今裸にしたい男たち | ちゃかのふつうなひび、ときどきえっくす

今裸にしたい男たち

NHK BS2 2003年3月24日放送
BShi 75分番組を120分(完全版)で放送したものの内容です。


記事、長いです(^^;)







2002年半年の取材のドキュメンタリー


■2002年8月ロスのスタジオでの活動の様子

スタジオでレコーディング作業のYOSHIKIは、トレーナー姿で髪も適当にハネたまま(寝癖?笑)
一人真剣に作業しているときはこんなに普通なのね、と妙に安心(笑)。

アコギの音を一音ずつサンプリング録音する作業の様子が映った。
広いスタジオに一人で入り、息を止めて1本の弦を「ビィ~~~ン」と弾いて音を出し、余韻が消えるまでそのまま息を止めて録音。
これを一音につき、弾き方を変えて何度も録音していく。
「・・・うん、今のはいい音だ」・・・ってもう完全に職人って感じ。

レコーディングは、YOSHIKIの頭の中にある完璧な曲のイメージを求めて膨大な音を組み合わせて行っていく。
それも、各楽器すべてに完璧なイメージがあるとのこと。
今日の作業では、200何十小節の曲のうち、進んだのは16小節だったとのこと。
レコーディングに時間かかるわけだ・・・(^^;)


■ニコル(VUKのボーカル)を自宅に招待

ひとりで暮らすYOSHIKIは、ニコルとその連れの男性に自らワインを選んでサービスするのだが、
素敵なキッチンにグラスを取りにいくと、炊飯器があって、そこだけ生活観が漂っていたよ(笑)。
YOSHIKIは『腱鞘炎なので』と、スタッフにワインを開けてくれるように頼んでいた。

この頃のYOSHIKは、神経質そうな青年にしか見えない。
なんか猫背だし(笑)・・・引きこもっているからかな?
それが、蓋を開ければスタジオを持ちビジネスもこなし、ステージに上がれば美しいピアノを奏でて雷神のようなドラムを叩くカリスマなんだから・・・(^^;)

こうやって飲みながら音楽業界の情報交換をしているのだそうだ。


■その他プライベート公開

作曲作業をするYOSHIKIの姿なんて、滅多に見れねーぜ!(笑)
机に向かって無音の中で楽譜を書いてる。
机上にキーボードも置いてあるが、見るだけでほとんど弾かないそう。
ぱっと見、作曲してるようには思えません。

その他 ジム・マッサージ室(首と手首の)・寝室・めざまし時計w・バスルームなどなど。
ようつべでよくアップされているシーン。
きゃっYOSHIKIサンダル履き(笑)

この時のYOSHIKIは手首に黒いギブスをしたまま。お風呂に入る時以外は寝る時もしているそう。
バスルームにはAV装置が整備され、お風呂でテレビを見たりクラシックを聞いたりするのが一番の楽しみだそう。
毎日が戦いなので、落ち着くんだって(^^) わかるわ~癒されてくださいね♪


■2002年11月スタジオの様子

このスタジオ ONE ON ONEは8年前手に入れた。(1994年)
DAHLIAがこのスタジオで作られた第1号の曲だそうだ。

このスタジオには4000時間分のXJAPANの未公開映像テープが存在している!と言うことで、膨大な量のビデオテープなどが映った。
その中から1996年2月のYOSHIKIの様子の映像が紹介された。

どこの会場かな、ステージセットでの練習の様子。
この時HIDEもリハ中で、きっちりメイク。かわいい~~~!なんかの撮影あったの?(^^)
YOSHIKIは白のトラックパンツだけで多分スッピンでひたすらドラムの練習をしている。

それと、1995~96年ダリアツアー中盤の名古屋レインボーホールでの、「紅」での肩の痛みの瞬間の映像。
控え室に戻り、「イタタタタタタ!」と悲鳴を上げてベッドの上で足を踏ん張る痛々しいシーン。
肩の筋肉が切れたため、ストレッチャーに固定されたまま救急車で病院へ向かったのだった(T_T)。


■スタジオの機材を大手音楽会社の社長に紹介する。
5~6年かかって集めたすごい機材たち。

2階のビデオ編集室ではXJAPANの編集作業中。
Art of Lifeだ~!
YOSHIKIは、編集にも曲と同じように完璧なイメージがあるとのこと。
日本から届いていない映像があるということで「な~んで!?信じらんない、もうー(ё_ё)」とイカるYOSHIKI(笑)

そうかと思うと、すぐ別のスタジオへ移動し別の作業にかかる。
スタッフはいつでもYOSHIKIが作業できるように待機している。


■海外デビューをやめた理由
1995年DAHLIAのレコーディング中にやめようと思った?
やってもダメだと思った。
メンバー全員のベクトルがそっちの方向を向いていなかったと言うことらしい。
他のメンバーはオフになると日本の帰っちゃう。
デビューしたい人間は掃いて捨てるほどいるのにそんなんでできるわけない。
そんなんならやめちゃったら?と思った。
YOSHIKI、初めての挫折・・・


■そして、XJAPANの解散、HIDEのこと・・・。

1993年、無くなった父に向けて書いたTears。
このシーンでは、Tearsに乗せて、XJAPANの数々の映像がつなぎ合わされているのだが、これが素晴らしく悲しく美しい。
WithoutYouの映像以上に泣ける・・・(T_T)

元々YOSHIKIは外に出るのがあまり好きでないのだと言う。
ステージに立っちゃうとなんてことないんだけど(^^;)、人間恐怖症みたいなところがある(笑)。
HIDEのことがあって、ロスに渡って人に会うのもいやで引きこもっっちゃった。

でもその後、いろいろ考えて、ぼーっと存在してるだけじゃなくて「生きよう!」と思った。
変えられないもの(過去)に対して悩むのはやめようと思った。
(この辺、『私はあきらめない』と同じような感じ)


■2002年2月 韓国上陸。
YOSHIKIが韓国の空港に到着した時、ファンの人達が出迎えているのだが・・・
YOSHIKIもみくちゃで、キケンだああああ(^_^;)
警備ちゃんとしてるんでしょうか?( ̄△ ̄#)
韓国でのフィルムGIGに5000人が集まったそうだ。


■2002年11月
スタジオ作業のYOSHIKIの孤独な姿に戻る。
愛知万博・CM音楽・VUK・X映像編集・パリの仕事・そして、日本でのシンフォニックコンサートの準備など超多忙な様子。
思うように作業が進まないスタッフに「ちゃんとやってくれ」と怒る。
ここはようつべにアップされてるのを見たことある。

「人に任せられない作業なので・・・責任感は昔より強くなったのかな・・・うん、気持ちは同じですけど」と言いながら表情がなんか気弱でさびしそう・・・。


■VUK契約のビジネスマンとしてのYOSHIKIの映像
レコード会社の人達を自宅に呼びパーティを開いている。
寿司&ワイン?(笑)
音楽を愛していることを熱心に語り、自分を売り込んでいた。
VUK、この頃からレコード会社と契約をしていて、未だにアルバム出てない(^^;)


■2002年11月31日 日本でのシンフォニックコンサートリハ
本番3日前に最終リハにやっと合流したYOSHIKI。
2晩徹夜で日本に来たらしい(><;)
まずは指ならしにハノンを弾く(笑)。
そんなYOSHIKIに熱い視線を注ぐバイオリニストの女性達が映っていて(^u^)プププ。
オーケストラ用作曲も全てYOSHIKIがしている上、VUKもやるのでその準備もしなくてはならない。
ここは、気心の知れたXJAPAN時代のスタッフを呼んで楽しそうに準備に勤しむYOSHIKI。
この時のYOSHIKI、ほぼスッピンデス!
この辺、なんか、急にYOSHIKIが生き生きしてくる!
旧知の人達に会えたからか、本番に向けて気合が入ってきたのか(笑)


■2002年12月3日 シンフォニックコンサート本番
自分のピアノ譜が出来上がったのは本番の数時間前だった。お疲れ様です。

メイクをして控え室から出てきて「キンチョウするっ♪」と小声でつぶやいている(〃∇〃) カワエエ

YOSHIKIがステージに出ると、クラシックコンサートとは思えない歓声が客席から飛ぶ~。

後半VUKのBLUE BUTTERFLY演奏の最後の頃、アップになったYOSHIKIの指から血が出ていて、
渾身の演奏だったようす。
終わったあと、とても満足そうで気分が高揚している様子でしゃべりまくっていた。
「今度はほんとのバンドで勝負しなきゃ!」と言って、突然歯を磨く(笑)


■3日後
ロスでのレコーディング作業に戻っている。
「まだ僕は名詞を持ってない。」
これは実際の名詞ではなく、CDなりなんなり、自分の作品と言うことで、とりあえずアルバムを1枚完成させる、と決心を語っている。・・・これが2002年かぁ・・・(^^;)
この時レコーディングしていた曲は、9.11を歌った名前のない曲(7thなんとかって曲? )
VUKのボーカルのDaughterは、TOSHIと同じように厳しいレコーディングをしてるのか?


■2003年1月
帰国し、テレビ50周年の特別番組に出演した時の映像で締めくくり。