「七不講」騒ぎが示す習近平体制 左傾化は止まらない… | ねこ目

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「七不講」騒ぎが示す習近平体制 左傾化は止まらない…

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130518-00000520-san-cn

 昨年11月の共産党大会で習近平体制が発足して半年。習総書記は「中華民族の偉大な復興を果たすという中国の夢を実現しよう!」と呼びかけ、当初はそれなりに一般大衆などの人気も得た。だが政治・経済改革への極めて保守的な姿勢が次第に明らかになり、知識人や若者らの失望や反発を強めている。

 「習政権が七不講(チーブジャン)と言い出した」。ある知識人は最近、緊張の面持ちでこう語った。

 各種情報によると、七不講とは「七つの言葉を使ってはならない」との党中央弁公庁の指示で、具体的には(1)人類の普遍的価値(2)報道の自由(3)公民社会(4)公民の権利(5)党の歴史的錯誤(6)権貴(特権)資産階級(7)司法の独立-を指す。

 それぞれを解読すれば、(1)人権侵害(2)言論統制(3)政治活動の制限(4)国政選挙権の不在(5)(文化大革命や天安門事件などの)歴史的過ち(6)特権層の権益独占と腐敗(7)党権力による司法の支配-となり、こうした共産党独裁体制の矛盾や恥部に対して国民の目と口をふさごうというわけだ。

 インターネット上の情報や香港紙によると、こうした通知文書が先週、一部の地方政府や学校に届いたもようだ。しかし今ではネットで検索しても、関連情報は「削除された」との表示が残っているだけだ。

 真相は不明だが、共産党政権は新規の政策や指示を地方や一部組織で試し、反応を見ながら全国に広げることが多い。「七不講」への反発があまりに大きいため、党中央がひとまず引っ込めた可能性もある。

 習氏が連呼した「中華民族の偉大な復興」という江沢民時代のスローガンに、内外の有識者は愕然としたものだ。ただ、胡錦濤前主席の堅苦しい演説とは対照的に、各地で表情豊かに大衆に語りかける姿は好感も得ていた。

 さらに昨年12月、トウ小平が改革・開放の大号令をかけた広東省の経済特区を訪れ、「改革の深化」を呼びかけたことで期待も高まった。「前政権が先送りした政治改革が動きだすのでは」との期待からだ。

 しかしそれは次々に裏切られる。「憲法に基づく政治」を求めた北京の改革派雑誌「炎黄春秋」のホームページが元旦早々、党中央宣伝部に閉鎖された。続いて、「自由・民権擁護の国家を建設する夢」を唱えた広東省の週刊紙「南方週末」の社説が同省宣伝部によって「中華民族の偉大な復興を実現する夢」に改竄された。

 一方、改革の方策は半年待っても全く出てこない。腐敗撲滅のためには「ハエ(小物)もトラ(大物)も一緒にたたく」と宣言しながら、摘発するのはハエばかりだ。また、「法治」を唱えながら、「法の制定と執行は党の指導で進める」と言う。党が法の上にあるようでは、「法治」が実現することはありえない。

 それどころか、「毛沢東時代と改革・開放の30年に根本的対立はない」「毛沢東同志を全否定すれば天下大乱になる」と述べ、ますます左への傾斜を強めている。「七不講」騒ぎもその一端かもしれない。

 香港誌「開放」によると4月15日、党機関紙「人民日報」ネット版が「中国の夢」について世論調査した。「中国の特色ある社会主義を発展させることが人民の利益につながるか」との質問に、「ならない」との回答が82%。「中国の一党執政(独裁)制度をどうみる」に「不賛成」が81%だった。

 圧倒的な政権不信に調査は6時間で中止されたという。習政権への深い失望を示していそうだ。

(以上、本文記事終わり)



【CCJE】スタッフより

>「七不講」騒ぎが示す習近平体制 左傾化は止まらない…

この産経の見出しだけ見れば、日本人へ誤解を与えかねない。

日本の安倍政権を右傾化と、マスコミをはじめ、中・韓外交はそう"叫んで"はいるが、決してそうではないのは本当の日本人ならよく分かっているはず。

安倍政権は決して右傾化でも軍国主義を目指しているものでもなく、これまでの自虐史観から抜け出し、あるべき本来の日本の姿へ戻ろうとしているだけである。このような言い方に敏感に反応する日本人がいるとすれば、それは「日本人だけの日本ではない!」と主張する国籍だけ日本人であろう。

中国人民の多くの本音は中共に対して批判的であり、不信感だらけである。しかし、そうは言えない一党独裁の今が、人民の口を封じているのである。口を封じる最低半分以上は何らかの中共利権に絡むか、そのおこぼれを頂戴している人民である。だから何も言えない現実もある。

そんな中国で、いくら習近平氏が「七不講」を強く指示しようが、社会の表面的にはその効果はあるかのように見えるかもしれない。しかし、人民の心までは絶対に左傾化にはならない。もう文革時代のようには二度とならないと考える方が現実的である。

先日、大学生との交流の中で、早速「七不講」について聞いてみた。学生のレベルにもよるかもしれないが、殆ど知らない者ばかりだった。この反応から、どの国であっても、若い世代は政治や社会のことより、自分自身の楽しいことしか考えないのであろう。これらの学生たちは決して富裕層ではない。それでも親の仕送り中心に学生生活を送る90後(90年代生まれ)の若者なのである。そんな彼らの価値感にとって、今さら左傾化など感覚的に受け入れられず、習近平氏が何を言おうが他人事なのである。

だからと言って、中国が近年で変われると見るのは早合点。これは変われないと見るのが妥当でもある。

筆者は学生にさらに突っ込んで聞いてみたが、どうも反応が鈍い。一人が言いにくそうに「共産党のことはあまり話をしたくない」と言うではないか。いくら価値感の違う90後であっても、そこはやはり大陸中国人。いくら中共の政策が違うと感じていても、それをはっきり意見することには躊躇いを隠せないのも事実。「七不講」を指示するしないに関係なく、人民の奥底はつねに、多少に関わらず、中共の圧力を感じているのである。