今週はクラスでディベートがありますが
自分のチームは、
法律があっても場合によってどう応じるかと
問いを立てるケアの倫理(care)
これに対し相手チーム側は
法律で正しいか正しくないかを判断する正義の倫理(Justic)
この議題では、自分はケアの倫理に賛成している側であり
今回こそはと議題をリサーチはじめた時にふと
今までディベートをして来ていましたが
いまいちディベートを理解していない自分に気がつかされました。
そこでディベートについて調べてみると
ディベートとは
討論することは間違った考え方であり、いかに物事を論理立て
どちらの方が説得力があるかと言うスピーチバトルのことで
感情的になってしまえば負けだと言うことを知りました
(前回の記事。ディベートについて思うこと①)
http://ameblo.jp/cero-worldwide-friends/page-2.html
前回はディベートで、
自分の意見をことごとく否定され攻められ
感情的になってしまい3対1なカタチで
激しい討論に発展しまったわけですが
ディベートについて知識を得ることで気がつかされますが
これではディベートのルールからはずれているわけですが
ジャッジである先生は何も言わなければ
ディベートではなくなっていたことに気がつかされます。
そこでふと
冷静に考え、前の先生の授業を思い返すと
前の先生は、生徒の理論を聞くことで内容から発言をしており
生徒の理論を聞くことで判断し意見すれば
先生の発言もあったことで討論へと発展したことはありませんでした。
新しい先生のディベートでは、
先生は自分の感情で理論を指摘しているこことに気がつかされます。
なぜならば
" I don't think so" など発言から理解しますが
この言葉は感情論を話していることに気がつかされます。
ディベートについて知識を得ることで
次のディベートでは、戦略を新たに考えはじめた自分に気がつくと
ルームメイトが教えてくれた言葉がありました。
”Knowledge is a weapon”
ここ最近は感じることが増えましたが
まさに
知識とは武器である
ディベートを多少は理解できた今
前回のディベートでは感情になってしまったことが
そもそも自分は間違っていたと気がつくわけですが
知識を得た今、前の問題点で気がつかされますが
違法なんてあるわけがないと強い反撃を受けたことで
自分は法律違反をしていた人から騙されていた。
この事実があったことで反論された意見が納得できず
感情論で討論してしまいましたが
前回の論文がの議題が
” 経営者の間違った経営 " だったので
自分は『外国の人たちだけが通う海外の学校問題』を題材に
いろいろとリサーチする中で
いかに問題が多いことに気がつかされれば
海外で違った言語を使い勉強をしている人たちは、
通訳がない限り、契約から言葉で問題が発生している人が多ければ
外国人相手のビジネスがいかに騙しやすくお金になりやすいのか。
そんな結論に辿りついたわけで
こんな要因を冷静に話すことができていれば
言い争いになるほどの討論には発展しなかったと考えられます。
まさに
知識があるかないかの違いについて実感させられます。
インターナショナルな人たちの集まった学校で学び
そこで実感させられ気がつかされますが
いろんな文化が交流することは
新たなる考え方や感情もうまれる
そんなことにも気がつかされます。
経験とはまさに脳みその活性化だ
(笑)
ディベートを経験する中で気がつかされますが
子供のうちから学校でディベートを経験することで
考えるチカラ。思いやり。発言するチカラなど
ネット世代の世の中には
人の心を育てる練習として学校の授業に導入するべきだ。
なんてことを思うのでした。
経験することでいろんなことに気がつかされますが
知識も大事ですが、経験することも大事だなと
最近はつくづく実感させられます。
まる
今日の日も心から感謝して。