草木さえ眠るような真夜中。
 トイレへ行こうと、パジャマ姿のままフラフラ廊下を歩いていたライチは、扉の隙間から漏れる光を見つけた。
 その部屋は厨房だった。近づくと、美味しそうな匂いが漂ってくる。
 「うわー、美味しそうな匂いだな。誰だろう、こんな時間に・・・。」
 引き寄せられるように、扉の前に立つ。そして、隙間から部屋を覗いてみると。
 そこでは、厨房師装備で身を包んだエルモニーが、木箱を踏み台にして、大きな寸胴鍋をかき混ぜていた。
 エルモニーの腕が動く毎に、香りが沸き立ち、ライチの食欲中枢を刺激する。
 「美味しそうだな・・・美味しそうだな美味しそうだな・・・。」
 呪文のように呟くライチ。そして、ついに欲望に負け、ライチはその扉を開けた。
 「誰デスか?」
 エルモニー厨房師は声を上げて振り返る。しかしライチの視線はその顔ではなく、手元にロックオンされたまま。
 「ねえねえ、それってシチュー? シチュー? ねえ、一口食べてもいい?」
 ねだりはじめるライチを、エルモニー厨房師は訝しげな目で見つめる・・・が、その目がいきなりカッと見開いた。
 「もしかして君は、ライチ君デスか?」
 「え、あ、はい。そうです。」
 「(ライチ君といえば確か、最近厨房師になったばっかの表レランだったはずデス・・・これはチャンスかもしれないデスね・・・シシシ。)」
 エルモニー厨房師は壁にかけてあったお玉を手に取ると、皿を一枚取って、シチューをよそった。
 「そうデスね。折角だから味見してください・・・シシシ。」
 そう言って、シチューを机に置き、スプーンをライチに手渡す。
 「ええ、いいんですか?」
 そう言いながらも、ライチの視線は白いシチューを捉えて離さず、口からはヨダレが一滴。
 「はい、構わないデスよ・・・シシシ。」
 その言葉を合図に、ライチは椅子に座ると。
 「いっただっきまーす。」
 と言ってから、シチューを掬って、口に運んだ。
 「・・・美味しい! これ美味しいです!」
 「そうデスか。それは良かったデス。さ、まだ沢山あるから、どんどん食べていいデスよ。」
 空腹のライチに遠慮などという言葉はなく。
 立て続けに2杯、3杯と空にしていく。
 だがエルモニー厨房師は気にすることなく。
 ニヤニヤとしていた。
 そして・・・4杯目のシチューを半分ぐらい食べたあたりで。
 「美味しいなー、美味しいなー・・・って、アレ?」
 ライチはふいに、身体の違和感に気付いた。胃の当たりから、カァーッと熱いものがこみ上げてくる。
 「え? え? これ何? 何?」
 「シシシ・・・ようやく効いてきたようデスね。そのグラタンには隠し味に、裏レラン特製のソウル・オブ・ミスチーフ(※1)が入っているのデス。さあライチ君、裏レランの世界へようこそデス。この世界では、君の望むままに行動できるのデス。そしてビスクに混乱と恐怖を!」
 その言葉を聞いた途端、ライチの目はまるで酔っているかのようにトロンとし、表情をにやつきに変えると。
 「望むままに・・・ふふふ。」
 ゆらぁーっと、まるで柳の枝のように、動き始めた。
 
 AM3:00 ビスク西 テオ・サート広場。
 「ここは・・・ジャニさんの店舗。そうだ! ちっちゃく商売しているジャニさんにふさわしくしちゃえ・・・ふふふ。」


 AM4:00 ビスク中央 地下水路
 「この生き物は・・・確かビスク一のヘボガードのモップ・・・そうだ! もっといいやつに換えてあげよう!」


 AM5:00 ビスク中央 ラスレオ大聖堂
 「あれ? 確かこの人は・・・そうだ! マジックペン持ってきてたはず・・・ふふふ。」


 そして。
 ダイアロス島に陽が差しはじめる。鳥の声と、人々の足音が響きはじめる。
 ライチと、裏レラン厨房師は、テオ・サート広場の塀の上からジャニの店舗を観察する。
 「シシシ・・・あのジャニがどんな表情を見せるか、楽しみデスね。」
 「ふふふ・・・あ、来たよ。」
 テオ・サート広場を横切るように、ジャニが歩いてくる。
 「はあっー、今日もちっちゃく商売しないとなー。いつになったらおっきな店を任せられるんだろう・・・。」
 そう愚痴りながら、店に入る。そして、売り物にかけてあった布をめくった途端。
 ジャニの顔色が、変わった。
 「・・・ええっーーーー!!」
 そこには。確かにいつも売っているミニウォーターボトルとミルクとミニブレッドが置いてあったのだが。
 全てがまるで、ままごと人形の道具のように、ちっちゃくなっていた。
 「な・・・なななななな何でこんなにちっちゃいの? 私がちっちゃく商売してるから? どーしよう・・・えーん!!」
 わたわたと慌てるジャニを見て、2人は声を上げないように笑いあった。
 
 「さて、次は地下水路デスね。」
 地下水路入口へ移動する2人。と、目の前を歩くガードを見つけた。
 「あ、ジョニーだ。もしかして今から地下水路の掃除かな・・・ふふふ、どんなリアクションするか、楽しみだなー。」
 2人はジョニーの後をつける。そして噴水に飛び込み、地下水路へ。
 その入口に、ジョニー愛用のモップことウーが置いてあるのだが。
 「さーて、今日も頑張って地下水路の平和を守るとするかなー・・・ってうおわぁ!」
 そのモップを見て、ジョニーは声を上げた。
 モップの大きさが、あまりにも変わっていたから。
 「こ・・・これは一体? これはウーではなく・・・バルドスに見えるが・・・目の錯覚か?」
 恐る恐る、モップに近づくジョニー。
 「しかし地下水路の掃除・・・もとい平和を守らなければ、また減給されるし・・・ええい、きっと錯覚だ!」
 ジョニーはモップの側まで寄り・・・。
 プチ。
 バルドスの足が、蟻を踏むかのようにジョニーを。


 その頃、ラスレオ大聖堂では。
 煌びやかな聖堂騎士鎧に身を包んだ女ニューターが、ドアをノックしていた。
 「失礼します。ミスト様。朝の礼拝の時間です。」
 と、扉の奥から「キャー、もうそんな時間ですか?」という声と、バタバタという音が聞こえ・・・。
 数分後、扉が開いた。
 「お待たせしました。さあ行きましょう。」
 にっこりと微笑むミスト。その顔を見て、聖堂騎士はちょっと不思議そうな顔をする。
 「(あ、あれ? ミスト様、眼鏡をお掛けになったのですか? 何だかとてもお似合いで・・・可愛い。)」
 確かに、ミストの顔には黒縁の眼鏡が掛かっていた。しかしミスト自身は、その事に全く気付かない。
 それもその筈。
 その黒縁眼鏡は、ライチがマジックペンで描いたものだったから。
 ミストが聖堂に登場した途端、にわかにざわつく信者達。その中に混じって、ライチと裏レラン厨房師はクスクスと笑っていた。
 
 ラオレス大聖堂に架かる橋で、2人はケラケラ笑いあう。
 「シシシ・・・今朝はいっぱい、ビスクに恐怖と混乱を与えられましたデスね。」
 「あー、面白かった。次は何をしようかな。」
 「お、ライチ君、やる気ですね。裏レランの世界は素晴らしいでしょう。どうですか、貴方も我々と一緒に・・・。」
 と、裏レラン厨房師がそこまで話した時。
 「面白い話ですわね。是非、私も混ぜて貰えません事?」
 2人の後ろに、立っている人が1人。
 シレーナであった。
 その額には「♯」のマークが付いていて・・・。


 ビスク港には、大型魚を吊す台が備え付けられている。

 だが今日、そこにいるのは。
 手足を縛られ、フックにロープを結ばれ、逆さ吊りにされている2人のエルモニー。
 「うわーん! シレーナさまごめんなさーーい!! もうやりませんから降ろして~~!!」
 「シシシ・・・これぐらいでくじける我ら裏レランではありませんデスよ。シシシシシシ!」
 陽は水平線へ、その身を隠していく。海は往く陽を惜しむかのように、その身を真っ赤に染めている。
 カモメがいななき、波音が響く、ビスク港。
 その音に混じって、1人の叫び声と、1人の笑い声がこだましていた。
 (第19章 完)


 (※1)ソウル・オブ。ミスチーフ(悪戯魂)・・・これを混ぜた料理を食べると、無性に悪戯をしたくなる。裏料理スキル30から使用可能。