モラルハラスメント脱出日記 -2ページ目

モラ脱出計画の一歩

「やっぱお前、働け」


バイトを辞めらせられ、専業主婦に戻った1週間後にまたモラは言った


「今度は日中働け!!!」


「保育園ってすぐには入れないみたいだよ?」


「なんでだ!!」


無知なモラ。認可保育所の入所が狭き門とはわからなかった模様


結局、無認可保育所へ探して就職活動を始める


保育料金は5万。賭けだった。


この不景気に仕事なんてそうそうないだろう


「男が居ない職場を選べ!!」


「直ちに探せ!!」


「お前はバカだから、仕事なんて選べないんだぞ!!」


毎日毎日、プレッシャーを与えるモラ。


が、運良く仕事が決まった


「仕事。決まったから」


「どこだ!!!」


モラは雇用契約書を睨みつけながら吟味する


「ま、いいんじゃないか?お前!!すぐにやめるなよ!!飽きて辞めたら離婚だからな!!!」


離婚、してもいいんだけどね


私の働く女の道がここで開けた


「お前!!俺は家事や子育ては一切手伝わないからな!!お前!!ちゃんと完璧にやれよ!!!」


プレッシャーを必死で与えるモラ


すでに、このときから私の脱出計画は始まっていた


無能な人間のモラ


しかし、私が職を持つことにより、モラのモラルハラスメントはエスカレートしてDVにまで発展していくとは私は予想もつかなかった。


この先が私にとって本当の地獄だった


束縛

助けて・・・


誰かにとても助けを求めたくなった。まだ私は26歳。こんなんで良いのか?


毎日、考えるようになった。息子はスクスク成長している。


息子が日に日に愛しい。愛しい分、次第に私は今後の我家の未来を真剣に考える


思い切って、近所に住む年上の主婦に相談してみた


「そうなのよ!!家の旦那なんて、家事は手伝わないし、子供の世話も一切しないんだから!!そろそろ、説教しなきゃいけないわ!!!」

・・・論点が大きく外れていた。


私の話す夫像と奥さんの夫像は全く観点が違う


家事や子供の世話をしない?だから、説教?


私なんてモラに説教したら、殺される・・・


悲観的になっていた。羨ましがる自分が居る。そんな自分が非常に醜く感じる。


夜、モラが帰宅


モラは上機嫌だった。思い切って話した


「ご近所の奥さんね、ご主人が家事や子育て手伝わないからそろそろお説教するんだって~」


「ふん。ばかじゃねーの、あの女。あの顔で嫁に貰ってもらっただけありがたく思え。身の程知らずめ!」

相変わらず、影ではものすごい事を言うモラ。その奥さんの前では仏様のような笑顔で接するのに。


「私が、もしあなたにお説教したら、怒るよね?」


つまみを食べているモラの箸が止まった


「俺に説教?・・・何考えてんだ!!誰のお陰で食ってんだ!!そうだ、お前、夜働けよ!!」


「働くって・・・息子が夜泣きしたら、どうするの?」


「俺がやってやるよ!!金ねーーーんだろ!?」



翌日から、私はバイトを探す


近所の飲食店のバイトがすんなり決まった。


夜10時から深夜3時まで。時給も良好。


その翌日から、私は出勤をすることになった


モラが帰宅して、つまみと夜食を作り、息子におっぱいをあげて出勤をする


フォローアップミルクが一缶あった。実家から贈られたものだった


「泣いたらこれを飲ませればいいな!」


「そんなに飲ませたら、ダメだよ。お腹すいて泣くわけじゃないんだよ」


「うるせーー!!俺にどうしろってんだ!!!」


出勤時間も迫り、後追いをする息子に後ろ髪を引かれながら出勤をする


バイト先は、皆良い人ばかりだった。男性しかおらず、女性の私は非常に大事にしてもらった


毎日、モラに邪険にされていたので、少々カルチャーショック的な場面もあった


仕事は、3時には決して終わらない。後片付けをすると朝の5時までかかった


体は疲れるが、モラから解放された私は楽しかった


「お前!!バイト先は男だらけじゃねーか!!」


どこから聞きつけたのか、突然すごい剣幕で言われる


「そうだよ。どうして?」


「お前!!男が欲しくてそんな仕事選んだんだろ!!!」


「違うよ!!」


頑なに否定するも聞いてもらえず


数日働くと、モラは仕事中に何度もメールをしてくる


今何してる?

一人で酒飲んでもつまんねー

息子が泣き止まない

暇だ

何で返事返さねーんだ?

浮気してんだろ?

仕事中は忙しくてとてもメールなんか見ることが出来ない


帰宅して説明するも


「お前はふしだらな女だ!!」


となじられ


「お前が全部悪いんだ!!!」


とののしられ、何だか分からないが私は謝罪をするようになっていた


しかし、私はモラから少しでも解放されるのが何より幸せだった


ある日、息子のおちんちんの脇が腫れていた


反対側のヘルニアがまた出てきた


緊急手術が必要になった


緊急入院をする。モラはまるで他人事。


またお金が無い・・・


「お前の実家から借りろよ!!俺の親には迷惑かけんなよ!!!」


私はまた親に頭を下げた。親は何も言わずまた貸してくれた


今回の入院も前回同様、私に対して病院で精神的暴力を図ったモラ


もう、私は慣れたのでしょうか?前回よりは、平然といられた


休まなくても良いのに、また仕事を休んで病院に一日居られる


「暇だ~」

「腹減った~」

「イライラする~」

いい加減ウザくなっていた


「そんなに居たくなければ、帰ったら?」


とうとう、言ってしまった。


当然モラはぶち切れて帰宅


何も言えず、弱かった私だったが、仕事を持ったら自身が沸いてきたのか?


元の自分に戻ろうとしていた


手術も終わり退院。


「お前!!もうバイトやめろ!!!女が外に出るとろくなことが無い!!」


「生活は?お金ないんでしょ?」

「そんなのお前のやりくり次第だ!!!」


「無理だよ!あなただけの給料でやってけない。しかも、借金あんだよ!車のローンも払えないよ!!」


「はっは~ん!お前、男だな!!男居るだろ!!」


「いるわけないでしょ!!」


「バイト先に男が居るんだ!!俺はその男を訴える!!そして、お前からも金を取る!!」


突然、暴れだす


息子がその姿を見て、目に涙を溜めてじっと私を見ている


とても悲しい目をしている8ヶ月の息子


「息子が・・・悲しい顔で見ているよ・・・こういうの辞めようよ」


「まだわかるわけねーだろ!!!」



結局。私はバイトを辞めた。


私は縛られている。すべてモラの支持で生きなければいけない


また私は自由を失った

全てが恐怖だった

モラの傍若無人ぶりは日に日にエスカレートしていく


パチンコが大好きなモラ


休日ははサラ金で借金をしながらパチンコへ行く


その事で口を挟めば、すぐに機嫌が悪くなり一日中、家の中で私のあら捜しをする


「飯がまずい!!こんな飯食えるか!!」

「家がほこりっぽい!なんてだらしの無い女だ!!」

「お前は俺が付き合った女の仲で一番最低な女だ!!!」

次第に私は、借金をしてギャンブルをするモラに何も言えなくなっていた


体中に蕁麻疹ができた。体中が痒い。お金がないので病院にも行けない


食事は、一日一食。ご飯にしょうゆをかけたり、卵をかけて食べていた。


赤ちゃんにお乳を飲ませなければいけない。ミルクも買うお金がないので必死でお乳をあげる


私は、思考能力がなくなっていた。すべて自分が悪いし、間違えている・・・そう思い込むしかなかった


そして、時々ものすごい恐怖感が襲う


モラと一緒に行動すると、突然恐怖感が沸くのです


ある年の冬


モラは車を買った


車道楽のモラ。納車の日、帰宅してすぐに


「ドライブ行こう!!」


といわれた。しかし、赤ちゃんである息子の様子が夕方からおかしかった


明らかに、具合が悪そうな息子


「息子が体調おかしいから、私たちはお留守番するね」


と言った瞬間、すでにモラは不機嫌になった


「おれは!!今日は外食してドライブする予定だった!!家族サービスするんだぞ!!」

「お願い・・・息子の様子が夕方からおかしいの」


「大丈夫だ!!行くぞ!!!」


無理やり連れて行かれる


7ヶ月の息子。そろそろ母乳の免疫が切れて風邪など引く時期です


モラは不機嫌な様子だったが、新しい車に乗るとすぐにご機嫌になった


この車のローンはどうするのだろう

これ以上借金を増やされてこの家はどうなる?

いろんなことを考えると突然恐怖感が募った。あぶら汗が流れて手が震える。


モラにバレないように、私は極力笑顔でいた


突然、息子が咳き込み始めて泣き出した。


一生懸命あやす私。その瞬間、息子は嘔吐をした。車のシートに汚物がかかった


「お前!!何やってんだ!!!」


モラは大声を出した。私は、すかさず「ごめんなさい!!ごめんなさい!!」と謝った


「ふざけんな!どうしてくれんだ!!早く拭け!!!」

息子は火がついたように泣く。体が熱い。熱がある模様。


「何やってんだ!!!!早く拭け!!!!しみになる!!!!!」


私は一生懸命拭いたが・・・しみになった


一気にモラは不機嫌になる


「帰るぞ!!!!!」


そのまま、家に向かう。内心ほっとした。息子をやっと布団に寝かされる


家に帰り、モラはすかさずビールを飲む


シートを汚したことで説教が始まった


「お前の管理が悪いから息子が病気になるんだ!!!」


私が・・・悪い・・・私が・・・悪いんだ・・・


そう思いながら、息子の熱を測ると39度もあった


冷やしたり、体温調整に苦戦する私。隣の部屋では酒を飲みながら私に説教をするモラ


息子のことよりも、車が大切なモラ


モラが寝るまで私は謝り続けなければいけなかった


息子の体調も心配で、私は徹夜で息子の様子を見ていた


翌朝、モラは不機嫌に起床。一言も喋らず、家を出る。


私は、息子をおんぶして一駅先の小児科まで歩く。お金がもったいなくて電車には乗らない


20分位、雪の中を歩いた。


頭の中は息子の体が心配な自分と、モラが帰宅してからの事を恐怖と感じている自分がいる


そして、借金地獄・・・蕁麻疹があっかして気が狂うほど痒い


当時の私は26歳。人生をあきらめていた


すでに人と会話するのもおっくうに感じていた



息子の手術の日

息子のヘルニア手術当日


前日からほとんど泣いてばかりで寝ていない息子と一睡もできなかった私


手術は午前10時から。


モラは9時に病室へ来た


周りの人たちに(小児病棟なので付き添いのお母さんやお父さん)


「いや~夕べはうるさくてご迷惑かけてすみませんでした!!」


とペコペコ頭を下げる


他人には異常に愛想が良いモラ


9時半になると私の両親が見舞いに来た


たくさんの食べ物や、見舞金を継母は私に差し出してくれた


正直、お金がない私は本当にありがたかった


涙が出そうだったが、ここで涙を流したら、誰も居なくなった後で


「何であそこで泣くんだ!!まるで俺が情けないみたいじゃないか!!!」


とモラに罵倒されるのが関の山。私は嬉し涙も流せないほど、追い込まれていた。


手術も無事に終わり、両親は帰っていった


見舞金を見てモラは


「どうせあぶく銭だ!!退院したら寿司でも食いにいくか!!」


とのたまった。


あぶく銭


私の両親が孫のために持ってきたお金


自分の親は孫の手術当日は何をしているの?すぐそばの距離に住んでいるのに、しょっちゅう


嫌味を言いにくるくせに、孫の手術は来ないの?・・・本当に大きな声で言いたかった



翌日午前中に退院をした


車で家に帰る途中


「さ~!寿司食いに行こう!!」


モラは、高級寿司屋に車を走らせた


術後で疲れている息子


ほとんど寝ていない私


この時すでに


離婚


の二文字が頭を過ぎっていた


当然私は、寿司など食べられる元気はなかった


息子は乳飲子。


モラは一人で自分を美食家と謳いながらビールと寿司を堪能していた

息子入院

モラの傍若無人はますます酷くなる一方だった。


ある日の夜


帰宅すると、機嫌が悪いと一言も喋らず、ムスッとする


怒鳴られないように、腫れ物に触る感覚で私は酒とつまみを出す


息子のおちんちんの脇が腫れていた


驚いて病院へ行くとソケイヘルニアだった


手術が必要だった


初めての子供の病気で私はパニックだった


「お前!!お前が悪いんだ!!何でこんなことになったんだ!!」


モラは私を延々と罵倒した


私は泣いて謝るしかなかった


私のせいで、息子はヘルニアになった


そう思い込むしかなかった


手術費用がない


「どうすんだ!!何で金ねーんだ!!」


借金返済で生活費はほとんど残らず、私の貯金で食べてきたがそこをついた


「全部お前が悪いんだ!!どうにかしろ!!ただし俺の親は当てにするな!!!!!」


私は、実家に頭を下げて手術費用を借りた


父親は、母が他界してから再婚をし、私の父親ではなくなっていた


連れ子の父親になっていた


でも、頭を下げて貸してもらった


継母は当然おもしろくない。でも、最終的には貸してくれた


モラ夫やモラ家族よりもありがたい継母


本当に感謝をした。継母に気を使いながらも父は私と私の息子である孫を心から心配をしてくれた



数日後、モラ母がアポなしでやってきた


息子の入院の前日だった


私は入院準備をしていた


「お金、私は出せないから。娘たちも貸すことないと言ってるわ。あなた、お母さんが居ないから本当に気の毒ね。お母さんが居たら甘えられるのにね」


そういい、帰っていった。


どうして、そこまで私をいびるのか?疑問だった。嫌われる私にも原因あるのだろう



入院当日


モラは仕事を休んで病院に来た


「いや~仕事するより病院居た方が楽だ」


「腹減った!寿司食いたい!!」


「ビール飲みたい!!」


「家のお母さんが言ってたけど、ヘルニアなんて風邪みたいなもんだろ?大げさなんだよ!!」


他にも暴言を吐きまくったモラ。いろいろ思い出すと当時の憎しみが蘇るので書きません


深夜になると息子は不安になったのかずっと泣く


泣けば、ヘルニアが出てくる。私は不安になっている赤ちゃんの息子を一生懸命あやしたり


励ましていた


「いつまで泣かせてんだ!!他の患者に迷惑だろ!!」


モラはイライラし始めた


「あ~~~~ビール飲みてー!!でも、ここで俺が一人で帰ったら看護婦さんとかにろくでもない父親だと思われるから我慢してんだ!!!」

「何でよその父親はあんなに子供に手をかけるんだ?まるで何もしねー俺がダメオヤジみたいじゃないか!!」

切れ始める


3時間以上も狂ったように泣き続ける息子


切れるモラ


「あなたは今日は疲れているから、もう帰って眠りなよ」


「お!!そうか!!俺が居てもどうにもなんないしな!!じゃーな!!がんばれよ!!」


21時にモラは帰宅


その日の晩は息子は不安なのか泣き続けていた


私はおんぶをして、一晩中、病院を歩き回った


子供が6ヶ月位になると、家族で外出が増えてきた


私には、それが苦痛でたまらなかった


車のドアの閉め方で罵声を上げられ、渋滞にはまれば、いきなり不機嫌になり、前の車がトロイと


前の車の運転手のむなぐらを掴んで文句を言いに行く・・・


モラの傍若無人ぶりは一気にエスカレートした


私は怖くてたまらなかった。


コンビニ行けば、若いお兄さんに喧嘩をふっかけたり、見知らぬおじさんに因縁をつけたり


当時の私は完全に自分の人格を押し殺して生きていた


友達と会うのも禁止、男友達は全員絶縁


挙句の果てにはモラの友達との接触も禁止


モラは異常に嫉妬深かった


「お前の猫、捨ててこい」


独身時代から買っている愛猫


猫は毎日モラから虐待を受けていた


見ているのが苦痛で、何度も止めに入るも罵倒され、物を投げられる


猫なのに、檻に入れられていた。


誰にでもなつく猫だったのに、モラに毎日いじめられているうちに、私にまで寄り付かなくなった


モラが居ない日中はコッソリ檻から出していた。猫はいつも窓を開けようとする


必死で逃げようとしている。


逃がしてあげよう・・・


私は、愛猫を逃がした。


「ごめんね・・・ごめんね・・・本当にごめんね・・・」


何度も後ろを振り返る猫


「帰ってきたくなったらいつでも帰ってきて良いからね」


振り返らず、猫は歩いていく


私は泣き崩れた


猫との思い出が蘇ってくる



モラ帰宅


「あのうっとおしい猫がいなくてせいせいするわ!!これで、俺はやきもちを焼かなくてすむ!!」


私は、自分がしてしまったことに対して嫌悪感が一杯だった


私が悪いんだ


私のせいでこんなことになってしまったんだ


もう、消えてなくなろう


私は地獄に落ちて償おう


自殺の計画を立てている自分がいた


生活苦

生活が苦しかった


借金、飲酒代でモラの給料は無くなる。私の貯金で食べて行った


「お金が無い」というと


「お前のやりくりが悪いんだ!!お前が悪いんだ!!!」


と罵倒される。みじめだった。


私は、独身時代に買ったブランド物の洋服やバック、財布、アクセサリーを質屋に売って赤ちゃんの物を


買い揃えていた。


なんで、こんな生活を送らなければいけないんだろう・・・


日中、赤ちゃんが寝ている時間はずっと泣いていた


公園で友達になったママさんなど、ご主人の悪口で盛り上がっているが、私は凄く羨ましかった


悪口のレベルが低いからだ


育児を手伝わない

家事もやらない!!

仕事ばかりしている!!

そんな程度で悪口を言うの?


あなたは、毎日ご主人の機嫌を気にして生きたことある?

お金が無くて、質屋通いをしたことがある?

退院当日から即家事を再開させられたことかる?


心の中で、叫んでいた


ご主人に感謝して、もっと外でご主人を立てればいいのに・・・


悲観的な自分が居た


そして、モラ母。


よっぽど暇なのか、しょっちゅう嫌味を言いにアポなしで来る


「ちゃんとお兄ちゃんの健康管理してる?」


「あなたは暇でいいわね」


「この赤ちゃん、家の系統じゃないわ。かわいいとは思えないのよ。・・・あなたも良いおもちゃが出来てよかったわね!私にもおもちゃを貸してよ」


私の赤ちゃんをおもちゃ扱いにされた


さすがに、怒った私


「おもちゃって言わないでください」


モラ母は凄い顔をして帰って行った



モラは帰宅するなり


「お前!!悪いと思わないのか!!家のお母さんに何であんな態度つくんだ!!!」


3時間位、攻められた


泣いて詫びている自分。


本当に消えて亡くなってしまいたい


死んだら、お母さんに会えるかな・・・ずっとそんな事ばかり考えていた

退院当日

退院


我家へ赤ちゃんを連れて帰宅


家の中は散乱している


「猫も居るし、汚いから掃除しろ!!」


私は、徹底的に掃除をした。雑巾がけもして念入りに部屋を掃除


キッチンには、食器やらコップが山盛りになっている。全部洗った


夕飯を作らなければいけないので買い物にも行かされた。


赤ちゃんに授乳もする暇もなかった。胸が張って痛い


赤ちゃんの為。がんばらなきゃね


すべては気力だった。


そして、夜。


モラは浴びるほど酒を飲む。上機嫌だったので安心をしたのも束の間


「お前!!俺の親に感謝しろよ!!」


いきなり、大きな声で言われた


「俺のお母さんは、いろいろ気を使っている!!悪いと思わないのか?」


「・・・うん、気に入ってもらえるようにがんばる」


「そうだ!それでいいんだ!!全部お前が悪いんだ!!お前が全部悪い!!!」


何が悪いのか聞きたかったが、あえて聞かない


また、怒鳴られるのが関の山。


そう、モラの機嫌を悪くするもの、モラ母がヒステリーになるのも全部私のせい


私が悪いんだ・・・


そう思い込むしかなかった。


機嫌が悪いモラは、いきなり体を求めてきた。


産後8日目だしさすがに拒否をした。


案の定、切れた


「俺が浮気したってお前は文句言えないんだからな!!」とドアを思いっきり閉めて寝室へ行った


タイミング悪く、赤ちゃんの夜鳴きが始まった


「うるせー!!泣き止ませろ!!!」


必死で泣き止ませる


「なんなんだ!!お前それでも母親か!!!」


一時間ほどして、赤ちゃんは泣き止んだ


深夜3時半だった。


私も床についた


いきなり、寒気がする。体が痙攣した。


頭が割れるほど、痛い


結局、一睡も出来なかった


こんなことでモラを起こしたらまた罵倒される。必死でこらえていた











孤独

産後1週間入院をした。


入院中はモラは毎日朝晩来た。とても優しかった記憶がある


「陣痛で苦しんでるお前を見て、俺は決めた。俺はお前に優しくする。今までごめん」


率直に嬉しかった。反省をした模様で、嬉しかった


しかし、今度はモラ母。


モラ母は、見舞いに一回来た。病室に入るなり私に挨拶もせずいきなり


「まーーー!!家の子達(モラは長男。下にモラ妹二匹あり)そっくり!!家の系統の子だったらいいわねー!」


といきなり、病室で騒ぎまくった。


「ちゃこちゃん、お母さん居ないからかわいそうね~!普通、お母さんが居る人は産後にお母さんにいろいろお世話をしてもらうのよ~!あ~かわいそう!!家の娘達が赤ちゃん産んだら私は全力で娘と赤ちゃんのお世話するわ~!あ~ちゃこちゃんって本当にかわいそう!!!」

傷つきました。グサリと来た。


さすがに、その日は凹んだ


夕方、私の父と弟がたくさん食べ物を持って見舞いに来た。


来てくれただけでも、私は嬉しくて泣きたくなった


父と弟は毎日見舞いに来てくれた


退院前日、モラは「飲み行くから!!いけないから!!」と言い来なかった


ついでに「お前の実家の奴らが来るからうちのお母さんは気を遣って孫の顔も見にいけないんだぞ!!自分の実家だけひいきしやがって!!」と暴言を吐き、一方的に電話を切られた


また私は途方に暮れた


私には、見方がいない。天涯孤独だ。もう、嫌だ。死にたい。消えてしまいたい


産後でホルモンバランス乱れまくっていたせいか、私は一睡もできなかった

出産

臨月に入ると、私のお腹はとても大きくなっていた


さすがに、夜の夫婦生活は求めてこなかった。しかし、臨月間近まで欲求を満たす道具にされていたと思う


と悔しくてたまらない。


ある日の朝方4時。破水をした。


すぐに病院に行くと「まだ産まれないから陣痛の感覚が狭くなったら来てください」と言われ帰宅


モラは「おめー!産まれそうなんて嘘ついたな!!」と怒鳴る


私はシュンとした。普通の旦那さんだったら優しくいたわってくれるんでしょうね?


私の場合は違う。常に自分のことは自分でしなければいけないし、モラの機嫌を損なうことがないように


慎重に生活をしなければいけない。


夕方になり、だんだん私は陣痛の感覚が狭くなってきた。


苦しい・・・あぶら汗が流れる。モラは相変わらず飲酒


「おめー!!そこにほこり溜まってるぞ!!片付けろ!!!」


怒鳴られるが、私は返事をする事ができなかった


しかし、陣痛の最中もモラが怖かった。出産への不安、モラへの恐怖感


気が狂うほど、精神的に苦しかった。


翌朝、私は無事に赤ちゃんを産むことが出来た


その日は大雨で肌寒い日でした