カリスマなる憂鬱
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球児

藤川球児が引退しました。

阪神タイガースの選手では、井川や能見が同い年なのですが、愛着と言うか同世代感と言うか、そういう感覚では球児が一番でした。

1998年のドラフトで1位指名されましたが、この年は松坂がドラフトの目玉にあがっていたため、知名度・実力を比べて「こんなんであ大丈夫か」と思ったことを記憶しています。あとは、当時アイドルとして人気があった広末涼子と同郷・同い年ということもあって、そんなことがわざわざ取り上げられていたこともなぜか覚えています。

 

入団後しばらくは、当時のタイガースではありがちな「期待はされてるけど、パッとしない選手」のままでしたが、2005年?あたりから急に覚醒し、その後の目覚ましい活躍は皆さんも知ってる通りで、野球に詳しくない人も名前ぐらいは知ってる選手にまで成長したと思います。

 

やはり球児の特徴と言えば、ストレート。

糸を引くような球筋ではなく、ググっとせり上がりキャッチャーミットに収まるボールは圧巻でした。タイガースファンの全員が全幅の信頼を置いたピッチャーでしょう(その後、クローザーを勤めた外国人投手は、けっこう打たれ弱かったし)。

 

メジャーに挑戦するのは、必然の流れだったように思いますが、個人的には、今となってはその2年間が悔やまれます。あと、タイガースに復帰した後の先発転向の時期も。やっぱり250セーブを達成して、名球会に入ってもらいたかったなぁと。

 

最後の投球と引退セレモニーは、DAZNで夜中に見ました。

びっくりしたのは、セレモニーのコメントで清原が出てきたこと、そして、曰く付きのあの事件について触れたこと、でした。さらに、ちゃんと笑いにしてました(「球児は悪くない。悪いのはキャッチャーの矢野さん。」というニュアンスの発言)。

この場面は、スポーツニュースで出てたんやろか?

 

球児の引退は、一つの時代の終わりのように思います。

もちろん、個人的な意見です。同年代と呼べる選手が去っていくのは悲しいですね。

次にそういう選手というと、小野伸二と稲本潤一かな。

 

この写真は十数年前の新聞記事(朝日新聞の日曜版)。球児が登板する際の入場曲が取り上げられていました。

当時、この記事を研究室デスクのビニールマットの下に入れていたのですが、ずっとそのままで留学生が使っていたので、彼の帰国の際にこの記事だけ返してもらいました。

つのさん

昼間、

なんとなくTwitterを見ていたら、トレンドに”津野米咲さん”とあった。

「赤い公園」の津野米咲以外に、同じ漢字の同姓同名なんていないだろうから、なんか「またドラマの主題歌とか、アイドルグループに楽曲提供とかかな」と思ってクリックすると、まさかの訃報...。

 

ほんとに絶句。しばらく固まってたと思う。

 

このブログでも(そもそもかなり更新が途絶えていたが)、何度か話題に出したとともある女性ロックバンド「赤い公園」。

去年の夏のライジングサンのステージも観たし、同じ年の11月の札幌でのライブにもいったし、春に発売になった新譜も買ってよく聴いてたし。

バンドとしても新しいボーカルが入って、これから熟成されていくと思っていたのに。

今、次の作品が一番待ち遠しい作曲家、だったのに。

 

ご冥福をお祈りするしかないんだけれども、それにしても惜しい。

 

津野さんの作った楽曲で、地味に好きな曲を貼っておきます。

 

 

 

赤い公園@札幌

赤い公園のワンマン公演を見てきました。

会場は札幌colonyというすすきのにある、わりと小さ目なライブホールでした。

 

ボーカルが代わって新体制になってからは初めての札幌でのワンマンかと思います。夏にRSRで見ましたが、時間が短くて消化不良気味だったので、ワンマンを待ち焦がれていたわけです。

客層は、若い人だけでなく、おじさんもそこそこ。しかし、男性の比率がかなり高め。何年か前に見たとき(旭川)は、男女比半々ぐらいだったと思うのですが。新ボーカル石野理子は、解散したアイドルグループのアイドルネッサンスのメンバーだったし、その流れで見に来た人が多かったのかなと邪知します。

 

選曲は、旧体制の曲が半分、こないだ出したEPからの曲や未発表と思われる曲が合わせて半分くらいだったでしょうか。

ボーカルが代わっているので、そこからの再構築は容易ではなかったのだと思いますが、それでもここまで来たのかと思わせる満足なステージでした。ただ、アンコールがなかったのは、ちょっと物足りない。

改めて津野米咲の音楽家としての力量を見せつけられました。ボーカルの歌いやすいキーでぴっちりと作っている印象です。旧体制のときの曲では、少しきつそうなかんじでしたが(RSRのときよりはだいぶ良さげでしたが)、新しい曲は気持ちよさそうに歌っていました。そんで、彼女の歌のうまさがちゃんと伝わってきたようにも思います。こういうのを見るとバンドって面白いなーと思います。

まだまだ目が離せないバンドです。

 

では、ライブで最後にやった曲、「消えない」です。

 

 

 

RSR2019

すごく久しぶりの更新です。

 

今年もライジングサンロックフェスティバル(RSR)に行ってきました。

初日の16日には台風10号直撃の可能性があったため、前日夕方に中止の発表が…。二日目(17日)の開催も16日早朝にならないとわからないというやや不安な状況でしたが、無事1日だけの開催が決定し、とりあえず安堵。にしても、Number Girlが見たかった…。

 

もともとフェス初日には有給をとっていたので、翌日の予報を随時チェックしながら、のんびり準備をしていました。というか、前日に準備する予定だったのですが、中止になったので、図らずも余裕を持った準備になったわけです。

 

昨年に引き続き、今年もT先輩夫婦と一緒に行くことになり…、というか、僕自身がチケットを確保できなかったので、先輩たちのテントサイトに居候のようなかたちで加えさせてもらえることになり、まあ、大変ラッキーだったわけです。

当日は8時に集合。ピックアップした後輩をあそこのセコマで降ろし、僕は駐車場に車を置いてから合流。それでも8時半ごろでしたが、すでに長蛇の列。それだけ待ちわびた人が多かったのでしょう。先輩が前日から駐車場で車中泊し早朝に陣取ってくれたおかげでかなり前方で待機することができました。また、テントサイトもちょうどいい塩梅の角の区画でボヘミアンのステージの音もよく聴こえ、売店もトイレも近いという好立地。大変ラッキーでした。その節は、ありがとうございました。

 

そんなわけで、個人的タイムテーブルは以下の通り。

1.KAN(14:00-@Rainbow Shangri-la)

2.Aimer(15:00-@Red Star Field):30分ぐらい見て、移動。

3.赤い公園(16:00-@def garage):終演後、一旦テントサイトへ戻り、休憩。

4.緑黄色社会(18:00@EARTH TENT):40分ぐらい見て、移動。

5.真心ブラザーズ(19:00-@Bohemian Garden):畜大の卒業生と合流し、一緒に観賞。その後、食事。

6.GLIM SPANKY(21:00-@Red Star Field)

7.iki orchestra(22:00-@PROVO)

8.ホッカイカンタビレ(00:40-@Bohemian Garden)

 

どれもよかったんですが、この日に一番見たかったのは、赤い公園でした。

ボーカルが変わって、新体制になってから初めて、というかようやくステージを見ることができたわけです。新体制後のMVとかは見て、曲は聴いていたのですが、どんなライブになるのか不安もありました。まあ、それも杞憂だったわけで、これからが楽しみになるようなステージでした。強いて言うなら、新ボーカルの理子ちゃんはもう少し笑えばいいのに、と思いました。早くアルバム出してほしい。

 

あとは、GLIM SPANKYでしょうか。

2年ぐらい前のJON ALIVEで見て、そのあとワンマンにも行きましたが、やっぱりステージはめちゃくちゃかっこよかった。またアルバム買って、ライブに行きたいと思わせるステージでした。

 

どーでもいいことなのですが、KANを見るためにテントから移動中に、スーパー弾語り高校生の崎山蒼志くんを見かけました。なんか、ギター背負った人がいるなと思って、顔を見たら、そうだったわけです。近づいて「崎山君ですか?」と聞くと「そうです」とのことだったので、「楽しみにしてます」と言って握手してもらいました。彼の手には9Vの電池がありました。チューナー用でしょうか。

握手してもらったんですが、僕はどーしても赤い公園が見たかったので、彼の演奏は聴けず…。残念でした。

※一応、注釈:一日開催に伴うタイムテーブルの変更がなかったら見に行けたんですよ。

 

そんなわけで、いろいろと先輩夫婦およびその妹さん夫婦に段取りしてもらい、僕はほとんど現地に行くだけという、申し訳ないかんじでしたが、大変ラッキーでした。

それにしても、 Number Girlが見たかった…。

 

お金のはなし

3か月ぐらい空いたでしょうか。

下書きみたいなのを作っては、時間が経ちすぎたから消去、という作業も繰り返したような気がします。まあ、取り立てて更新するようなイベントもなかったということでしょう。

 

ということで、今回は本業の話を少し。

研究者にとって、4月1日というのはある種の緊張を携えて迎える日だったりします。というのも、毎年この日に国からの研究補助が受けれるかどうかの通知がくることになっているからです。毎年秋口に申請書を提出し、審査を経て、4月1日に採択の可否が通知されます。

 

僕もプロの研究者になってからは毎年申請しているのですが、ほとんどかすりもしないようなかたちで不採択となっていました(不採択の場合、審査の結果が開示される)。なかなか論文も書ける状況になかったので業績は増えず、となると、申請したところで「最近論文出してないから、この研究を遂行できる能力はないだろう」と判断され、不採択となる…。という悪循環に陥ってるなと感じていました。

「どうせ不採択になるから申請書を書いてる時間が無駄だよなー」と思いながらも、「何が起きるかわからないし」という一縷の望みも持ちつつ、毎年申請し、一応は緊張して4月1日を迎えるのですが、やっぱり不採択の通知が来る。そして「まあ、論文出してないし、ダメに決まってるよね」と自分自身を慰める、ようなかんじでした。

 

ところが、なんと今年は採択されたのです。

まあ、寝耳に水というか、自分でも何故だかよくわかりません。最初は「何かの手違いだろう」とすら思っていました。やがて事務方からも連絡があり、内定が出ていました。

 

腐らずくじけずにコツコツとやってきたのが報われた!・・・というふうにはまったく思っていません。

正直、腐っていましたし、気が向いたときに少し手を動かして実験する程度でした。このまま任期更新できずに辞めなきゃいけないんじゃないかと思ってましたし、そのあとどうしようかとかも少し考えていました。まあ、この道での成り上がりを諦めていた部分もありますよ。

 

よく「カネはなくとも、工夫と熱意でなんとかなる」みたいに言われます。実際にそういう部分もあると思います。ただ、やっぱりカネがあるにこしたことはありません。心持も大きく違います。毎年毎年、研究費どうしよう…、と思って過ごしていましたが、ひとまずは払拭されたわけですから。

あと、熱意でなんとかできるほど、若くもないですし。

また、「この研究を続けてて大丈夫なんだろうか?」という不安もなくなります。「申請が採択される」ということは「研究が(社会的に)認められる」ということでもあります。いわばお墨付きをもらったわけですから、堂々と研究できます。また次も採択されるようにがんばろう、という気持ちになります。

 

こう書いてみると、今回の採択は、どちらかというとメンタルに対する影響のほうが大きいように思います。

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