どうあろうと自分から光を発し続けていればいい | 臨猫心理学会 紀要

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人間を何かしらの行動(能動的であれ、受動的であれ)へと導く「動機」は何だろうか。


精神科医のアルフレッド・アドラー(オーストリア 1870-1937)は、
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劣等感(いわゆる、「劣等感」という意味でコンプレックスという言葉を使ったのは、フロイトではなくアドラーが最初である)
により傷つけられた自尊感情の埋め合わせを行動の動機ととらえた。



同じオーストリア出身の精神科医、ハインツ・コフート(1913-1981)は、
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「褒められたい」というような承認欲求的行為を重視し、自己愛を満たすことが人間の本能だという。



やはり精神科医のジョン・ボウルビィ(イギリス 1907-1990)は、
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人間にはアタッチメント(愛着)の本能があり、ゆえに人間の最大の不安は分離不安である、という観点から関係性を持とうとする本能を動機ととらえた。



そのように、さまざまな主張の存在する動機理論を体系的にまとめたようなモデルとして、
心理学者のアブラハム・マズロー(アメリカ 1908-1970)の、
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欲求五段階説がある。

マズローによれば、各種の動機は対立的に存在するのではなく、階層的に存在している。そして、下位の欲求が満たされなければ、上位の欲求は出てこないと考える。
下位から、生理的欲求(飲食、睡眠、性欲)、安全欲求(健康、安定した収入、住まい)、所属欲求(友達や家庭、職場関係などボウルビィの説に相当する)、承認欲求(コフートの説が含まれる)、
そして最上位に位置するのが自己実現欲求(自分の持つ能力を最大限に発揮したいという欲求)である。
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マズローの理論は、政治や経済の分野でも好まれている。それは人間の欲求解析だけではなく、社会の進歩にも当てはめられる。社会がある程度発達してくると、下位欲求から満たされやすくなってくるのは容易に想像がつくし、たとえば「衣食住に足りた中国の裕福な市民が、次に何を求めるだろうか」というような経済的仮説を考える際にも有効な手がかりとなるだろう。

しかし、ここで過去の日本における社会・経済成長を考えたとき、マズローの説にはある疑問が残る。

オイルショックも乗り越え、日本経済がいわゆるバブル景気へと向かう中で、
アメリカのCBSレコードをソニーが買収し、ロックフェラービルは三菱地所が買収し、宮崎のリゾート会社フェニックスは数億円の出演料を払いオープニングイベントにイギリスのポップス歌手「スティング」を呼び、佐世保のハウステンボスのCMには「アラビアのロレンス」役として有名なピーター・オトゥールが出演した。
そこには、実利的な思惑以上に世界的に認められたいという日本経済・社会の自己愛的承認欲求が見受けられる。

しかし、バブル経済が収束していった後に、日本経済と日本人が拠りどころとしたのは、自己実現欲求対象ではなく、メディア(携帯電話、インターネットなども含む)や各種コンパに依存した所属欲求対象と承認欲求対象だった。

実は、承認欲求と所属欲求は上下関係に位置するのではなく、互いに同位において補完しあう(あるいはメビウスの輪のように抜け出せない)関係なのではないか。
そして、そこから自己実現欲求段階に移るには、音楽や絵画などの芸術的な方法や手段が不可欠なのではないか。




しかし、誰もが芸術的手法に耽溺できる環境にあるはずもない。
そして、たとえば経済的・芸術的に恵まれていたとしても、それがすぐに自己実現欲求段階へと結びつくわけでもない。

「たとえば有料老人ホームで余生を過ごす自分を考えてみる。わたしは身体の自由も利かず、意欲も衰え、静かに無為な日々を送るだけだろう。
 だが、老人ホームだろうと病院だろうと、結局は集団生活である。詮索好きの人間や、鬱陶しい輩が必ず存在する。あるいは空威張りしたり、老いてもなお俗な価値基準から逃れられない下らない連中が。
 考えただけでげんなりしてくる彼らを、わたしは相手にしない。すると連中は腹立ち半分にこちらの過去を詮索してくる。いかに取るに足らぬ人間であったかを証明しようとする。もしそんなときに、わたしが錚々(そうそう)たる過去や目を見張る業績の持ち主と知れたら、彼らは(たぶん)無礼な態度をあらため、一目置くようになる。
 だからどうしたというわけではないが、おそらく老人ホームでの生活は遥かに快適になるはずで、言い換えるならば、わかりやすい成功や権威は幸福をもたらすとは限らないが、往々にして不快さや煩わしさや侮辱から自分を守ってくれる。
 ここでわたしが述べたいのは、成功とか勝利とか業績とか地位といったものは、なるほど虚しいものである。そこには俗っぽく低劣な欲望が宿りがちであろう。
 しかし、世の中を淡々と、無欲に過ごすためには実は成功や勝利や業績や地位の実現こそが裏づけとなる。俗物的サクセスは意外にも人を恬淡(てんたん)とさせるための必要条件のようにわたしには感じられる」
精神科医は腹の底で何を考えているか/春日武彦/幻冬舎新書/2009年


芸術に関する考察(芸術人類学など)は、人間の動機(欲望)の原初的な部分を避けて通るわけにはいかない。
そしてそれは、福祉や臨床心理の現場における問題点の考察とも重なってくるはずである。



自己実現欲求段階の音楽とは・・・
「自分の理想とはほど遠い現状に憤慨や焦燥、諦念を覚えることも少なくはない。
だが、どうあろうと自分から光を発し続けていればいいのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。」
精神科医で指揮者、作曲家のジュゼッペ・シノーポリ(イタリア 1946年 - 2001年)
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というものだろう。


・・・でもね、そんなに深刻にとらえることはない。
あの「yes」の名曲「owner of lonely heart」だって、最初はこんなデモテープから始まったんだ。



続きは、次回の講釈で・・・