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僕は都内で働く33歳の会社員。3月19日、地元茨城県の被災地、県北地域へ行ってきた。
手段は自転車。なんで自転車?理由はひとつ。ガソリンを一滴でも無駄にしたくなかったから。
僕たちが節約することで、その分被災地で本当に必要な人にガソリンが回るはず。そう思った。
北茨城まで往復340Km。ガソリン換算なら30ℓくらいか。30ℓのガソリンがこの時どれだけ貴重だったか。。。
こんな状態がはやく終わることを祈りながら今、書いている。

僕は趣味でロードバイクに乗っている。2年前に転職で上京してきたのを機に乗り始めた。
以来、通勤もロードでしてるし週末は100Kmか200Kmくらい走ってる。
今回の走行ルートは国道6号をひたすら北上。通行止めは北茨城まではないと事前情報を得ていた。

【16日】

はじめは、水戸の母の様子を見に行くつもりだった。母はひとり暮らし。心配だった。
水戸市も場所によって道路や建物の損壊が激しい地域なのだけれど、幸い母が住む地域は損害が少なかった。
とはいえ、電気と水は2日ほど戻らなかったし、物流も途絶えてしまったのでとても心配だった。
この日電話した時点では、「もう水も電気もあるし、食料はお米が数キロとおかずが少しあるから大丈夫。お菓子が欲しいな。」と言っていたので、都内でお菓子を買って持っていけばいいかなくらいの、軽い気持ちだった。

そこでふと思い出した。ひたちなかの友達のAさんのことだ。震災直後に慌てて実家やAさん宅など知り合いに水やインスタントラーメンを箱詰めして送ったのだけど、たまたまAさん宅にはすぐ届いてお礼のメールとかもらったっきりだった。そうだ、Aさんのところも寄ってみよう。水戸とひたちなかは10Kmくらいしか離れていない。水戸が大丈夫なんだから、ひたちなかも大丈夫だろう。そう思ってた。

Aさんにメールしてみたら、なんとまだ水が戻っていないという。さらに、茨城町でも断水が続いているという。驚いた。茨城町は水戸から南に位置していて、震源から遠いはずではなかったか。遠くにいるとわからない。単純に震源から遠ければ大丈夫だという思い込みだった。震災からもう5日も経過しているのにずっとお風呂に入れないなんて、なんて可哀想なんだろう。涙が出てくる。

これは思ったより深刻なのではないか。茨城はテレビ局がなく、ほとんど報道もされていない。せっかく行くのだ。僕にはガソリンを使わず100Km移動出来る足があるのだ。何か出来ることはないか。Aさんに詳しい情報を聞いてみることにした。

Aさんからは様々な情報が得られた。6号線で道路が隆起しているところがある。水府橋が通れなくなっている。僕の中で事態の深刻度がどんどん増していく。Aさんにもっと必要な物資はないか聞いてみると、自分のところは県外に親戚などがいて送ってくれている(しかし店止めなどで届いていない。取りに行っている)から大丈夫、でも友達のBさんが高萩(被害が大きい県北地域)にいて、水が戻っていない。何か必要なものはないか聞いてみるとのことだった。

【17日】

これは県北地域は大変なことになっているのではないか。実態が分からない不安と、思い過ごしであって欲しいという期待が交錯する。僕はこれまでボランティア活動などしたことがない。募金をしたくらい。現地に行くなど考えたこともない。でも今回は違う。30年過ごした地元が被災した。厳密には水戸と高萩は50Kmくらい離れていて、僕は高萩に友達もいないしほとんど行ったこともない。なんとなくあの辺かな、くらいだ。土地勘がない。イメージがわかない。でも、関係ない。今すぐにでも行ける足がある。

何か出来ることはないか考えた。同時に、ボランティアについて調べてみた。ググる。いろいろ分かってきた。現地のガソリンや食料、寝床を使ってはいけない、腐るものを持って行かない、行く前に仕事をはっきりさせておく、身元が分かるものを持っていく、など。仕事について考えた。果たして自分に何が出来るか。なんといっても自転車だ、大量に物資を持っていくことは出来ない。何がいいだろうか。。

自転車乗りは長距離走る時、必ず補給食を携行する。ハンガーノックといって、突然エネルギーが切れてしまう症状を防ぐためだ。補給食はおおよそカロリーメイトなどの栄養補助食品か、チョコレートなど甘いものとされている。これだ!と思った。軽いからたくさん数を持っていけるし、腐らない。飢えを解消するものではないが、足しにはなるだろう。子供のお菓子にもなる。

急いでコンビニを回る。新宿区、中野区、世田谷区、杉並区、練馬区。吉祥寺や三鷹のほうも回った。チョコレートバーなどは入手しやすかったが買い占めなのだろうか、カロリーメイトが手に入らない。持っていけるだけ持っていこうと思っていたので、100個を目標にしていた。カロリーメイト50個、チョコバー50個を揃えたかった。

揃えるのに苦労したが、郊外のミニストップやヤマザキデイリーなどでカロリーメイトを手に入れることができた。最終的に用意したものは以下の通り。

カロリーメイト
チーズ味 15個
チョコ味 10個
メープル味 15個

グリコアーモンドプレミオ 10個

アサヒ1本満足バー
シリアルチョコ 5個
シリアルホワイト 5個

キットカット極厚ホワイト 7個
キットカットバー 12個
プチキットカット 4個

スニッカーズ 26個

森永大樹の小枝 4個
森永キャラメルチョコバー 4個

ブルボン プチチョコクッキー 3個

合計 120個

偏らないように10個ずつ袋に入れ、12袋に小分けした。

夕方ごろ、物資が100個揃った時点でTwitterで宣言。16日以前の段階で何かするために行くことは宣言していたが、この時点で内容など確定したのでおおまかなリストも公開した。
それまでTwitterはランチのお店をつぶやいたりとか趣味で使っていたのだけれど、今回はじめてハッシュタグを使って不特定多数に発信してみた。リツイートばかり連投されてしまって流されてしまわないか心配だったのだけれど、ありがたいことにつぶやきを見かけた方がフォローしてくれたり公式リツイートしてくれたり、すごく協力してくれた。ただ、この時点では僕の発信を疑問視していた方も多かったのではないか。実際、現地で本当に自転車で来るとは思わなかったと言われることもあった。無理もないと思う。携行食120個ともなればかなり重いし、僕自身こんな荷物背負って100Km以上走ったことなんてなかったのだから。しかし、言った以上はやらなければ。

【18日】

仕事を手早く終わらせる。僕は都内で医療関係の仕事をしているので、おいそれと休むわけにはいかない。被災地の状況は刻々と変化していて、給水所に水を取りに行けない人がいることが分かった。物資の配布だけでなく、現地で水汲みも手伝えればと思いポリ袋を追加。オルトリーブというメーカーの完全防水のバックパックを持っていて、それなら水も汲めるのだ。

まずは高萩に行くと決めたのだが、3連休で行く日程はいくつかあった。一番楽なのは、土曜日に実家の水戸まで行き、一泊。日曜日に高萩、北茨城を回り、水戸に帰る。月曜日に水戸から都内に帰るというもの。しかし、月曜は雨の予報であったし、とにかく一日でも早く現地入りしないと気持ち悪かった。なので今夜水戸まで行ってしまって、少し寝て土曜朝に高萩に向かうことにした。

葛飾区の自宅に帰ってきたのは19時。必要な装備はもう揃えてある。パンク修理の為のチューブはいつもより多めに携行し、雨のためのレインジャケットやレインパンツ、防水ソックスも揃えた。19時30分。さぁ、出発だ。

荷物を背負ってみると、思っていたよりずっしりくる。ダンシング(立ちこぎのこと)など出来そうにないし、体が押し付けられて下ハンドルを握ったほうが楽なんじゃないかという感触。これを背負って100Km、5時間はかかるだろう。果たして出来るだろうか。。。少し弱気になったことは正直に書いておきたい。

音楽を聴いて自分を奮い立たせた。

よし、いくぞ!!!

【19日】

午前2時30分に実家に到着。途中応援してくださるフォロワーの方がTwitter上で紹介に紹介を重ねていただき、関連ツイート、メッセージ、フォロー依頼などたくさんいただく。これはすごく励みになった。また、BさんはじめTwitter上でつながった方たちからのリクエスト物資なども調達。実家に着く頃には牛乳をはじめいろんな物資が追加されていてすごい重さになっていたが、みんなの応援のお陰で重さを感じないくらい力がみなぎっていた。しかしながらリュックが耐え切れなかったらしく、じつは実家に着いたときに肩ひもが切れてしまった。夜中に母親を起こすのも悪いので自分で縫ったのだが。。。ありえない出来栄え。これは面白いので後でTwitterにアップします。(うまく写るかな?)

そして途中ショックな光景。水戸のガソリンスタンド、当然閉まっているのだが車が何台も何台も置き去りになって列が出来ている。寝ているのだろうか、一台だけ中に人がいた。
スタンドの看板があるが、再開未定の貼り紙。つまり、いつ開くか分からないスタンドに並んでいるのだ。整理券を配ればよいという意見を聞くが、これを見れば分かる。スタンド側もいつガソリンが入ってくるか断言できないのだ。並んでいる人は、もうバクチで並んでいるのである。朝車に戻り、ずっと車内で過ごし、来るか来ないか分からないタンクローリーを待ち続けるのであろう。少なくとも都内では営業していないスタンドに並んでいることはない。あくまでも営業中のスタンドに並んでいるのだ。なんという惨状。涙が出てきた。。。

じつはこの時点でまだ北茨城の方となんのつながりも持てていなかったので、就寝前にこのままつながりが発生しなければ高萩に集中しようと考える。
3時就寝、7時に起床、書き込む。
なんとすぐにレスポンスがあり、北茨城にも向かうことを決意。僕の仕事は小口配送。1件でも要望あれば行くと決めていた。

水戸を出てしまったらもう高萩までTwitterで情報収集は出来ないので、朝、届けて欲しい人募集のツイートをする。こちらでもまた拡散のお手伝いを多数頂き、たくさんのレスポンスを頂く。固いものをお年寄りが食べられないので柔らかいものをなど、細かいニーズも出てきておぼろげながら現地の状況を把握しつつあった。近所のスーパーが10時開店なので、まだ揃えられていない物資を確保するため向かったのだが、かなり並んでいた。水戸でもこれか。。と感じる。

最後の物資を入手し、高萩へ向かう。途中、Twitterで知り合った同じく高萩へ物資を運んでいた@nemoppeくんから水戸から北は何もない件を聞いていたので、板チョコを食べるなどして最後の補給を行う。

水戸を出発してすぐに驚く。水府橋は通行止め、水戸大橋も割れていたりずれていたりで大変な損傷。突貫工事で土のうを置いただけとか、とりあえず固めただけなどなんとか通行出来るようにした跡が多数ある。駅南地域も建物が壊れている。水戸駅は入場禁止。見慣れた光景がまるで別の土地のように感じると同時に、強い憤りを覚える。

ひたちなかも同様、なんとか通行は出来るものの道路の損傷は激しい。下りは気をつけなければなるまい。50Km/h超のダウンヒルなどやろうものなら相当危険である。
荷物が重いので自然と下りではスピードが出てしまうので、気をつけながら走行する。また、全線に渡って路側帯と歩道側の境目は隙間が空いていたり段差がついていたりとても危険な状態だったので、歩道側により過ぎないようにした。

途中ガソリンスタンド待ちの車列が数箇所であったが、渋滞を引き起こしてはいなかった。道幅が広いので、避けて動いていた。

交通量はとても少なく、普段の半分以下に感じる。トラックなども少なく、物資が行き渡っていないのがわかった。走っているのは水戸土浦ナンバーばかりで、買い物に向かうのであろうか、家族連れが多かったと思う。ドライブを楽しむカップルの姿は見かけた記憶がない。なお、水戸市内千波湖周辺ではデートしているカップルを見かけたので、飲食店などはやっているのであろう。

東海村まではコンビ二も営業はしていた。物資はなかったが、店は開いていた。石名坂を登り日立多賀に入ったあたりから様子は一変する。コンビ二はやっていない。マックも吉野家もやっていない。営業していないという事態はここにきて始めて遭遇した。都内も県南も、なんとか店は開いていたのだ。水戸過ぎからぽちぽちと真っ暗なコンビニが目立ち、ここにきてついにやっていない、と言い切れるようになってきた。鮎川の辺りで補給したのだが飲み物もない状態で、コーヒーと酒くらいしか置いていなかった。お茶は備蓄だろうか、まだあったように感じる。この辺りで飲料水が切れてしまったのだが、アクエリとかならどこでもあるだろうとタカをくくっていた自分が甘かったと痛切に感じる。自販機をくまなく探すと、子供用の小さいフルーツジュースだけ残っていたので、数缶購入してボトルに入れる。

日立の常陽銀行は外壁が大きく損傷したのであろうか、全体がシートに覆われていた。ファミリーレストランもコンビニも何もやっていない。車も少なく、雲行きの怪しさを感じる。

佐川急便日立店前。荷物はたくさんあるようだが、トラックの出入りは少ない。現在は解消されているのだろうが、この時点では荷物はすべてここ止まりになっていた。

十王地区。道路の痛みが激しいと感じる。パチンコ店などのガラスが割れていたりする。これも県南まででは見られなかった光景。

この辺りで想像だにしなかった光景を目にする。この災害のなか、老夫婦がお線香と花を手に歩いているのだ。
こんな状況下でも、いや、だからこそだろうか、お墓参りをしているのである。お墓は墓石が倒れてしまって、壊滅していただろう。それを思うと悔しさがこみ上げる。それでもご先祖を敬う人々の実直さには、頭が下がる思いでいっぱいだ。心の美しさを垣間見た。僕も大事にしなければ。

高萩に入ると、周囲には建物としての機能を失うレベルのダメージが見られる。余震で倒壊してしまわないか、ガラスが割れ落ちてこないか心配なものもある。古い建物の外壁はだいたい崩れている。

高萩に入り、Bさんと会う。物資をとても喜んで受け取って頂けた。同時に、Bさんに現地の情報を聞く。昨日やっと市の職員がチラシを配りに来てくれて、緊急避難所も福祉センター一ヶ所に集約出来たとのこと。チラシには避難所や緊急連絡先、ごみに関する情報や問い合わせ先電話番号が各種掲載されていたので、とにかく困ったら電話すればなんとかなりそうな印象。ネットが使えない高齢者宅などはとても心強かっただろう。

Bさんの有明地区は海側。海側の損害が激しく水が戻ってきていないとのこと。山側は戻っていると聞いたが、僕は地元でないので山側というのがどの地区を差すのかわからないのだが、地元の人ならわかるのであろう。なお、役所や避難所は山側であるが、海側から渡る橋が大きなダメージを受けていて通行禁止になっていて迂回の必要があった。
しかしここを歩いて迂回するのは大変で、歩いて渡っている人も多数いた。歩道側なら通行してもよかったのだろうか、看板を良く見ていなかったので分からず。

市役所はもう使えないレベルの大ダメージを受けていた。建屋そのものの老朽化が原因だろう。しかしながら避難所や給水所へ誘導、各種案内を行う最小限の市の職員や窓口は仮設とはいえ設置されていたし、自衛隊や物資もたくさん見受けられた。行くか問い合わせればなんとかなりそうな印象。

Bさんから、住民にはある種の不安と緊張が高まってきているので無作為に食物を配布するのは危険かもしれないと忠告を受けていた。町は空き家も多く、避難しているか他県の親戚に身を寄せているのであろう、人が少ない。加えて店がやっていないので外出もしないであろう。千波湖でデートしている人の光景がよぎる。ここもそうだったはずなのに、、悔しい。住民には何の罪もない。

なので、物資はTwitterなりなんなりつながりのある人だけに手渡しすることにした。その人からTwitterなどやっていないお知り合いに配るなど連鎖してもらえばいい。
Twitterで待ち合わせ場所など打ち合わせし、フォローしてくれた方、メッセージくれた方などに次々と手渡す。みんなとてもいい人たちで、笑顔が素敵だ。

北の人はなんと慎ましいのであろうか、すごく遠慮する。がまんをする。お返しが出来ないのに受け取れないと、みんな口々に言う。お返しなどいらないんです。カロリーメイト120個買ったところでいったいいくらですか?大したことはありません。みんな元気になってほしいから、受け取ってくださいと半ば強引に手渡していく。

少々疲れたので高萩駅東口で休憩していると、なんと情報くれた@nemoppeくんがロードで登場!僕を見かけて追っかけてきたのだとか。しかも彼は職場も住んでる場所も近くて、普通に友達になってしまった(!)。こんどサイクリング行こうとか、自転車の装備についてとか、雑談も交えつつも今後のサポートについて真剣に語り合う。

さらに、富山から車で来ていた方から話しかけられる。実家が高萩で、はるばるやってきたのだとか。1週間ほど滞在するらしく、大量の物資を搭載していてご家族以外にも配布しているのだという。しばらく3人でいろいろ熱く語り合う。

@nemoppeくんは高萩が地元ということなので、いろいろと案内してもらう。避難所になっている福祉センターへ案内してもらい、状況を確認。いわき市からの避難者を一時的に受け入れているそう。物資は豊富に見られたが、ピンポイントで何かが足りないというのはあるかもしれない。

隣接されている災害対策本部へ出向き、スタッフの方に物資を手渡す。何者なのか説明するのに、身元を証明するために持ってきた会社の名刺が役に立った。

夕刻になっていたので、@nemoppeくんと別れて単身北茨城へ向かう。6号線の損傷が走行に集中しないとヤバいレベルになってきている。前方を注視、すぐに北茨城市に着いた。

高萩でかなり物資を配りバックパックに余裕があったので、どこかスーパーがあれば追加物資を購入していこうと辺りを見回すが、どこも営業していない。加えて全く土地勘がないので、市街地をしばらく走り回る。するとカワチを発見、人が並んでいる。営業しているのだろう、急いで向かって並ぶ。

ひとり10点までの購入規制がかけられていて、店員が少しずつ客を店内に入れていた。しばらく待つが、ほどなくして入る。トイレットペーパーやレトルトのご飯、カップラーメンや缶詰などを購入。

店内を出るともう行列は出来ていない。そうか、わかった。ものがないのでなく、ガソリンがなくて買いに行けないのだ。スーパーも入荷次第営業となっているので、インフォメーションを流せない。物流が完全に機能していないのを痛感する。

最後の配達先へ向かい、無事渡すことが出来た。とても喜んでもらえた。もうそれだけで僕は十分だ。

帰路、大きな余震があったが走行中で気がつかなかった。周囲から音がしたので止まったので気づいた。余震が引き起こす精神的ダメージをどう癒していくか、今後はそういったサポートが重要になってくるだろう。

稀に見る巨大満月スーパームーンを眺めながら、五浦海岸沿いの6号線を南下する。潮風が気持ちいい。北茨城の自然は本当に美しい。。。言葉が出ない。
とても幻想的でロマンチックなサイクリング。なんだかご褒美のような気がした。写真を撮ろうとiPhoneを構えたら、電池が切れた。また来てよってことだね。
オッケーまた来るよ。自慢のデジイチ持って来るよと心の中でツイートする。

21時頃、日立多賀のへんこつうどんが営業していたので入る。朝の板チョコ以来何も食べずに走りまくってたことに気付く。無茶してしまったことを反省しつつ、うどんを食べる。
なんだかとても懐かしい味がした。都内にないんだよね、へんこつ。

23時頃帰宅。現地を見て、ひとまず飢餓の状態は脱しつつあったのでとにかく安心したというのが本音。飢えは人間にとって最大の不幸だと思うから。飢えちゃいけない。絶対に。

入浴して、Twitterで無事の報告だけして就寝。

【20日】

朝起きるとたくさんのフォロー依頼やお礼のメッセージ、ツイートがあった。素直に嬉しかった。。。泣きそう。情報を提供してくれた人、拡散してくれた人に感謝。

この日は実家でゆっくり過ごす。

【21日】

実家から都内へ。小雨ながら怖いのでレインウェアを着込む。小美玉でひどい地盤沈下を目撃(この日のツイートに写真有り)。

途中パンクするも、親切な方に出会い助けていただく。なんとその方もロード乗りなのだとか!震災後歩いて帰路につく人を送っていったりしたのだとか。やはり草の根的な助け合いは大事だ。とても心温まるお話をたくさん聞かせて頂いた。で、例によって自転車の装備などについても語り、楽しい時間を過ごす。この時は大変お世話になりました、今度ぜひサイクリングしましょう!

千葉県柏市の市議の@Tsukegawaさんは高萩では会えなかったけれど、いろんな人を介してつながりを持つことができ、帰りに寄ることに。いろいろと意見し濃い時間を過ごすことが出来た。そこでたくさんのボランティアの方たちに会うことが出来て、Twitterってすごいなと改めて思う。このように僕だけでなくたくさんの人たちが応援しているので、被災地の方、安心してください!

柏からの帰路、雨が強くなってきたけれど無事帰宅。記憶が薄れないうちに、この記事を書く。


以上が僕の行動の記録です。記録記事なので硬い文面にしてありますが、僕のキャラクターとかはツイログを見てもらえたら分かってもらえるかと。

今回は何も分からず突っ込んでった感が強いですが、行ってよかったなって思います。

ただ、改めて書いておきたいのですがこの距離はいきなり挑戦できる距離ではありません。それなりに経験がないと大変なことになってかえって迷惑になってしまいます。
経験がない方は決して真似しないでください。

なかなか現地の情報が得られずヤキモキしている方が大勢いらっしゃると思います。今後僕は緊急物資を急いで運ぶとかでなく、特定の場所を見てきてほしいとか旅のお土産を持っていくとか、ほんとにサイクリングのついでな感じのライトな「オツカイ」になってくると思います。本来「オツカイ」ってそういうものですし、早くそうなることを願って。

これから春がやってきます。僕は素人ながら写真を撮るのも好きなので、被災地を自転車で回って震災の爪あとだけでなく、美しい自然、景色、花、人々の笑顔を撮って回ろうかな。そんなことを考えています。

活動面白いなって思ってくれたらTwitterアカウント@cervelo0625 です。フォローよろしくお願いします。相互フォローしましょう。


走行距離

葛飾区~水戸 100Km
水戸~高萩 55Km
高萩~北茨城 15Km
北茨城~水戸 70Km
水戸~柏 80Km
柏~葛飾区 20Km

総走行距離 340Km
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