私が「広汎性発達障害」
「アスペルガー症候群」
を知ったのはかれこれ8年前。

もうそんなに月日がたったんですね…あせる
こうやって振り返ると
あまりの早さに驚きます。

当時、発達障害という言葉も
まだなかなか知られていなかった時代です。

息子が小学生になったころ
ADHDの息子は、ガサガサあせる
声は大きいし、忘れることはザラだし
ちょっかいを人にかけては、
しつこくかまって欲しいと
やってくる子どもでした。

そして旦那は、小学生になったら
「これくらいできるもの」というラインが
とても高く、父からみれば
ぜんぜん思った通りにいかない
子どもでした。

当時、自営業だった私は
仕事が続かない旦那に子育てを任せ、
家事を任せ、家の中にはいるんだけど
夜中に働いて昼に起きる生活を
送っていました。

旦那は息子ができないことを
ろくに教えることもせずに
できないできないと言っていました。
それがある日を境に
手が出るようになったんです。

そこからドンドン家庭内暴力、
今で言うDVですね…
そして子どもへの虐待へと
発展していきました。

そしてキレる旦那が、何故キレるのか
正直頭の中で?ハテナ?が浮かぶ毎日。

はじめは腫れ物に触るように
旦那を扱っていました。
キレるから言わないでおこう。
娘も息子もできるだけ、
目に付かないように・・・
ドンドン神経はすり減っていきます。

そんな中でも、この人は一体
何を思っているのだろう。
何を考えてこうなるんだろう。
頭フル回転で考えていました。

欲しいものがあれば、
欲しいものの事が頭から離れず
イライラして子どもにあたる。

毎日いつ怒るかわからない旦那が
46時中家にいるわけです。
昼起きてみれば、
何故か学校に行っていない息子。
私がおきた時点でもうすでに4時間も
真冬のベランダに立たされていました。

子どもの顔に青あざがあったり、
足や腕にもあざがあったのに
学校も通報してくれなかった。
先生に旦那の暴力を告白しても
誰に相談しても、何も変わらなかった。

子どもをかばい、夜の商店街で
抱きながら殴られていても
誰1人通報してくれなかった。
みんな助けてなどくれないんだ・・・
本当に追いつめられました。

だんだん心の自由が奪われていく。
今当たり前に生きている生活が
ドンドン遠くなっていく。

きっとこのままいけば、私旦那を刺すな…
そんなことを思ったときもありました。

でもそこでふと思ったんです。
何もできない私に責任があるんだと。
この家に大人は2人だけ・・・
子どもは私がここにいるから、
ここにいなければならないんだと。
私につれて逃げる勇気があれば
子ども達はこんな思いをしなくても
いいんだと・・・

今までは旦那のせいで
こんな風になっていると思っていました。
でも違うんですね!
自分が選んでいるわけです。
どんな思いからであれ、理由はどうであれ
私が選んでいるんです。

一歩踏み出す勇気・・・そしてきっかけ。

ちょうどその時、
偶然なのか必然なのか
テレビでアスペルガー症候群の男性の
ドキュメンタリーを見たんです!!

あれ?うちの旦那と似てる。
似てるどころかそっくり!!

これが私たち家族が一歩踏み出す
きっかけとなったんです。

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