「負けん気」立浪和義を読んで | ここがヘンだよオレ竜GMドラゴンズ

「負けん気」立浪和義を読んで

今更ながら先日、立浪和義の著書「負けん気」を購入し、ようやく読破した。
先日ここでも書いたが、そもそも買う気など全くなかったのだが最寄りの書店にて
山積みとなっておるのを発見し「あれ?売れてないのかな?」と思い、
手に取ってパラパラとしてしまったのが運のツキ、内容はドラゴンズファンにとっては
やはり実に興味深いものとなっており「これは買わずにおられるか!」とつい買い求めてしまった次第。

さて肝腎のこの本の内容はと言うと、
まずは全編に渡り、切々と綴られているのは星野仙一元監督への感謝の念と敬意の念。
今後中日の監督をする前提で監督論を述べる際も自分と照らし合わせるのは星野仙一であり、
決して落合博満ではない。落合への謝意や思い入れなどには一行たりとも触れられておらず
決して直接的に批判はしないが恨み節と言うか遠回しに落合批判と解釈できる書き方がされている。
特に現れているのがこの箇所

「このシーズン初めて3番サードで先発出場した私は5打数5安打と打ちまくった。
~中略~翌日6番サードで先発出場した私は~中略~私の動きが緩慢でそれで失点を許した様な
冷たい視線をどこからともなく感じた。打席に立ちファーストゴロに終わると何も言われず代えられた。
(えっ?)私はギクシャクしたものを感じた。私はあのタッチプレーを今でもミスとは思っていない。
だがまさか、それがレギュラーとして出場する現役最後の試合になろうとはまだ夢にも思わなかった」


ストライクの判定に抗議した立浪が退場になった時の星野仙一の行動に触れ、
「(この監督のためにやらなあかん、勝たせてあげたい)
熱く感じて野球がしたい。いつかその役を担う日が来たら一人でも多くの選手達が
「監督を胴上げしたい」と意気に感じて戦うチームを作り上げたい」

と、さも今まではそうでなかったと言わんばかりの書き方をし(笑)
更に、
「プロ野球は勝つだけでは足りない。ただ「勝てばいい」のではなく「気持ちを込めて応援できる」
「こういう選手達こういうチームが勝ってくれたのが本当にうれしい」と
誇らしい気持ちで心から叫んで貰えるチームを作りたい。野球に全身全霊を注ぎ込む。
ファンの方々と選手とが一体になって勝っても負けても本気で喜び、本気で悔しがるチーム、
プロ野球だからこそ、それが大切な使命だ」

と、「勝つ事が最大のファンサービス」とのたまいファン軽視の態度を平然と取り、
ファンサービスをおざなりにし、もはや勝つ事だけがファンサービスと言う状態にもかかわらず
昨季V逸をした暁には本拠地最終戦の挨拶で「挨拶は日本シリーズの後で」と言って後回しにしたまま
ファン感謝デーには姿すら見せず逃亡した男とは対極の考えを披露。
明らかに落合の事を快く思っていない事がよくわかる(笑)

井上の事にも少し触れられており、
武骨なイメージだが内面は繊細な男で、よく私のところに
「立浪さん、ぼくもうだめですわ」と時には泣きながら電話をかけて来ていた。

とある。おおよそどんな状況の時かは予想がつくが、今の藤井も似たような状況ではないだろうか。
決してこのような理不尽な待遇に負けないで必ずや見返して欲しい。

この件やセサルの件に関してもおおよそのジャーナリストやOB解説者は揃いも揃って歯切れが悪く
雰囲気を伺いながら流れに身を任せ落合に同調する後出しジャンケン野郎ばかりである。
(キャンプ中の藤井の降格は練習試合のけん制死の後に打撃練習をしたから当然だ!
と口を揃えて力説していたOB評論家共には心底辟易した)
中日にくっついてお仕事をもらわねばならん事情もわかるがドラゴンズ愛が少しでもあるならば
王様は裸だ!と白いものは誰が何と言おうが白いんじゃ!と自己主張すべきである。

私の知る限り、まともなコメントが出来るのは木俣達彦、落合英二、小松辰雄、今中慎二、
山田久志、中利夫、つボイノリオ諸氏ぐらいのものである。後は全部糞。あ、あと江本孟紀(笑)

負けん気/立浪和義

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