生実という地名が難読なためか、造成された際にニュータウン内の地名は「おゆみ野」とひらがな表記になっています。
小弓城は、小弓城(南生実城)と生実城(北小弓城)で区別する場合もあるのですが、ここではまとめて紹介させていただきます。
ちなみに小弓城跡のある場所は緑区ではなく中央区です(まぎらわしいw)。
![oyumi1](https://stat.ameba.jp/user_images/20130613/12/castle-manabu/04/ce/j/o0800060012574155705.jpg?caw=800)
小弓城跡は、京成電鉄学園前駅から南西へ徒歩15分くらい歩いたあたりに散在しています。
![oyumi2](https://stat.ameba.jp/user_images/20130613/12/castle-manabu/f0/24/j/o0800060012574155704.jpg?caw=800)
学園前駅。
京成電鉄の千原線が乗り入れています。
千原線は元々は千葉急行電鉄という第三セクターの路線でしたが、建設費の高騰とバブル崩壊の影響で沿線開発が進まず債務超過に陥り、1998年(平成10年)に清算されてしまいました。
事業は出資者の1つだった京成電鉄が引き継いで、千原線として運営しています。
そのため京成千葉線と直通しているものの、運賃は別設定となっていてかなり高額です。
![oyumi2-1](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/d8/73/j/o0800060012764764860.jpg?caw=800)
小弓古城址の碑と小弓城跡の案内板。
現在は広照寺の墓地になっています。墓地の中に突然現れますので、ちょっと分かりにくいです。
鎌倉時代初期、千葉氏が亥鼻城を築いた頃に築かれ、家臣の原氏に守らせました。
1509年(永正6年)には連歌師の宗長が城主の原胤高に招かれ、猿楽や連歌に興じたとされています。
![oyumi2-2](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/55/10/j/o0800060012764764859.jpg?caw=800)
八剱神社。
古代に麻績連(おみのむらじ)がこの地に移ってきて神官になったという神社で、日本武尊を祀っています。
小弓城跡を訪問する際には、まずはこちらの八剱神社を目安にするといいかもしれません。
神社の裏手を少し歩いたところに先ほどの案内板があります。
![oyumi2-4](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/a6/ed/j/o0800060012764764861.jpg?caw=800)
大百池(おおどいけ)公園。
古くから溜池として用いられていた大百池と運動広場などの台地部分からなる、おゆみ野ニュータウンの中心的な公園です。
公園の台地の部分には、縄文時代の住居跡が地下に存在しているそうです。
![oyumi2-5](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/07/45/j/o0800060012764764863.jpg?caw=800)
大百池。
古代に麻績(おみ)氏がこの地を開発し、麻布をこの池でさらしたことから大百池という名になったのだそうです。
千葉氏が小弓城を築いた際には、堀の一部として城の防御に一役買ったとされています。
池の向こうには京成電鉄千原線の高架橋が見えます。
1518年(永正15年)、古河公方・足利高基の弟・足利義明は上総の真里谷城主・武田信清(真里谷恕鑑)の支援で原胤高から小弓城を奪い、小弓公方を名乗って古河公方と対立します。
![oyumi2-7](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/bd/d0/j/o0800060012764765990.jpg?caw=800)
大覚寺山古墳。
千葉市内では最大規模の前方後円墳です。
埋蔵文化財センター近くの住宅街に突然現れますので、とても見つけにくいですね。
![oyumi2-8](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/9c/aa/j/o0800060012764765992.jpg?caw=800)
大覚寺。
えっと、お寺って木造の本堂があるイメージなんですけど、ここは鉄筋コンクリートですか?
最寄りのバス停も「御寺前(おてらまえ)」って、かなり大雑把な名前のバス停ですw
![oyumi2-9](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/a6/26/j/o0800060012764765993.jpg?caw=800)
生実池。
かつては北小弓城(生実城)の堀であったと考えられています。
足利義明が1538年(天文7年)の第一次国府台の戦いで戦死すると、再び原氏が入城しました。
翌1539年(天文8年)、小弓城の北西に新たに城を築いた原胤清は、本拠をこの地に移して生実城と字を改めます。
![oyumi2-10](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/e0/d4/j/o0800060012764765994.jpg?caw=800)
森川山 重俊院。
生実藩主森川氏の菩提寺で、初代藩主の森川重俊から重俊院と名付けられたのは間違いないでしょうww
![oyumi2-11](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/b5/83/j/o0800060012764767922.jpg?caw=800)
森川氏城址の碑。
なぜ、森川氏城址の文字は塀の方を向いているのか・・・。
ということで、本来は裏側の説明文が書かれている方が写っていますww
![oyumi2-12](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/04/92/j/o0800060012764767923.jpg?caw=800)
本城公園。
生実城の本丸があった場所なのですが、今ではごくごく普通の公園となっています。
公園の一角にある北小弓城(生実城)跡の案内板が、かつて城がここにあったことを教えてくれます。
![oyumi2-13](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/b5/63/j/o0800060012764767921.jpg?caw=800)
生実神社の入口。
生実神社は、崇道天皇や藤原広嗣など朝廷により冤罪をかけられた人々の霊を祭神としており、もとは御霊(ごりょう)神社と呼ばれていました。
天文年間(1532~1555年)に小弓城主の原氏が祀ったとされています。
1590年(天正18年)に原胤栄が徳川家康の家臣・酒井家次との戦いで戦死し、生実城も廃城となります。
その後、1627年(寛永4年)に森川重俊が生実藩1万石の藩主として陣屋を構えると、以後は一度の転封もなく森川氏がこの地を治め、明治を迎えました。
![oyumi2-14](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/97/98/j/o0800060012764767925.jpg?caw=800)
生実神社拝殿。
この周辺が生実城、生実陣屋の跡地だったようです。
![oyumi2-15](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/14/5c/j/o0800060012764767924.jpg?caw=800)
旧生実城空堀。
生実神社の境内に入って左端の奥にある空堀跡ですが、これが小弓城(生実城)で最も遺構らしい遺構ではないかと思われます。
現在では宅地開発が進んで遺構はほとんど失われていますが、周辺の地形が何となく城跡の名残があるように思います。
![oyumi2-16](https://stat.ameba.jp/user_images/20131129/15/castle-manabu/79/71/j/o0800060012764768388.jpg?caw=800)
北小弓城大手口跡の碑。
碑の奥に見える盛り土のようなものが大手口の土塁跡です。
![oyumi7](https://stat.ameba.jp/user_images/20130613/12/castle-manabu/ac/fc/j/o0800060012574157905.jpg?caw=800)
こだわり拉麺一恭。
学園前駅から徒歩5分くらいのところにあるラーメン屋さんです。
お店の方の接客がとても丁寧で、非常に好感が持てます。
公式HPがありますので↓↓に掲載します。
http://www1.ocn.ne.jp/~ikkyo/
![oyumi8](https://stat.ameba.jp/user_images/20130613/12/castle-manabu/f8/05/j/o0800060012574158140.jpg?caw=800)
ラーメン(並)。
煮干し系のすっきりした感じのラーメンです。
個人的には二郎とか家系といった、こってりしたラーメンより好きな味ですね。
最後はラーメンの話になってしまいましたが、この辺で終わります。
御城学。