シャイダン氏とkei嬢のキャラノベ対決 、失礼ながらなかなかエキサイトしません。中身がわたりとりさんと海風さんだからな。(ばらしちゃ駄目)
 どちらかの視点で見ると感情移入しやすいのですが、それができないのは論点が無断リンク(これだけで無断リンクという言葉はおかしい、と食いつく人がいそう)問題だからです。無断リンクをそのまま批判コメントに置き換えると私はシャイダン氏そのものなのですが、リンク問題となると対立する立場になってしまいます。
 
 私はリンクフリー派ですが、それは何かで見てそういうものだと思いこんだからです。リンクする時は必ず許可を取らなければならない、というのを見ていたらそういうもんだと思ったでしょう。自分が記事書く時に本文中にリンク貼ることがありますが、許可制だとしたらかなり面倒くさいです。サイト管理人への連絡先がはっきりわからないこともあります。
 自分が面倒くさいからリンクフリーの方が都合がいいのですが、無断リンク禁止派の人の存在は意識しておかないといけません。個人の日記系のブログの場合は特に、相手がそういうものをどうとらえているか調べなければなりません。異文化理解というものです。
 
 リンクで嫌な思いをしたことがないためにわかっていないだけかも知れませんが、やはり私はコメントです、コメント。嫌がらせでリンクされたとしても、変なコメントが入らなければノー問題です。しかしリンクに比べると、批判コメント禁止を擁護するエントリーはほとんど見ません。私の探し方が悪いのかも知れませんが。
 自分の管理外の場所に貼られるリンクに抗議することに比べ、自分のサイトのコンテンツであるコメントをコントロールする方が正当な気がするんですが、無断リンク禁止に比べると全然市民権を得ていないようです。
 
 リンク問題はブログ登場以前からあったから歴史が古いのでしょう。Zさんが紹介して下さった倫理研第4回議事録 で取り上げられていたエントリー「Weblogのコメント欄は誰のもの? 」は、この種のものとしてはかなり踏みこんだ(個々の受容能力差を許容した)内容ですが、一般的にはまだまだです。このブログの読者様が、マイルールを許容して下さっていることには救われます。
 
 
 2月12日の記事。アメブロは、コメントの画像認証(この番号を打ちこめ、というのですか、初めて見た時は何かと思いました)が始まりました。私はしていませんが。コメントいろいろ対策考えてくれていますが、トラックバックはデフォルト拒否になってから全然対策が発展しません。