GW08’沖縄④・シンボル・レムリアとの出会い
・・・05/21/2008
について書きましたが
その中でご紹介している沖縄で見つけたぐるぐる渦巻きの家、
ちゅらさ工房
の設計をされた
建築設計事務所・アトリエ・ガイィ
は、
ユダヤ系の建築家の影響を受けていると書きましたが、その方の名前は、
オーストリア出身のユダヤ系の芸術家であり、画家であり
建築家のフリーデンスライヒ・フンデルト・ヴァッサー
のことなんです。
ちゅらさ工房を訪れた時、そこにいた画家の女性から、
「フンデルトヴァッサーって知っていますか?」 と聞かれ、
「いいえ。聞いたことありません」 と答えたら
「あなた、渦巻き模様に惹かれているなら、是非、彼の作品を見るといいわよ。
きっと面白い発見があると思うわ。」と言われ、
私達は、その建築家の名前を書きとめて東京に帰って来たのでした。
それからしばらくして・・・
先週の土曜日の夜に、ラジオを聴きながら車で首都高をドライブしていると
FM・YOKOHAMA/84.7FMだったのか?J-WAVE/81.3FMだったのか?
忘れましたが、オーストリアやスペイン(バルセロナ)の芸術や建築物
などの特集をしていたのです。
(((待てよ...o(^^o)(o^^)o
聞いた事がある名前だぞ~~!)))
ナイズタイミング~(*^-^)bで、知りたい情報が聴こえて来たのです!!!
翌日の日曜日の午後も
ウトウト...と、Zzz…(*´?`*)。o○ お昼寝をしていて
ふと、テレビの音で目が覚めると ・ ・ ・
何というタイミング!
丁度(オーストリア・ウィーン)この写真の映像が出ていて、
フンデルト・ヴァッサーの建築家のご紹介をしていたのです。
ここ最近、氣になるコトがあると
もの凄いスピードで情報が入ってくるんです。
まさに、”引き寄せの法則” ですね!
沖縄で、あのぐるぐる渦巻きの家に出会わなかったら、
彼の存在すら知らなかったハズなのに・・・
導かれるように、情報がどんどん入ってくるなんて・・・
土曜日といい・・・日曜日といい・・・とても勉強になりましたよ(*^-^)b
これは、知る必要があったかのように・・・必然的だったのでしょう!
フンデルトヴァッサー(本名:フリードリッヒ・シュトオウヴァッサー)は
1928年、オーストリアのウィーンに生まれで、父はオーストリア人
母はユダヤ系チェコ人でした。
父親は、彼が生まれるとすぐに亡くなりました。
そして、息子に素晴らしいものを残しました。
後に彼はこう言っています。
画家になった動機はとても単純なことだったそうで
切手のような綺麗なものを作りたいと
考えたからです。
それから花に目を向け、花を集め始めました。
押し花にすると、色がさめてしまうので
いつまでも本物のように見えるために
それらを描いた方がいいと思ったのが
画家になろうと思ったきっかけだったのです。
素敵なモノをそのまま残しておきたいという
純粋な氣持ちが始まりだったのですね。
そして、
色と形に対する並外れたセンスがあり、すでに小学校の教師は
彼の才能を認めていました。色彩とフォルムの美しさを
草花から学んだ少年は、やがて画家を目指します。
しかし、1948年ウィーンの美術学校を3ヶ月で退学
パリの学校に入っては、たった1日で飛び出してしまったそうです。
そして、彼が辿りついたの先は渦巻きの世界でした。
15歳の時、まだ見たままの色と形を描いていた頃
彼が渦巻きを描くようになったきっかけは
25歳の時に見た、精神病院のドキュメンタリー映画でした。
「狂氣のイメージ」その中である患者が描いていた渦巻きを見て、
”これこそが人間が素直に発散する形ではないか” と、彼は考えたのです。
そして、彼は、人間の行動も曲りくねりながら
ぐるぐる巡っていると考えたのです。
彼の渦巻きの世界は、それを表現したものなのです。
逆に、彼は、定規で引いた直線を、非人間的なものとみなし、
激しく敵視していたといいいます。
フンデルトヴァッサー・ハウス、クンストハウス
別名フンデルトバッサー美術館はこちらへ
このクンストハウス
には、彼の初期の作品が展示されているそうです。
曲がった定規と鮮やかな色彩で、独自の建築を目指したフンデルトヴァッサー。
彼の哲学は、「人間は、何枚もの皮膚を持っている」 でした。
第一は、実際の皮膚。第二の皮膚は、衣服、そして第三の皮膚は住居。
1967年。彼がまだ世界的にはほとんど無名だった頃、思いも寄らぬ行動を起こし、
周囲を驚かせます。
それは、第三の皮膚の権利を求める裸のスピーチでした。
「あらゆるものが定規で仕切られた惨めな状態になり
あらゆる人が刑務所に閉じ込められている。
だから敢えて第二の皮膚である衣服を脱ぎ去り
第三の皮膚である住居の危機を訴えたのです。
「衣服も、住居も、人間を包む皮膚として考えた彼は
そこに自由がなくてはならず、それ自体が病んではならないと
強く主張していました。
そして、彼にとって、更にそれらを包む二つの皮膚がありました。
第四の皮膚は、社会環境。
そして第五の皮膚は、地球環境です。
社会は人間を拘束してはいけない。
そして、地球環境をないがしろにしてはならない。
彼は常にそう、訴えていたのです。
* * *
1961年日本に滞在し、東京画廊で個展を開催。
1967年多色によるグラフィック作品の制作を始めます。
1968年ミュンヘンとウィーンで非人間的な建築の在り方に反対して
「第3の皮膚」としての建築を要求する演説を全裸で行う運動に専念。
以後、絵画制作とともにオーストリア、ドイツ、日本などで
建築物の設計を手がけるかたわら
世界各地の地球環境保護運動にも積極的に取り組み、
切手、ポスターなどの宣伝物も数多く制作しました。
フンデルトヴァッサーの作品には、単純な直線や
灰色のコンクリートなどによって
画一化されてしまう建物や、身の回りの世界を拒絶し
自然との調和の中で理念が視覚化(イメージ)として
強く表現されています。
* * *
フンデルトヴァッサーは、2000年にニュージーランド沖の
欧州に向かう客船内で亡くなりました。
日本では、「フンデルトワッサー」という呼び方も多く用いられているようです。
私は、フンデルトヴァッサーの考え方に触れた時、とても共感しました。
そして、私が小さな頃に描いていた水彩画に登場してくる家の形、
模様、色合い等、とても似たモノ(感性)を感じました。
彼がぐるぐる渦巻きを描くきっかけとなったのは
25歳の時に見たドキュメンタリー映画だったようですが
その衝撃を受けた瞬間に、彼の潜在意識(魂の記憶)にスイッチが
入ったんだなぁ~と思いました。
そのスイッチ入るとは、まさに自分自身とリコネクト(自分と再び繋がる)できたこと。
私が描きたかったのはこれだ!ヽ(*'0'*)ツっ!みたいな・・・
彼の哲学にある、第一から、第五の考え方をキャンバスで表現するなら、
この渦巻きという形がピッタリだったのだと思います。
私のSHOP ”Chemi Body Work” のロゴの意味も
自然の流れに沿って、自分を信じ、流れに身をゆだね
天使が羽ばたくように、自由に人生を羽ばたくことができたら ・ ・ ・
という深い思いも込められています。
フンデルトヴァッサーが言っているこの渦巻きは
人間の素直に発散する形という考えも
私が感じていることと似たような意味のようにも感じました。
住んでいた場所も、性別も、年齢も全く違うけど
感じていることは同じなんですね
それにしても、宇宙の、引き寄せの法則って、素晴らしいなぁ~と思いました。
これからも、思っていること、願っていることを
どんどん引き寄せていこうと思います^^
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