私たち「カト根っ子会」は、1998年から2000年にかけて、月刊『私立中学受験』(発行・センター通信社/発売・ぶQ出版)いう月刊誌に、「カト根っ子つれづれ草」という連載記事を掲載してきました。


もう古いコンテンツになってしまいますが、このまま埋もれさせてしまうのも少しもったいないので、ここに再録したいと思います。全部で9回の連載ですが、一部のカトリック校の先生方と、カトリック校に関心を持つ読者の皆さんからは、温かな感想や反響をいただいた記事です。


今回はその第3回をご紹介します。



●1999年3月号掲載…カト根っ子つれづれ草【第3回】


カトリック学校・私設「若い根っ子の会」/主任研究員・秋葉 歩




一三〇〇個の「おにぎり」と、雪道の「むしろ」


 
 いよいよ一九九九年の中学入試が始まった。この号が発売される頃には大勢も明らかになり、また新たに深化した中学入試状況や、受験生父母の意識の変化を、その結果から私たちは伝え知ることができることと思う。
 ところで私たち「カト根っ子会」のメンバーは、毎年、入試の時期がやってくると、カトリック校がこれまでに残してきた、入試に関する様々なエピソードを思い出し、その話を酒のさかなにして一杯酌み交わすことが多い。

 例えば、二月一日の入試当日に大雪に見舞われ、受験生の大半が必死の思いで試験会場にたどり着いたのだが、それでも七割以上が正規の集合時刻には間に合わなかった一九九二年の首都圏入試。その年、ほとんどの私学は、試験開始時刻を遅らせるなどして、この緊急事態に対処し、そこでは多くのエピソードが生まれた(開成の「二日間入試」が、この大雪の影響から事実上の「二月二日単日入試」となり、現在の二月一日の「単日入試」に変更されるきっかけとなったのがこの年だった)。


 この年、やはり二月一日の試験開始時刻を1時間半遅らせたサレジオ学院では、試験の終了が午後2時を過ぎてしまうことを憂慮して、急ぎ先生方が米の買出しに走り、修道院の大釜で炊きあげた温かいご飯で「一三〇〇個のおにぎり」を受験生の軽食として用意した。多くの受験生父母は、このエピソードに大いに感動した。


 実際に、この「おにぎり」が、受験生にとって美味しかったか、そうでもなかったのかはわからない。しかし、寒さのなかを試験会場までたどり着き、そういうコンディションのもとで必死に入試問題と格闘した多くの受験生の空腹を満たしたことは間違いない。それを用意したサレジオ学院の先生方が、会の創立から「まず、子供たちに温かいスープを」と訴えてきた聖ドン・ボスコの精神を、この大雪の入試という局面でも体現し得たということも覚えておいていいだろう。


 その前に大雪の降った年(一九八六年くらいだったか?)の湘南白百合学園では、受験生と父母が入ってくる門から小高い丘の上の校舎までの坂道に、すべて「むしろ」を敷き詰めて、彼女たちを待った。これが受験生の登校してくる前に行われていたのだから、いったい先生方は何時からその作業をしていたのだろうと考え、私たちは胸が熱くなったことを覚えている。


 自らの学校の教育に魅力を感じ、入試当日にやってきてくれる受験生と父母の「気持ちに報いる」かのように、こうしてできるかぎりのコンディションを整えようとしてくれるカトリック校の姿勢に、私たちもまた大いに魅力を覚えるのだ。



栄光学園入試の朝の「コーチョーですねー!」


 そういう私たち通称「カト根っ子会」は、日本のカトリック系キリスト教学校(とくに中高)の教育姿勢に注目し、これを支持する有志の勉強会であり、カトリック校のファンクラブだ。ただし、誤解のないように何度もお伝えしておくが、会の結成や活動に関して、各カトリック校からのお許しをいただいているわけではないし、もちろんローマ法王庁もこれを知らない。


 それでも、会のメンバー(進学塾・テスト会・出版社職員、フリーライター、受験生父母ほか)はみな、私立中高一貫教育のあり方や特色に注目し、その内容を勉強する活動を通して、私立中高一貫教育の素晴らしさを多くの受験生と父母に伝えたいと願い続けてきた、意外と真面目な人たちばかりだ。


 そういうメンバーが寄り集まって重ねてきた「中高一貫教育ってなんなんだろう?」という話し合いの結論のひとつが、「やはり注目すべきはカトリック校だよね!」ということだったのである。


 そんな私たちは、先に述べたようなカトリック校の入試のあり方にも、やはり今日まで一〇数年にわたって注目し続けてきた。受験生と父母に対して、カトリック校の教育への理解・賛同と、家庭教育の重要性の認識を、決して妥協することなく強く訴えかけるのと同時に、ひとたび自らの学校を理解し、志願してきてくれた以上は、最善を尽くして「受験生を待つ」というカトリック校の多くに共通の姿勢は、やはり私学のあり方のひとつの“象徴”だろうと考えたからだ。


 しかし、カトリック校の入試は、あくまで厳正でフェアなものだ。すでに中学入試では、全国のカトリック校の“最難関”となっている神奈川の栄光学園では、かつて秋の学校説明会で当時のT校長(故人)が「今日はご父母のみなさまが十分に本校を吟味し、選んでください。二月二日には、本校が受験生のみなさまを選ばせていただきます」という意味のことを穏やかに言ってのけたことがある(おそらくご本人は、その場の緊張をやわらげようとして、ジョーク混じりに言ったのだと私たちは解釈している)。すると会場は、なかには数人の笑い声は聞こえたものの、一瞬で緊張感に包まれたという。


 こうしたエピソードにも、カトリック校の、入試に対する深い思い入れや熱意が感じ取れるのではないかと私たちは思う。


 この話には後日談がある。この席で図らずも父母を「ビビらせて」しまったT校長は、二月二日の入試の朝、学校の周囲をジョギングしていた最中に、途中ですれ違った近所の人に「オハヨウゴザイマース」と挨拶したときに、返礼で「コーチョーですねー!」と言われて、心臓が止まるほどドキリとしたという。


 この話は翌年の入試に向けての学校説明会でT先生自らが語ったものだが、このT先生のお人柄(父母にも生徒にもとても人気があった)とともに、カトリック校の先生方が、やはり毎年の入試では非常に緊張しつつ、この日の受験生との出会いを待ち望んでいたことを物語る逸話ではなかったかと思う。


 やはり一九九〇年頃だったと思うが、この栄光学園を受けた受験生から、同校の試験監督の先生から「君たちがもし、いい大学に行きたいと考えてこの学校を受けたのであれば、もっとふさわしい学校がほかにあるから…」という話をされたということを伝え聞いた。その話は決して受験生にとって嫌味なものではなく、非常に親身で温かなものであった。そのうえで、栄光学園の教育と学校生活について、いろいろと話を聞くことができたという。多くの受験生は、この話に大変好感を抱いた。


 そしてこの年、栄光学園と(二月一日の)東京都内の超難関校(例えば麻布中)を両方受験し、合格した受験生のなかから、栄光学園に進学するケースが非常に大勢見られた。
 誤解のないように言っておくが、この話は決して栄光学園と麻布との優劣を物語るものではないと私たちは思う。入試という特別な局面で出会った受験生と先生との、ひとつの感情の交流を表すエピソードとして受け止めてほしいのだ。



中学入試の新たな流れをつくるカトリック校


 私学が毎年、さまざまな工夫や改革によって、新たな入試のあり方を模索し、中学入試という“選抜”を、さらに実り多いものにしようと努力を重ねてきたことは、いまでは周知のことだろう。ただし、そのなかでカトリック校のなかには、一時期まで慎重な姿勢を崩さずにいた学校が多かったというのも事実である。


 しかし、振り返ってみれば、首都圏の中学入試が一九八〇年代後半から一九九二くらいにかけて、ブームといわれるほど盛り上がったきっかけのひとつとなったのは、一九八五年入試での麻布の二月一日「単日入試化」、学習院の「進学校化宣言」と並ぶ、聖光学院の二次試験実施(これを古い進学塾関係者は「麻布・聖光・学習院ショック」と呼ぶ)であったと私たちは考えている。この頃から女子の晃華学園も積極的な入試改革に踏み切ったし、湘南白百合学園や目黒星美学園、男子の暁星やサレジオ学院なども、やはり入試改革を重ねて、現在の評価を固めるに至った。


 つまり、年々激しく変化する現在の中学入試状況のなかにあって、カトリック校は一見慎重なように見えても、実は「動くときは断じて動く」ドラスティックな存在に他ならないのだ。この傾向はおそらく、二〇〇〇年以降の入試でも、例外なく受け継がれていくことと思う。


 ましてやいま、次代の文部省『学習指導要領』導入への移行時期に入り、それに直接関わる公立学校だけではなく、どの私学も「自校の教育の見直し(さらなる深化・発展)」に向けて、ある意味での転換期を迎えている。
 すでに二〇〇〇年入試で四科目入試の導入を検討している光塩女子学院をはじめ、またいくつものカトリック校が、静かにかつ力強く、独自の入試改革に踏み切っていくことだろう。


 その意味ではこの一九九九年入試で、中学を新設開校し、同時に東京会場での入試を実施した函館ラ・サールは、その開設準備から入試に至るまで、また新たな私学のパワーや求心力、父母への訴えかけの力強さを見せてくれたと思う。


 十一月に行われた説明会の「格調高さ」は、首都圏の進学塾関係者をも圧倒していたし、一方で神父である校長先生江自らが先頭に立って出席者にサービスし、ほんの少しの機会も惜しんで父母に語りかける熱心な姿は、多くの父母のハートをつかんだと私たちは伝え聞いている。さらに圧巻は、一月に不合格者に送られた「通知」の文面(内容)と、合格者に対する祝辞(激励)の電話だろう。その詳しい内容は本誌の論説などで伝えられることと思う。


 中学入試が、若干十二歳の少年・少女たちを対象に実施される“選抜”であるがゆえに、受験に際してはあくまで「夢を与えて」ほしいし、父母の立場からすれば、合格した際には六年間の「メリット」や「安心感」、充実したわが子の学校生活への「ビジョン」も示してほしい。そして万が一不合格だった場合の、次への「希望」さえも用意してほしい。


 そんな切実な期待を、北海道という首都圏からは遠い地にありながら満たしてくれたのが、函館ラ・サールの入試だったのではないかと思う。


 きたる二〇〇〇年入試でカトリック校は、いったいどういう入試を見せてくれるのか。かってないほど、教育に「確かな理念」が求められているいまだからこそ、大いに期待したいと思う。


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