臺灣への旅NO.x CHARLIEと、飛行機に関するジンクス | CHARLIE’S X ~Planet of the 'GODS'~

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アマチュア小説家(キャリアover30年 眉村卓先生、牧野修先生に師事)、リハビリ人(字が書けないけど身体障害者でもない about20年)、気象予報士(免取(^_^;)v)、占い師(吉田佳代名義 易学・四柱推命)

 10月の初めに台湾へ行くことが決まってから、何日も、夜中にものすごい不安に襲われて目が覚めたことがありました。1999年に香港へ行って以来の海外。しかも今回の旅行は全てツアー。しかも協調性のない自分。旅仲間は2人のおば。これまではもっぱら国内、しかも近畿地方に限っての1人旅ばかりしていたので、それも不安。そして、普段の1人旅のときは、今回一緒に旅行に行くおばの1人がうちの近所に住んでいるので、残された母の相手をしてくれていました。しかし今回はそれもなし。私が帰国するなり母から「あんた誰?」と言われたらどうしよう、ということなど、不安材料はたくさんありました。

 そして私は出国する前日の夜遅くまで、脅かされているかのように小説を書いていました。仕上げるところまではいかなくても、下書きだけでも書き終えてから台湾へ行こうと、必死でした。

 そんな。
 不安や強迫観念の理由を深く考えるでもなく、旅に出る当日を迎えました。

 関西国際空港に着いて、初めの手続きを済ませると、当然のように私は1人喫煙所へ。


関空

 管制塔でしょうか? 空の色がとてもきれいでした。
 そしてたばこを吸いながら、Facebookのお友だちに、これから台湾へ行ってきま~す、とご連絡。

 飛行機は、窓側から2列目の席でした。
 私の横2人は、私と同い年くらいか少し若そうな、姉妹だと、あとでわかりました。この2人とは、ツアー中、食事をするために振り分けられたグループが同じだったこともあり、よくおしゃべりをしました。特にお姉さんのほうは「たばこ仲間」で、有意義な時間を共有しました。

 2人が背中をシートにもたせかけているとき、たぶん台北市上空、そしてこれも推定積乱雲の上? の写真を撮りました。


雲

 そうして3泊4日の、とても刺激的で有意義な旅が終わろうとするとき、またしてもハプニングが!
 私たちが乗る飛行機は、17:25、台北桃園空港を出発するはずでした。搭乗口への集合は、16:45でした。
 しかし。16:45になっても、搭乗してもいいとのアナウンスはなく……。
 16:55。英語と中国語で「荷物がどうの」という内容のアナウンスが流れました。(あとでわかったことですが、「使用機材の積み込み遅れのための遅延」をお知らせしていたそうです)
 次に、なぜか、17:08、「マツモトサチコさん」が呼び出されました。これについては全くナゾです。
 次にアナウンスがあったのは、もう17:20に近かったと思います。日本語でも説明がありました。なんと! 「別便から乗り継いで来る人の乗っている便が遅れているので、もう少し出発を待ちます」と。ほかの交通機関がこんなことをしたら、どれほどの文句が出るか!

 退屈だったので、飛行機の写真を撮影! 台北はそもそもが暑いので、この日くらい曇っていたほうが快適だったのであろう、と、雨オンナの言い訳(^_^;)


 中華航空

 結局飛行機に乗り込むことができたのは、17:45を過ぎていました。
 なんの手違いか、わざとなのかはわかりませんが、私たちは3人連れなのに、席に着いたら連れがどこにいるのかさっぱりわからないくらい、バラバラに席を取られていました。ほかのグループもそうだったみたいです。
 そしてさらにアクシデントが!
 18:00台の空港というのは、離発着のピークだったようで。しかも、空港の一部が工事中で、要は「空港内が渋滞している」ため、管制塔から離陸の許可が下りないので、しばらくお待ちください、と言うのです!
 帰りの便も私の席は窓から離れていて、行きよりも大きな飛行機だったのですが、遠くに見える道路の明かりが動くので、飛行機が空港をうろうろしているんだろうなぁということだけはわかりました。
 でももうさすがに退屈するのにも飽きて、眠ってしまいました。
 目が覚めたときにはすでに飛行機は離陸していて、機内食が配られているカチャカチャという音が後方から聞こえていました。
 途中、「気流の関係で機体が揺れるかもしれませんがご承知ください」というアナウンスがあったとおり、成層圏らしき場所を飛んでいるはずなのに、カクンと小さく震動することが何度かありました。

 そうして日本時間の午後9時ごろ(だったと思うのです。睡魔に負けて控えていなかったので)2時間のフライトを終えて、無時関空を出ることができました。私たちはおばのうちの1人の旦那さんが車で迎えに来てくれていたので助かりました。しかしほかの人たちは、ほかの時間帯なら1時間に1本あるリムジンバスが、この時間帯にだけ途切れていて、次は最終の24時発の便しかないのだとぼやいていました。そんな人たちがたくさんいました。

 スマートフォンの機内モードを解除し、モバイルネットワークがつながるように設定し直した私の手のひらの中。
 スマホの画面に流れるYahoo!ニュースが、
ロシア機 空中分解
 という恐ろしい見出しを表示しているではありませんか……。

 そこで悪夢の記憶が甦ったのです。
 1999年8月。開港して1年と少ししか経たない香港国際空港
 私と友人が乗る予定だった便は、台風の影響を受けて、遅延。関空から来るのを待たなければ、席の確保ができない、と言われ、およそ12時間、広い空港の中を歩き回りました。そこの喫煙所でも、欧米系の男性と「たばこ時間」が2度同じになって、二回しか会ってないのになんか親しんだ感じになりました。しゃべりはしませんでしたが。
 確か、午前4時に指定された場所に集まらないといけないことになっていたと思います。
 私たちは退屈だったので、3時半くらいにそこへ行きました。
 するとツアー会社の人がすでにそこにいて、何やら興味本位に、
今外でね、中華航空機がひっくり返って炎上したんですよ
 と、にやにやしながら言いました。
 私は、初めての海外旅行、飛行機を使っての旅行だったこともあって、全身の血管が縮こまる思いがしました。
 帰りの飛行機では、友人は気持ち良さそうに眠っていました。しかし私は着陸するまでが不安で、確かに眠気も強かったのですが、とても熟睡できるような気分にはなれませんでした。
 通路側に座っていた私が、何度も寝返りを打っているような様子に気づかれたのでしょう、キャビンアテンダントのお姉さんが、私の肩を軽く叩き、
「今窓の外を見ると、朝陽が昇る様子が見えますよ」
 とささやいてくれました。
 私はその美しい景色を見て、やっと安心して、関空に着くまでのわずかな時間を眠ることができました。
 帰国して新聞を見ると第1面に、
中華航空機炎上 死者3名
 と、写真付きで大きく報道されていました。

 この記事を書くに当たって、香港国際空港で起きた飛行機事故について調べたのですが、まだ3回しか起きていないんですね。

 このときの事故機は「中華航空機」、今回利用したのは「チャイナエアライン」。
 同じじゃないか!
 そんなことも、旅行前の不安の一因だったのかもしれないな、と帰国してから気づきました。

 それにしても。
 私が飛行機に乗ると、世界のどこかで飛行機事故が起こるのでしょうか?
 2度あることが3度あったら、いやだなぁ。
 それよりも、「3度目の正直」に賭けてみようかナp(^-^)q