昨晩、ある会食に呼ばれ、いろんな分野の人と触れあった。
その中の一人、重慶のある新聞社に勤める記者と懇談した。
私は彼とは以前電話で話した事があった。内容は「反日デモ」について。
デモや反日行動の実情を記事にしてほしいとお願いした過去がある。
しかし、その時は丁重に断られた。
その時の理由はこうだった。
「本当は記事にする価値があることは誰もが分かっている。しかし政府の圧力がある。今は特にタイミングが悪い。どうか事情を察し、力になれない事を許してほしい。」
そんな彼と直接話せば当然盛り上がる。
彼は以前の事を詫びながら、中国マスメディア事情を話してくれた。
特に最近話題の広東省の「南方週末」について、彼はこう言った。
「南方の記事には内容がある。しかし自分達はそこまでできない。いや、やる勇気がない。」
本音だろう。立場を考えれば、家族や家計を思えば守りに入ってもおかしくはない。
彼は言う。
「あの温州の高鉄(新幹線)の事故以来、政府の圧力はさらに強まった。上司も非常に敏感になり、どうしても無難に政府主導の記事を書いてしまう傾向にある。」
そして、
「我が社も温州に取材に行ったが、事故現場にいる地元民から、どうせ事実を書けないのにそんなに写真とってどうするの?と嫌味を言われましたよ。」
そんな話を聞きながら、本音で会話を続けていた。
そこに他の人も会話に参加してきた。
その人は重慶市のある区の役人。日本の話題に興味津々のようだった。
その役人は言う。
「今の中国なら日本よりいいだろう。決して負けていないと思うよ。」
これは外を知らない中国人の誰もが思う感覚だ。
そこで新聞社の彼が答えた。
「私は三度日本へ行った。これは偏見なしに言うが・・・(周りから誤解を受けぬよう気づかいながら)。何度日本へ行っても同じ印象だった。日本は確かに良い国に間違いない。残念ながら、我が中国は至らぬ点が多過ぎる・・・。」
中国の実情を分かっていながら、その中で流れるしかない生き方を強いられてる新聞記者。
中国の実情を正確に掴まず、その中でほどほどの利権に甘んじ流れ生きている役人。
前者は事実を捉え、後者は見て見ぬフリをしながら、共に中国の中で流れている。
どちらも今の中国の生き方を表している。