阪神淡路の震災から22年
そんなに月日が経ったのか……
相変わらず僕はあの頃と同じで舞台に立ち生き急ぐように生活している
何も変わっていない気がする
あの時深夜のアルバイト終わりでご飯を買おうと寄ったコンビニ店内で震災にあいました
怖かった、生まれて初めての大きな地震
コンビニの床が波打って陳列棚が全て倒れました、何が起こったのかサッパリわからず実家に戻ると両親が起きていて大騒ぎでした
その数十分後にはパトカーや消防車のサイレンが鳴り響いてました……
そして次の日テレビをつけると神戸の惨状が写し出されていました
一番被害が多い地区に友達が住んでいて連絡がつきませんでした、友人数名と救援物資を担いで甲子園口まで行きそこから徒歩で友人宅まで向かいました
道路には毛布をかけられたご遺体が沢山寝かされていました
あの時の光景を僕は忘れる事は出来ません、小学校に避難していた友人家族に物資を渡しましたが小学校の教室にもご遺体が沢山寝かされていました……涙が止まらなかった
そして3、11の震災の時
僕は劇団員ヨッシーと共に客演先の稽古場にいました、ガラスが割れて悲鳴がこだましました
阪神淡路の時を鮮明に思い出しました
被害は……
筆舌に尽くしがたい物となりました
僕はこれまで震災の件に関しては一切描いて来ませんでした、何をどう描いてもあの悲劇は僕の中で悲劇だとしか思えなかったから……光を見つける事が出来なかったから、「偽善」という思いが僕の中で消えなかった
だから震災を描いた舞台や映画は観れませんでした、例え未来を奏でるようなラストシーンだとしても辛さや悲しさや絶望が僕の中ではリアルに刻まれているから「偽善」という思いが脳裏に浮かんでしまうわけです!
つまり向き合わずに逃げていたのです
いや、向き合う事が怖かったのです、辛すぎて悲しすぎて自分が壊れそうだったから
被災地に1日そこら行って「取材」と称してウロウロ回り爪痕を興味本意で眺めただけで被災地を知ったつもりになって帰って来て作品にする!
という事がないと願うばかりですが、そんなうがった目で見てしまう自分が今も心の中に居ます
実際に目を背けてた自分がそれを言うのが本当の偽善なんだなぁと自覚もしてます
だけど何年経っても風化しない悲劇だから
被災地に住む人々にとってまだ「震災」は終わってないと思うから
一時流行った太平洋戦争関連の作品でも同じ思いがあります
ただ
僕は今大きな矛盾を手に持っています
それは「震災をテーマにした台本」です
矛盾だ、矛盾なんだ、今まで絶対に避けて来ていたテーマの台本を持ち、役を頂き、見つめ合おうとしている自分がいます
ハッキリ言って今もこの矛盾を解消するおとしどころが見つかりません
作品も共演者も素晴らしい方々ばかりです
僕が一番ヒヨッているしビビっているし中途半端な覚悟しかないのだと思います
もちろん出演を決めた理由は一年以上も前から話をしてくれた主宰者の熱意や彼を取り巻く温かい役者陣の人柄に惚れたからこそ、なんですが、やはり怖い!
役者として何が出来るのか、この作品と共に生きるという事の意味をちゃんと理解出来ているのか!自分達が何を背負う事になるのかその重みを理解出来ているのか!
それらを全て飲み込みあの悲劇の渦中に飛び込む事が出来るのか?
役者として高倉良文が一体何を伝えられるのか
演技力とか芝居経験とか全く通用しない世界のリアル
22年間見つめなかった事と向き合います。
相変わらず僕はあの頃と同じで舞台に立ち生き急ぐように生活している
何も変わっていない気がする
あの時深夜のアルバイト終わりでご飯を買おうと寄ったコンビニ店内で震災にあいました
怖かった、生まれて初めての大きな地震
コンビニの床が波打って陳列棚が全て倒れました、何が起こったのかサッパリわからず実家に戻ると両親が起きていて大騒ぎでした
その数十分後にはパトカーや消防車のサイレンが鳴り響いてました……
そして次の日テレビをつけると神戸の惨状が写し出されていました
一番被害が多い地区に友達が住んでいて連絡がつきませんでした、友人数名と救援物資を担いで甲子園口まで行きそこから徒歩で友人宅まで向かいました
道路には毛布をかけられたご遺体が沢山寝かされていました
あの時の光景を僕は忘れる事は出来ません、小学校に避難していた友人家族に物資を渡しましたが小学校の教室にもご遺体が沢山寝かされていました……涙が止まらなかった
そして3、11の震災の時
僕は劇団員ヨッシーと共に客演先の稽古場にいました、ガラスが割れて悲鳴がこだましました
阪神淡路の時を鮮明に思い出しました
被害は……
筆舌に尽くしがたい物となりました
僕はこれまで震災の件に関しては一切描いて来ませんでした、何をどう描いてもあの悲劇は僕の中で悲劇だとしか思えなかったから……光を見つける事が出来なかったから、「偽善」という思いが僕の中で消えなかった
だから震災を描いた舞台や映画は観れませんでした、例え未来を奏でるようなラストシーンだとしても辛さや悲しさや絶望が僕の中ではリアルに刻まれているから「偽善」という思いが脳裏に浮かんでしまうわけです!
つまり向き合わずに逃げていたのです
いや、向き合う事が怖かったのです、辛すぎて悲しすぎて自分が壊れそうだったから
被災地に1日そこら行って「取材」と称してウロウロ回り爪痕を興味本意で眺めただけで被災地を知ったつもりになって帰って来て作品にする!
という事がないと願うばかりですが、そんなうがった目で見てしまう自分が今も心の中に居ます
実際に目を背けてた自分がそれを言うのが本当の偽善なんだなぁと自覚もしてます
だけど何年経っても風化しない悲劇だから
被災地に住む人々にとってまだ「震災」は終わってないと思うから
一時流行った太平洋戦争関連の作品でも同じ思いがあります
ただ
僕は今大きな矛盾を手に持っています
それは「震災をテーマにした台本」です
矛盾だ、矛盾なんだ、今まで絶対に避けて来ていたテーマの台本を持ち、役を頂き、見つめ合おうとしている自分がいます
ハッキリ言って今もこの矛盾を解消するおとしどころが見つかりません
作品も共演者も素晴らしい方々ばかりです
僕が一番ヒヨッているしビビっているし中途半端な覚悟しかないのだと思います
もちろん出演を決めた理由は一年以上も前から話をしてくれた主宰者の熱意や彼を取り巻く温かい役者陣の人柄に惚れたからこそ、なんですが、やはり怖い!
役者として何が出来るのか、この作品と共に生きるという事の意味をちゃんと理解出来ているのか!自分達が何を背負う事になるのかその重みを理解出来ているのか!
それらを全て飲み込みあの悲劇の渦中に飛び込む事が出来るのか?
役者として高倉良文が一体何を伝えられるのか
演技力とか芝居経験とか全く通用しない世界のリアル
22年間見つめなかった事と向き合います。