本田圭佑と父 必然のビッグマウス | 心のあるままに

本田圭佑と父 必然のビッグマウス

一日一回はユニクロのCMにお目にかかることができ、サッカーの神様に日々感謝の今日この頃。


昨夜、upしようとせっせと書いて、あらかた出来あがったところで

下書き保存しようとしたら、メンテナンスで保存できないあせる

時間みたら、2:01

あと1歩だったのにがくっ

仕方なく朝まで立ちあげたままという暴挙にでました・・汗

今朝恐る恐る8時すぎに来てみると、無事残ってた~よかった~♪


今回の話は前回宣言しておいた「Number」平成21年12月24日号の圭佑くんの

お父さんのインタビュー記事の内容です。

いつも、圭佑くんの言動には大きな感動をもらい、その人間性の良質さに感心することしきりなのですが

その圭佑くんが、まるで小さな子どもに思える本田父の言葉は

ストレート且つシンプル。ブレない強さも人としての温もりもある。

「この子にしてこの親ありです」

まるっと掲載するのは、ちょっと大変だったので、お父さんの言葉を中心に抜粋して

まとめています。

いや~宣言しといてよかった(^_^;)

そうでないと、多分やってなかった・・(笑)

本田流に自分を追い込んでみました。

抜粋してても、結構長いのでお時間のある時におつきあいください。





圭佑くんのお父さんも小学校の頃ペレをみて憧れ、中学校3年間と高校1年の2ヶ月間を

サッカー部で過ごしたそうです。


圭佑くんと兄、弘幸さん兄弟が本格的にサッカーを始めたのは

弘幸さんが小学校5年、圭佑くんが2年生のとき。

Jリーグ創設2年目。日本国内がサッカー熱に覆われ、地元の摂津市にも新しいサッカークラブが

いくつもできた年でした。


「お父さん、おれらサッカーやりたい。」

「おおそうか、やりたいんやったら、やったらええやん。」


2人は摂津FCに入団する。


「うちは、今もそうですけど、すべて本人らが自分で決めます。

僕は後ろから、こうちゃうか、ああちゃうかと、やるんやったら、

お前が決めろと言う、それだけの話です。」(本田父)


お父さんは2人を小学校のグラウンドや淀川の河川敷に連れて行き、サッカーのいろはを教えたそうです。


2人がサッカーを始めて間もない頃、両親は離婚します。

2人はお父さんに引き取られましたが、仕事が忙しいお父さんに代わり実質面倒をみてくれたのは

父方の祖父母でした。



「子育てに関しては何もしてないです。圭佑がピーマン食べられないと、

頭をごつんとやって、痛いのとピーマンとどっちを我慢する?

ほんなら、1回で食え、みたいなことぐらいです。

立派な教育者なら違う方法でピーマン食べさせられるんでしょうけどね。

家のこと教育のことは両親に任せきりでした。」



でも、週に一度程度でもお父さんが戻ってくると一緒にサッカーをし、寿司や焼き肉を食べに出かけ

楽しい時間を過ごしていたようです。

この頃圭佑くん兄弟はどんな時でも一緒の時間を過ごし、学校が終わると日が沈んでも

2人でサッカーの練習に明け暮れていました。

その後小学、中学と、お兄さんは帝京高校、圭佑くんはガンバのジュニアユースに進み

サッカーを続けていましたが、お父さんはこの頃の2人の試合をほとんど見たことがないそうです。

試合会場までの送迎を頼まれれば快く引き受けても、試合の最中は車の中で寝て過ごしていたのだそう

(笑)



「興味ないんですよ。人のことには(笑)。下手やから見てても面白くないしね。

弘幸や圭佑も同じ考えだと思います。こういうサッカーを誰かがしてるから見たい、というより、

そのサッカーを僕らがやりたいんや、と。

だから、テレビで大事な試合があっても、2人はボール蹴りに行こうと言って、

練習のほう、自分たちがプレーするほうを選んでました。」



(以下本文より)

自分がニコニコしていれば周りの人間もニコニコできる、自分は自分で楽しめることをやる

本田家にはそんな哲学がある。

息子たちの試合を観ることはなかった父だが、圭佑チームのフェミリーデーがくると

ひょっこりグラウンドに姿を現した。



「子ども対親で試合をやる日っていうのがあったんです。その時に限ってオヤジは来る。

それで、どのオヤジたちより上手いんですよね。オヤジはゲルト・ミュラーが大好きで

ストライカーじゃないとあかんって常々言ってたんですけど、

センタリングが上がったら、ばーんとヘディングで決めたりする。

口だけのオヤジじゃないって、その1回で見せつけてくるんです」(圭佑)



息子は自分で人生の方向を決めて、それを父に報告し、

父はその決断にいくつかのアドバイスを与えて送り出す。



「高校も圭佑が勝手に見つけてきたんです。

何でもいいけどゼニないから特待生じゃないと行かせへんよ、とは言いました(笑)

でも、後から考えたら特待って学費だけで、スポーツ選手は

他にびっくりするぐらい金がかかりますもんね。

メシも一日4,5回食いますし、遠征費とかユニフォーム代とかもある。

その都度、お金請求してきますから。

お父さん、スパイクが必要なんや、とかね。

だいぶウソもあったと思いますけど」


しかし、これはウソではなかったらしい


「スパイクは必要だった、それは間違いないんです。

でも1万円のスパイク買うから金送ってくれって言ったら、

確実に5千円のスパイクを買ってたと思います(笑)

そこに関してはオヤジとの勝負です。人が納得するように口説け、と。

スパイクが必要だ、その通りのことを言って1万円振り込ませた俺の勝ち、です。」


本田家では頼みごとをするたびに、そこには責任の二文字がついてくる。

例えば、弘幸がプロテイン代を頼むと、父は

そんなん普通にメシ食ったら大丈夫ちゃうんか?

そこに頼る時点でおかしいんちゃうんか?

と質問をする。答えに納得すれば、父はその費用を負担してくれる。

しか、そのプロテイン代分、サッカーでの活躍も求められる。

靭帯を切ってしまえば、お前はなに飲んでんねん、ということになる。



やりたいことをやったらええ。

その代わりにひとつだけ、父が2人の息子に何度も言い続けた言葉がある。


「1番にならんとあかんよ。2番はベッタ(ビリ)と一緒やで、という話は常々してました。

人間苦しかったら、すぐしょうもないことでケンカになったりする。

逆に余裕があれば、周りに対してものすごく優しいですやん。

だから余裕を持つためには、常に1番をキープしないとダメやぞって。

何が1番の基準かというのは別の話として」



目的がどこにあるのか、それだけはちゃんと最初に聞いておき、

そこに辿り着くためにどうするのか。

そういう話を父は2人の息子を交わしてきた。



「だってお父さんだって、でけへんやん」


息子たちがそんな台詞を口にするたび、こんなふうに叱り飛ばした。


「ほっといてくれ、俺はでけへんでええねん。お前の目標は俺なんか?

もしそうやったら、練習なんかせんでも今すぐなれるよ。

でもお前の目標はもっと上にあるんやろ」


「そこはオヤジの教育の才能だと思うんです。じっさいオヤジが怠けようが、

自分のことを棚に上げようが、どうでもいいことなんです。

俺がプロになりたくて、俺が一流になりたいってだけの話ですから」



プロになって2年後オランダに渡った圭佑くんでしたが、

2部降格という現実を突き付けられ、自身のプレースタイルを見直すことになります。

これが2部優勝の原動力となりMVPを獲得。

しかし、この高評価にも

「どないかして悪いとこを見つけますね。」とお父さん。



心のあるままに



「圭佑は今、点にこだわってますけど、あれは小学校からずっと言っています。

点獲ってなんぼやと。でも、プロになってからパスの美学がどうのこうの言い出して。

頭おかしいんちゃうか言うてね(笑)

点獲るやつしか新聞にも雑誌にも載らへんぞ、

ヨーロッパのバリバリのチームにおってパスの美学言うたらわかる、

けどこのサッカー音痴の日本で、守備やヘチマや言うたら、誰が見んねん、と」



「自分のイメージと現実のギャップがあまりにもあるんです。

少しずつ階段は上がってるけど、自分が凡人だというのを感じながら生きています。

(中略)ただ僕は全然諦めていない。

将来、世界一っていうものに辿り着くために必要なことをひとつひとつ、

どれだけ距離があったとしても僕は信じて疑わずにやりたい。

脚だってトレーニング次第ではまだまだ速くなる。

23歳で気付くのは遅いけど、気付けたのはよかったと思っています。」




弘幸と圭佑の2人がまだサッカーを始めて間もない頃、

ある日テレビ画面に映し出されたフェラーリを見て、父が言った。


「お父さん、この車好きやねん、プロになったら買うてな」

息子たちは声をそろえて答えた。

「買うたる、買うたる、そんなん俺らがなんぼでも買うたるよ!」


それは、息子2人にとって今も果たすべき約束として存在している。

圭佑は未だ一度も自分の金で車を買ったことがないのだという。


「本気ですよ。1台目はオヤジのフェラーリでありたいなと願ってます。

ただ、まだ買えてないので偉そうなこと言わんとこうと思って。

1年か2年後には買いたいです。25歳までに買えないようじゃ、1番にはなれないですもんね」



その後

圭佑くんが『もう買ったるで』と言うと


お父さん曰く


「今の家見てみい、あっこにフェラーリあったらどう思うねん?

屋根つきのちゃんとした駐車場が必要やろ。

1考えたら10考えろ、フェラーリに見合った家を先に買え、ボケ」




心のあるままに



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ボケ で締めくくられているところが、なんともらしくて笑えます(*^ー^)ノ

最後のページのお父さんの直筆の言葉は

「ほったらかし」


とはいえ

この場合は子どもの後ろから黙って見守っていたというべきすよね。

これがわかっていても、なかなか出来ない 苦笑

親は干渉しているほうが楽なのです。

結局は自分の不安な思いを言葉に出して吐き出してしまってるだけ。

本田父のようにするには、親自身が強靭な精神力がないとできません。

同時に深い愛情も。

試合について行って見ないで寝てるなんて、マジあり得ん(笑)

ボールの行方に一喜一憂し、「試合見に来てもいいけど、黙っとって」

と緘口令が布かれている私とは大違いです。


1年以上前の記事なので、その後フェラーリは買えたのかな?(^-^)

その前に、立派な屋根付き車庫があるお家は?(笑)


この後、オランダからロシアに渡った圭佑くんはCL決勝トーナメントで日本人初ゴールを決め

(本人、日本人初ってキライでしたね)

ワールドカップでは、2得点1アシストで日本のベスト16入りに大きく貢献することになりました。

先のアジアカップでは、優勝した日本の中心的存在でしたしMVPも獲得しました。

それでも、お父さんは

「お前みたいなヤツは海外では普通なんや」と言ってる気がします(^-^)

でもそれが

本田圭佑が「本田圭佑」たる所以。

親子で貫き通し、世界の一番に辿り着いてほしいと願っています。




http://www.youtube.com/watch?v=Bt15uw4Gs8U




ps. この前のCMが削除されてガックリきていたら、違うものがあがっていました^^

  懲りてないイヒヒ



http://www.youtube.com/watch?v=wp_bppm1XSY