いつもバランスが難しいと思うのは、

「子供の将来のために必要」と思ってやっていることが
「子供にとって厳し過ぎるのではないか」と思うことがあります。

「将来こうなって欲しい姿」から逆算して「今ここまで できてほしい」ことを達成する。

それって実は親のエゴでもあり、
もっと「子供が楽しく過ごすこと」を優先してもいいんじゃないかと思う時もあります。
日々精一杯なので、正直私ももっと時間が欲しいと思うこともあります。

だけど、その考えもどこかで「子供が楽」=「自分が楽」っていうエゴなんですよね。

頑張りすぎて、張りつめた糸が切れてしまったら互いに良くないけれど、
子供にとってちょっぴり高いハードルを用意して、辛いことよりもちょっとした達成感を味わって欲しい。
で、一番大事なのは「あなたがいてくれて良かった」「大好きだよ」って伝えること。
そんなことじゃないかと思います。

思い返せば、私も「将来社会でやっていけるように」と親の強い思いで育てられてきました。
「どうして短所ばかりみて長所をみてくれないんだろう」と疑問を持つこともありました。
だけれど、今ならその気持ちが分かります。
きっと「短所を伸ばせばもっとよくなる」。そう思ってたんですね。

親も精一杯だったんだ。そして、うちの親も完璧ではなかったのだと。
子育てってどこにも正解がないのですね。

で、誤解を恐れずに言えば、幼児期は親の強い思いで多少歪ませることがあるのかもしれません。
でも、友達ができ学校で学び社会に出て家族を持ったり、
本を読んだり人と出会ったり。
ちょっとずつ世界が広がって。

そうして、だんだん親から受けた考え方に疑問を持ち、
「あそこは良かったけれど、ここは良くなかったよね」とか、
「私はこう思う」という自分のカラーが段々出てきて、反抗して。

そうして親を客観的にみることができるようになるのだと。

同じ親に育てられても兄弟で性格や歩む人生?が違うように、人それぞれの人格がある。


結局、最後に残るのは「親から受けた愛情」なのかもしれません。

思い返せば、

私が就職してどんなに遅くなっても必ず起きていた母、とか
進学などの節目で必ず手紙(しかも長文)をくれた父、とか。

今思えば過保護だし、ちょっと偏っていて笑っちゃうエピソードだけれど、
やっぱりそんな愛は心の中に残って、少しだけ周りの人を明るくしたり
ちょっと間違った方向にいきそうだったら自分で軌道修正したりすることができる。

そんなのも親のおかげなんだと思います。

まとまりのない文章になっちゃいましたが。

毎日バランスを取りつつ、正解もない方角も分からない海を泳いでる。

そんな毎日です。