5月はじめごろでした。私は夕方、シャワーを浴びてソファーでうたた寝していましたが、途中、寒さで目が覚がめました。心臓もドキドキしてきたので、私はとても嫌な感じでした。どうも薄着のまま寝込んでしまっていたのがいけなかったようです。それから私は再びベッドに入り、ヒーリングも兼ねてすこし瞑想することにしました。
気がつくと私は人間を創造した神にこんな不満をぶちまけていました。
「人間はちょっとした不注意で病気になったり、怪我をして、嫌な思いをする。暑かったり、寒かったり、将来の不安などもあり、人間やっていくのは大変だ」
「あなた(神)は人間ではないからわからないでしょうが、人間はなんでこんなに不自由なのか?」
私は心の中で、ついこんな文句を言っていましたが、いつの間にか眠りに入ったようで、意識が朦朧としてきました。
そんな時、こんな声が聞こえてきました。
「いつも、なにをするときも、(私と)共に在りなさい」
「(私と)離れているから、恐れや苦痛がある」
はっと気付くと、私は体外離脱していました。そしてそこは白く輝く、炎のような光で満ちていました。その光はまるで生き者のように思えました。その光は全ての存在に浸透しているように私には思えました。その光は全ての出来ごとや考えを読み取り、記録しているように感じられました。そして私自身もその光の一部であり、その光に含まれているということが分かりました。光の存在とも呼べる私達は深いレベルでお互いを理解し合っていることもこのとき分かりました。
このとき私は宇宙(神?)のはたらきを垣間見せられたように思いました。神の世界は夢や幻のようなものではなく、現実の暮らしの中にも深く浸透していることを実感しました。そして私たち一人一人はいつも神に見守られ、関心を持たれていることが分かりました。
コメント)肉体レベルではなかなか分かりませんが、高い次元では「私達は光として存在している」ということです。そこに存在するものは全てが繋がっているので、人間が神に対するさまざまな愚痴を言っても、ちゃんとそれは神に届いていたということです。