10日目/42・礼拝の本質
10日目 礼拝の本質自分自身を神に差し出しなさい。神にすべてを明け渡し、正しい目的の為に用いていただきなさい。
礼拝の本質は降伏(明け渡し)にあります。
降伏することの意味
神に降伏することは、受け身になって断念することでも、運命に身を任せることでも、怠慢になることでもありません。
現状に甘んじることでもありません。
むしろ変えるべきものを変えるために自分の人生を犠牲にし、あえて苦しみを引き受けることです。
克服は臆病者のすることではなく合理的な考えを捨てることでもありません。
知性をお与えになった神はそれをおろそかにしません。あなたがロボットのようになるのを望みません。
降伏は個性を押し殺すことでもない。
C・Sルイスは言っています
「自分を神にゆだねればゆだねるほど、私たちは本当の自分自身に戻っていきます。なぜなら、私たちを造られたのが神ご自身だからです。神は私たち一人一人を他の人とは異なるものとして造られました。人にはそれぞれ神の意図された本来の姿があるのです。」・・・私たちがキリストに立ち返り自分を神に明け渡す時、私たちの個性は初めて息を吹き返すのです。
神に服従している人は、たとえその意味がわからなくても従います(ルカ5章5節シモンが網を湖に下ろすシーン。
これはわかりやすい。
図星過ぎる。
神に降伏している人はゆとりある老後を目標にしてはいません。それは神以上に優先すべきものではないから。
イエスは言われました。あなた方は神にも使え、また富にも仕えることはできません。あなたの宝のある所にあなたの心もあるのです。
降伏の恵み
神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。 ローマ人への手紙6章-17-18
神の力を体験することができる。
たしかに自分を明け渡す時に、多くの事は神の御手の下で起きていると悟ることが多くなるのかも。
最高の生き方
私たちは究極的にはなにかに、あるいは誰かに降伏しています。
自分の考え、他人の期待、お金、怒り、プライド、欲望、エゴなどに降伏しているのです。
これは支配されている=降伏 かな?降伏という言い方は、服従しているイメージで、イエス様へのシフトが必要。
イエス様の方を向く!なんて言ってたけど、滅びゆく世に降伏しているのを、イエス様にシフトする。かな。
あなたは神を礼拝する者として造られました。神を礼拝しないなら、別の礼拝対象を(偶像)礼拝するようになります。
恐ろしいことを今も行っているのか。テレビに降伏、仕事に降伏。。。
降伏は最高の生き方です。いや唯一の生き方と言うべきでしょう。
神の祝福を妨げているのは結局のところ自分自身です。自分の計画に夢中になっている限り、神の目的に生きることはできないのです。
あなたの人生を造り変えようとするとき神は次の事から手を付けられるでしょう。
「過去の問題・現在の問題・将来の夢・恐れ・願望・弱さ・悪習慣・心の傷・こだわりなど」
これらすべてを神に委ねましょう。イエスキリストに人生の運転席に座っていただき、ハンドルを手放すのです。
恐れる必要はありません。
キリストに委ねる時コントロール不能になることはないからです。パウロと共に宣言することができる。
ピリピ4.13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
いいい、祈りが必要だ
神に降参するときが来ました。人生の主導権をめぐって今でも神と争っている状態でしょうか。
神の恵みと愛とその知恵に、すべてをゆだねる時は今なのです。
・今日のポイント
礼拝の本質は、降伏にあります。
・考えてみましょう
私が神に隠しているのは、人生のどの領域でしょうか。
・個人的まとめ
昨日、神を信頼する領域を増やしていくなどと書いていたが、神についていく決心をすれば
おのずとそれは見えてくるだろう(多分。聖霊様お願いします。
9日目/42・何が神を微笑ませるのか
9日目 何が神を微笑ませるのか主があなたに微笑まれますように。
これを受け入れることによりかなりの成長になると思う。主にある信仰によって
「主が私の事を愛するから自分も自分で良いことを信仰によって知る」だろうか。
創造主、神はあなたが不完全で罪を犯してしまう存在であることをよくご存じです。
永遠を意識して生きる時、あなたの焦点は「人生をどれだけ楽しめるか」
から「私の人生は神に喜ばれているだろうか」へと変わっていくのです。
9日目
・今日のポイント
私が神に信頼するとき、神は微笑まれます。
・考えてみましょう
神があなたの最善をご存じであるとするなら、あなたが最も神を信頼しなければならないのは、人生のどの領域においてでしょうか。
・個人的まとめ
創造主なる、救い主なるイエス様への信仰。もしかしたら絶対的信仰(恐れを失くす
をいただく祈り。
神を信頼する領域を増やしていく(本来は365日すべての領域だろう)
8日目/42・神の喜びのために造られた
8日目 神の喜びのために造られたあなたこそ全てを造られたお方です。すべてのものはあなたの喜びのために存在しまた造られたのです。
あなたは神の為にその栄光と目的と喜びの為に造られたのです。
クリスチャンになって教会でこんなストレートなメッセージを聞いたことがあっただろうか!
神の喜びの為に造られたのなら、そのために生きて当然の存在なんだと改めて感じる。
神に喜んでいただくことすなわち神の喜びのために生きることは、人生の第一目的です。
結局自分で自分を判断してばかりいる。「今日はいい!今日はダメだとか」でもそうじゃない!
7日目
・今日のポイント
私は神の喜びの為に造られました。
・考えてみましょう
日々の務めの中で、主イエスに対するように行えることはなんでしょうか。
・個人的まとめ
一番近い他人(家族・兄弟)に対して行う愛の態度が一番の務めなのかもしれない。難しい、難しいと感じるのは自分のプライドだ、。
7日目/42・すべてのことの意味
7日目 すべてのことの意味すべてのものは神から来ています。すべてのものは神の力によって保たれ神の栄光のために存在しているのです。ローマ11章36
何も存在し得ないのです。
パワーワード!ほんの些細な事でも良いもの(イエス様)を選択していきたい。
訓練が必要だ!愛が必要だ、いやください。
神の栄光はどこに見られるでしょうか?周囲を見回してみて下さい。
神がお造りになったすべてのものがそれぞれに神の栄光を表しています。
それは、顕微鏡でしか見えない微生物から広大な天の川に至るまで、また夕焼けは夜空の星々から荒れ狂う嵐から四季折々の変化まであらゆるところに見出されます。
外でもハレルヤと言いたい。
神が本来持っておられる栄光は、主イエスの栄光でもあります。
なぜなら、イエスは神ご自身だからです。
太陽をこれ以上明るくできないのと、同じように神の栄光に何かを付け加えることができません。私たちは、その栄光を認め、崇め、宣言し、褒め讃え、反映し、そのために生きるように命じられています。
何故でしょうか?
それは神がそれを受けるにふさわしい方だからです。私たちは精一杯の賛美を捧げます。
それは、すべて、お作りになった神がお受けになるのは当然のことだからです。
あぁ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )賛美を大きな声で歌うのは(小さな教会だから響く)
恥ずかしいと思っていた自分が恥ずかしい。賛美したい。賛美しよう。主向かって!
神の造られた世界で、神に栄光を帰すのに失敗した2種類の存在があります。
堕落した天使(悪魔)と私たち(人間)です。
すべて罪とはその根本において、神に栄光を帰さないことであり
神以上に何かを愛すことです。
神がお受けになる栄光を神にお返ししながら、生きている人は1人もいません。
ここに私たちの最大の罪と過ちがあります。
愚かなことに自分の罪の愚かさの大きさを理解してない時がある。目をつむっているのか。
だから、イエス様の十字架も過小評価しているのではないか。そんなつもりはなくても。
何のために生きるのか?
神の栄光表す生き方を選ぶのか、それとも自分の目標、楽しみ、利己的な生き方を選ぶのか。この問題に決着をつける時が来ました。あなたは誰のために生きるつもりでしょうか。自分のためそれとも神のためでしょうか、そんな力が自分にあるのかと心配しているかもしれません。しかし心配は無用です。神のために生きる決心をすれば神があなた必要全て満たしてくださるからです。
神のために生きることを決心するなら、神はあなたの必要全て満たしてくださいます。
7日目
・今日のポイント
すべてのものは神のために存在しています。
・考えてみましょう
毎日の生活のどの分野で神の栄光に気づくことができるでしょうか。
・個人的まとめ
自分を捨てた上で主についていく覚悟ができたものだけに、用意されているものがある。
扉を開けたものだけが知っている。
6日目/42・人生は一時的な勤めである
6日目 人生は一時的な勤めである主よ、私に地上の人生の短さを教えてください。私の人生がどれほど短く、はかないものかを。詩篇39.4
今出先で、携帯でログインしてして書いているけど、神を敵に回すことは、いとも簡単(世に属する体の場合)だと感じた。
今日も敵に回してしまった。と軽く言っているのが恐ろしい。
逆に、神に従うには覚悟がいるのかもしれない。それと私の心の奥に感じていたものがズバーンっと直球に(聖書が直球なんだけど)書かれている。明日はどうなるか?!
祈ろう!
CSルイスは言っています。
「永遠に続かないものはみな、永遠に役に立たない」
誰か(家族の手伝い、世的な喜び)の手伝いでさえも必要なのか?愛なのか?世的なのか。
主を信じ信頼して聞こう。祈ろう。期待しよう。
6日目
・今日のポイント
この世は私の故郷ではありません。
・考えてみましょう
地上の人生は一時的な務めであるという事実は今のあなたの生き方にどのような変化をもたらすでしょうか。
・個人的まとめ(スマホで書いているので、後日また書き直します。国籍を強く天に持つ意識が大切かも!
5日目/42・神の視点から人生を見る
5日目 神の視点から人生を見る あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。ヤコブの手紙4章14節
ぐちゃぐちゃの絵かな。
とっさに想像したのは、油性マジックで画用紙いっぱいに黒く塗りつぶした真っ黒な絵。やばいね
そのイメージがあなたの人生を例えているものです。
真っ黒な人生
その中に唯一イエス様がいるのかな「私は世の光です」と言ってますし。
べつに不幸だとはこれっぽっちも思ってないけど。わずかながら仕事も与えられてるし、人にも主にも感謝もしてるし。この黒さは自分の中の罪が描き出したイメージ?主だけ見上げろってこと?
見上げたいなぁI don't understand my feelings.
あなたの人生の捉え方はもしかすると間違ったイメージに基づいているかもしれません。神の目的に従って生きるには世間一般で認められている考え方をよく吟味し聖書の示す人生のイメージに修正していいかなければなりません。聖書はこう言っています。
この世の基準に合わせてはいけません。心を新たにして神に内側からう作り変えていただきなさい。そうすれば神のみこころがわかるようになります。
あぁアーメンです。キリストを受け入れて13年。この世の基準が「真っ黒」なことをまだわかってなかったのかでもこれはうれしい発見。キリスト者でこれはあまりよくない証でもまぁリアルな証
私の闇に創造主である主イエス様は輝いて下さったってことかな。
聖書は私たちの人生に対する神の考えを3つのイメージで示しています。
それは
①人生はテストであり
②あずかる者であり
③一時的なつとめである。というものです。最初の二つを本章で取り上げ、残りの一つを次の日に見ていくことにしましょう。
様々な問題にどう対処しているか?神は見ておられる。小さなごみを拾ったことさえも神は見ておられる。
とのこと。
主は常に働き、私たちを見ておられる。見張るというイメージではなく、導く教師のイメージです。私は。
著者は人生を振り返ると、問題を通して信仰が試され、所有物の扱いを通して希望が試され、人間関係を通して愛が試されてたことがわかるそう。
人生がテストだとわかると無意味なことなと一つもない、一日一日が重要、一瞬一瞬があなたの人格と愛と信仰を成長させる大切な機会であることがわかるようになるため。
そのすべては永遠の意味を持っている。
②私たちは管理者。聖書によれば世界とその中にあるものはすべて主のものである。
地球とそこに住むものはすべて主のもの。
アーメン
多くの人はお金が神からの預かりものでテストで重要で事に気づいていません。多くの人にとってお金が最大のテストになるからです。聖書は言っています。
もしあなたがこの世の富に忠実でなかったら誰があなた方に天にある本当の富を任せるでしょう。
お金は牧師がほんとによくよくお話しに出す。
金銭を愛することがあらゆる悪の根(聖句)そして金銭の適正な活用がかなり大事なこともわかった。
5日目
・今日のポイント
人生はテストであり、預かり者です。
・考えてみましょう
神からのテストだったのだと今になって気づいたことで最近経験したことは何でしょうか?
主から預かっているものの中で一番大きなものは何でしょうか。
・個人的まとめ
その人に応じた適切な食事、睡眠、運動、自分の体を愛さないと、主に近づくことは難しいのかもしれない。
4日目/42・永遠に生きる者として造られた
4日目 永遠に生きる者として造られた 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 伝道者の書3章11節
キリストを信じたから=永遠の命を与えられた
聖書を信じる者としてめっちゃ納得ですこれは伝道に使えるかも
永遠を意識するようになると価値観が一変します。
この世での「心の安定」につながります。だって希望だから。もっともっと意識すれば変わっていくかも。
天国の驚異と素晴らしさを理解することはできない。
あたかも蟻にインターネットを教えるようなもの。
想像もできない永遠の御国は、(私たちが被造物であるが故)
聖霊による信仰によって教えていただく必要があるかも。永遠を期待し、その永遠の為の準備として
「神の国とその義とを第一にする」ことがさらに見えてくるかも。
多くの人にとって永遠について考える唯一の機会はお葬式の時。死について考えるなんて病的だと思うかもしれません。しかし死が避けられない現実である以上、この現実に目を閉ざして生きて行く方が不健全です。
死についてもっと深く考える必要があるんです。
牧師は「死」について肯定的な雰囲気ではないけど、私はイエス様を信じる前も信じた後も「死」についてずっと興味のあることです。すでにイエス様を信じた者として=永遠の歩みをこの世から歩んでいる。という言い方をよくしています。
母の胎内で過ごした九ヶ月が地上の人生の準備期間であったように、地上の人生は次の人生への準備期間です。
あなたがキリストによって神との交わりを持っているなら、死を恐れる必要はありません。
死は地上の人生の終わりであると同時に、永遠の人生の誕生日でもあるのです。
聖書は言っています。
へブル13章14
私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
永遠の時間に比べれば、地上で過ごす時間など一瞬の出来事にすぎません。
そりゃそうだとわかっていたけど、頭で理解したつもりになっていただけで、わかっていなかったのかも。
(重要性)
4日目
・今日のポイント
人生には今見えている以上のものがあります。
・考えてみましょう
永遠に生きる者として作られた私が今日やめるべき事そして今日から始めるべきことは何でしょうか。
・個人的まとめ
天に宝を積むという目標?は永遠を主イエス様に教えていただくことかもしれない。
3日目/42・あなたの人生を動かしているものはなにか
3日目 あなたの人生を動かしているものはなにか
私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。 伝道者の書4章4節
断捨離というより、主にシフト?(飽くことのない衝動をしていたので、今後もするであろう=意識する)
ヨブの最後は悔い改めて創造主の愛を知り、自分で自分を判断することをやめましたよね。
自分中心だと意味のない人生になり(その時は楽しくても)
逆に他の人に仕える人生だとしても、自分が老い仕えることができなくなる時が来る。
逆にお世話(介護)してもらう可能性も大。人生とは?
神第一、他人第二、自分第三。そんな言葉があったっけ。
まず、自分と創造主なるイエス様との関係性をきちっと持つことで、「隣人を愛する」ことに余裕ができる?
(もちろん介護すること、されることが悪い事ではない。それぞれに仕事が与えられている。
希望が必要!実は水や空気のように欠かせないもの。
私たちが消耗し、気力や喜びを失ってしまうのは働きすぎというよりも、やりがいを感じない仕事をしているからです。
「誰かが言ってたけど、仕事が楽しくないって、本気で心から仕事をしてる?本気でやればつまらない仕事なんてないよ。本気になれないならその仕事はずっと楽しくないまま。」
それは真理をついてるなと感じます。
私は一か月更新の製造業の派遣ですが、四苦八苦しながら時に楽しみながら、時に苦しみながら働いています。
今!自分にできることを、祈り、感謝し、一日一日進めていく。神の国とその義とを第一。アンテナを張るには寝なきゃ
今日も希望を失いかけていました
多くの人は認められたいという欲求に駆り立てられて生きている。
牧師がよく言うけど、人を造られた創造主から離れた故に、糸の切れたタコ状態。親不在の赤ちゃん。
欲求不満であたりまえ。キリスト者は、毎日毎時間十字架を見上げて(祈り)パワーをいただく必要がある!!
自分の人生に対する神の目的を知ること以上に、大切なことはありません。
神を抜きにして人生の目的を見出すことはできません。
神は約束されています。
「私はあなた方の為に立てている計画をよく知っている」
明確な目的がなければ、進路、仕事、教会などを変更、あわよくば外的変化が混乱を収め、心のむなしさを解消することを期待。しかし焦点と目的を見失っている現実を解決することにならない。
聖書はこう言います。
「あさはかで思慮に欠けた生き方をしてはなりません。主が願っておられることが理解できているかどうかよく考えてみなさい。」
目的がわかると生きる意欲が生まれる。
目的がわかると永遠への準備が整う。
そして神は質問を教えてくださった。
その①
私の独り子イエスに対してあなたはどのような態度をとりましたか。神はあなたの宗教的背景や教理的見解を尋ねておられるのではない。ポイントはあなたはあなたのためにイエスがして下さったことを受け入れ彼を愛し信じましたかということです。
イエスは言われました。
私が道であり真理であり命なのです。私を通してでなければだれひとり父のみもとに来ることはありません。
その②
私があなたに与えたものを活用したでしょうか。自分の為に浪費してしまったでしょうか。
それとも神の目的に従って有効に活用したでしょうか。
この2つの質問に答えられるようにすることが、本書の目的です。
1つめは永遠をどこですごすか。神と共に過ごすのか。永遠に神から離されるのか。を決定します。
3日目 私の目的について考える
今日のポイント
目的に導かれる人生こそ平安に至る道です。
まとめ
ベストタイミングで与えられた本かもしれない
2日目/42・あなたは偶然に存在しているのではない
(個人的な心の思い(人を傷つけるかもしれない)を吐露しています
2日目 あなたは偶然に存在しているのではない
イザヤ書 44章2節
あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。
聖書、キリストを受け入れた時から「必然」を理解してきたつもりだった。
改めて言われると、今から仕事行くのだけど、(祝日でスポーツの日だけど、私の会社は祝日も仕事)
その行為でさえも、神の許しの中で起きていることだと思えば、毎日が新鮮!
生まれ、親も国も肌の色も細胞の1つ1つでさえも計算されてきて、神の愛のなかで造られた。
(神は三位一体でお互いの愛の中完全なので、人を寂しいから造られたのではないというのが印象的だった。)
昔、牧師が「神の交わり愛の中に入れてくださった」と言っていたのが今理解できる。
あなたが生まれたのは、何かの間違いでもなく、たとえ両親があなたの誕生を望んでいなかったとしても、神はそうではありませんでした。神は、あなたの誕生を心待ちにしておられたのです。母親があなたを身ごもるずっと前から、神はあなたのことを心に思い描いておられました。誰よりも先に神があなたのことを考えておられたのです。
障害者、〇年しか生きられない、どんな形であれ「人」としての「命」をおなかの中で授けられた瞬間に、それは「神の愛」としての結晶であること。大好きだからあなたを造られたと。
これは衝撃的だった。私の中で、不幸で生まれてきた人という線引きを無意識にしていたのかと、自分で自分が恐ろしくなった。
あなたがいつ生まれどのぐらい生きるかについても決めておられる。誕生と臨終の正確な日日時を含めて。
死ぬ時を主が定められているのは、なんと幸いなことだろう
非合法の親がいたとしても、生まれてきた子供に非合法も何もありません。多くの子供たちが望まれない子として生まれてきます。しかし神にとってそうではありません。神は人間の失敗や罪さえもご計画の中に含めておられるのです。
その理由が神の愛と説明されているのに改めて納得!
しかも神には愛がある。のではなく、神そのものが愛。愛は神の性質の中心であると。
理由があってあなたは造られた。
これもパワーワード!
あなたが今の姿をしているのには理由があります。ラッセル・ケルファー
あなたが受けたあの心の傷は決して軽いものではありませんでした。
しかしあなたが苦しむ度に神も泣いておられました。
この言葉を信じるにも信仰によるものだと感じます。
1日目/42・私は何のために生きているのか
弟君から(所属キリスト教会の牧師に勧められたみたい)渡された本が42日間で読むと書いてある。
続けれるのか怪しい
主の許しがあればやり切れるでしょう
私は何のために生きているのか 第1日~第7日
第一の目的・あなたは神の喜びの為に造られた 第8日~第14日
第二の目的・あなたは神の家族となるために造られた 第15日~第21日
第三の目的・あなたはキリストのようになるために造られた 第22日~第28日
第四の目的・あなたは神に仕えるために造られた 第29日~第35日
第五の目的・あなたは使命の為に造られた 第36日~第42日
(一気に読むなと書いてある)
1日1章ずつ読んで、生活への適用をしてください、だそう。。
(一気に読みそうになったのを釘刺された感じ
誰かと一緒にやればいいらしい。いないのでシェア!したいと思います。
1日目 すべては神から始まる
16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
(まず読む前に5分・祈りの時間を設けたいと導かれた。)
始めから「人生はあなたが中心ではありません」と書いてある。
>「自分がなぜ存在しているのかを知りたければ、まず神から始めなければなりません」
直球だ!
>「私」から出発していたのでは人生の目的にたどり着くことはできません。
言い切っているけど、創造主イエス様を信じる者として右に同じ。
>あなたが今、こうして存在しているのは、神がそう願われたからなのです。
あなたは神によって神のために造られました。
アーメン。わかるって(信仰によって)ありがたいです
>神にあってのみ、私たちは自分の起源、アイデンティティ、存在意義、目的、重要性、行先を見出すことができるのです。
最近の自分の座右の銘に、天に宝を積むと意識してます。
>自己実現の為に多くの人が「神を利用」しようとしている。
昔FXをやっていた時、これで稼げたらその分伝道できる。
などと考えている時期があった。(たぶん愚かな判断)
大負けしたときに、そもそもこれは賭け事(いろいろ意見はありますが、私はそう判断)に近いものであり、ウィンウィンではない。悲しむ人がいるもの。やめたことを思い出した
祈り、主が「今一番近い隣人=家族 に愛をもって接すること」が必要だと思う。
>自分の目的の為に神を利用することではない。
アーメン(´;ω;`)これは本当に祈らないと自分の目的なのか創造主の目的なのかわからない時もある。
肉にあって生きている。御霊を働かせるには、祈り?
>本書は自己啓発本ではない。どうすれば活動を減らすことができるのか。
→自分に目を向けず、創造主に目を向ける、聞く?御霊に聞く?(やはり祈り?)
創造主が自分に期待され、計画されることを行うことができるかという意味?
>多くの哲学者は人生の意味はわからないけど、それは人間の思索である。
啓示(聖書に示されている)に目を向ければいい。人生も目的も神に尋ねればいい。
生きている意味なんてない。とカズレーザーさんが言っていた。
たしかに神(キリスト)がいなければ(いないという信仰に立てば)意味なんてなくなるかも。虚無だ。。。
今日の覚える聖句(新改訳
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
コロサイ1章16節 聖書 新改訳©2003 新日本聖書刊行会
◆まとめ◆
真剣に祈る数を増やし、主が望まれることを行うことを改めて示された。
実は午後3時のコルネリオの祈りを読んでいる時に、示された。
計画的に祈る時間を設ける
ことは、ルーチンになっていいことだなと感じ、お試ししています。
実は職場にイスラム教徒がいるのだが、彼らは祈る時間の決まりがあり徹底している(職場に祈り部屋まで用意)
彼らも真理のイエス様を信じて欲しいと願うばかり。
イスラム教徒向けのインドネシア語のトラクト漫画冊子をGETしましたが、渡す(彼らにシェア)する機会を探ってます。