中居正広が持つパブリックイメージは「バラエティタレント」であることに異論はないと思う。


彼はデビュー後早い段階で、自身の立ち位置をそこに決めていた。


それにはある種の覚悟のようなものがあったのではないか。

まだ10代の頃から、グループの中でも道化的役割を担い、おどけた表情、言動をすることがしばしばあった。
アイドルのグループではあまり強烈にやらない「メンバーいじり」「自虐ネタ」を繰り返していたのもブレイク前からだ。

ブレイク直前から人気が爆発した後もしばらく仕事のない草なぎ剛を、コンサートのMCやらラジオ、テレビ番組などありとあらゆるところで盛大にいじった。
草なぎ剛は、それに対して腐るでも怒るでもなく、仕事があれば訂正し、なければ細かい仕事でも告知し笑いを取った。

(書いていて気付いたけど、そこで草なぎ剛は「ツッコミ」と「ボケ」を自然に訓練されていたのか…!)

結果的にその、のほほんとしたキャラクターが活きた草なぎ剛はその後「いいひと。」というド直球のタイトルの作品で初主演を果たすことになるのは周知の話だが、これについて書き出してみたらかなり長くなりそうだったので別の機会にしようと思う。


正直、私はその頃の中居正広が好きではなかった。


お笑いの真似事をしても、司会者の真似事をしても、所詮アイドルはアイドルなんだからただ寒いだけだし本物にはなれないと思っていた。


しかし彼は、真似事をするだけでは終わらせなかった。

コントひとつでも入念にリハーサルを行い、芸人に積極的に指導を仰いだ。
司会業に至ってはゲストを扱う性質上、身内でのコントと大きく違うアウェイの状況でたくさんの勉強を重ねていった。

その結果、その道のプロからも一目置かれ、今ではバラエティで彼が司会をしていても、紅白歌合戦で司会をしていても不自然に思われないところまで持ってきた。


特筆すべきは、「ロールモデル」が存在しなかったことだ。


中居正広が目指していたバラエティ進出、司会者のポジションに、アイドルはいなかった。
強いて言えば、ロールモデルになり得たのはお笑い芸人だ。
そこに、マネジメントの戦略があったとはいえ一人で身を投じ戦ってきた彼の覚悟は、並大抵のものではないだろう。


ではなぜ、彼はバラエティの役割を担うことにしたのか。


いろいろ考えることはできる。


グループの幅を広げるためとか、自分で歌番組を持つとか、アイドルの意外性を話題にするためとか。


どれも、正解だと思う。


ただ、私が思うのは、バラエティは彼らの活動の中で唯一「自分自身を演じる」ことができるものだったからではないかということだ。

明るい中居くん、人見知りしない中居くん、おどけて皆を笑わせる中居くん。

これらは(多くの芸人がそうであるように)、本番でスイッチを入れて始めて出来上がる人格であって、本来の中居正広ではない。

しかしそれが、彼自身の性格にマッチしたのではないか。

ひとつ前の記事に中居正広は「夜」と書いたのは、バラエティでの彼の姿勢について強く思うところがあったからだ。


彼は番組で立ち回るとき、本人の持つ意思を最大限隠しているように思う。

視聴者だったら何を見たいか、聞きたいかを考えて問い掛けをする。
それに加えて、ゲストが意外な一面を見せるにはどうするか心を砕く。

その時点で、彼は自身を既に器であると定義しているのではないか。


そう考えたとき、中居正広という人の覚悟の底知れなさに少し恐怖すら覚える。



今はもう、昔に感じていた「アイドルが頑張ってるのを見る」気恥ずかしさはない。
それどころか、その位置に彼がいることが当然とすら思われるところまで、彼はやってのけたのだ。


SMAPがバラエティをやったから、ではない。
バラエティに活動を広げたSMAPに中居正広がいたから、だ。








(メンバー個別記事の最初からこんなにガッツリ書いちゃって、今後の息切れが不安…)