雑な気分ではあったが、これらの展示品を目にしたあと。船の外にある博物館の方に移動して、この船の歴史概要を知って、さらに複雑な思いになった。
この船、沖縄に来ていたのである。そして、そこで日本軍のカミカゼ攻撃を受け38人が死亡したのだそうだ。
何となく居心地が悪くなってくる。
博物館には、海軍関連のさまざまな展示に混じって、当時の日本軍のパイロットの軍服や、水筒、日の丸の旗、刀なども展示されている。

これは、攻撃された際にUSS KIDDに残った、カミカゼの爆弾の一部、ゼロ戦のプロペラなど。
他にも広島に原爆を落とした飛行機のパイロットの写真なども飾られている。
ほっとしたのは、こういう展示が「日本にくし!」とか「日本に勝った!」いう事でなく、歴史の一部として展示されているだけのトーンだったこと。

日本人である私が、米国側の軍の展示を見て、やはり「戦争」という事実は悲しかった。
どちらの国の人々も、命を落としたくなどなかったであろう。
クリント・イーストウッドが監督した「親父たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」を見てみようと思った。

本日のTシャツは、平和な世界を祈りつつ、2000年の横田基地での日米友好際のTシャツ。
普段は公開されない基地が住民との友好を図るため基地をオープンするイベントで、その催しのひとつとして行われた5kmRUNに参加していただいたもの。
基地内の滑走路を往復するコースで、確か雨で、参加人数がものすごく少なかった。

思ったより、行ってみてよかったUSS KIDDを離れたのがすでに午後5時。
ここから、テキサス州に入り、ヒューストンを通過し、長いドライブを終えオースティンの我が家に帰着したのは夜中の1時。

長距離のドライブ旅行は大変といえば大変だが、家族がすっと車内に一緒にいて、飛行機旅行と違って周りを気にせずずっと話ができる。車窓から見えるものや空手大会や、いろいろなことを話しながらの長旅は飛行機旅行とは違った良さが楽しめて良かった。