M.K.S Blog

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料理家・栗山真由美 ライフワークは料理と旅

 

こんにちは。

久々にアントワープの投稿です。

 

ちょっと地味目で、旅行者が押し寄せるほどの場所でもなくて、でもアントワープの歴史に強く関わる博物館があります。

一旦、地球の歩き方ブログに載せようとしたのですが、ちょっと毛色が違うと思いこちらにニコニコ

Maagdenhuis(マーグデンハウス)という、アントワープ中心部にある博物館で前身は女子孤児院。

 

当時の洋服の展示。左のブラウスなんか、今でも私が着たい感じです目がハート

 

まずは、Maagdenhuisの成り立ちを歴史から紐解いていきます。

中世初期から 11 世紀までは、貧しい人々への救済は教会の役目でした。

12 世紀以降になると、多くの地方住民が都市に移住し、これは裕福な都市居住者にとって脅威となります。

社会不安や伝染病を防ぐために、彼らは困っている人たちが一時的に避難できる避難所を設立しました。

14 世紀は壊滅的な飢餓の時代であり、さらにペストが発生しました。

その激動の時代、1350 年頃に、ドイツの裕福な商人Hendrik Sudermanは、貧しい少女や女性のための家「Vrouwkenshuis」を設立しました。

 

赤ちゃんポストです。

 

一方で、富を築いたJan Van der Meerenは、孤児の少女たちが危険にさらされているのを目の当たりにします。 

3 人目の妻が亡くなり、11 人の幼い子供が残された彼は、貧しい孤児の少女たちのための孤児院「Maegdeckenshuis」の設立を思いつき、1552 年に「Vrouwkenshuis」の隣に建てました。

 

 

更に実業家Gilbert Van Schoonbekeの財産全体が「Maagdenhuis」の所有となり大幅に拡大が可能になりました。

白い天然石の正面ファサードはこの頃に完成しました。

 

拡大したMaagdenhuisは100人の子供の収容が可能で、住居、食事、教育が行われました。 彼らは読み書き、フランス語、数学も学びました。更に、裁縫、レース作り、糸紡ぎ、洗濯や料理も学び、生活力をつけていったのです。

 

Maagdenhuisにも困難な時期があり、少女たちは主に労働者となり、裁縫やレースの仕事をして費用をまかなったのです。 

特に18世紀は、他のことを学ぶ時間がありませんでした。

少女たちは朝早くから夜遅くまで働いていました。

 

幸いなことに、これは 19 世紀に再び変化し、教育が労働よりも優位な立場を取り戻しました。

1882年にMaagdenhuisは女子孤児院としての扉を閉じました。

 

何世紀にもわたって、慈善団体は相続や寄付を通じて多くの芸術作品を収集してきました。

Maagdenhuisの旧礼拝堂には 84 点の絵画を収蔵し、1884 年に博物館として開館しました。

しかし、数年後、芸術の殿堂KMSKAがオープンし、ほとんどの芸術作品は、KMSKAに移されました。

 

その後、転機は1930年にやって来ます。 

アントワープでの万国博覧会と慈善活動に関する国際会議の機会に、新しいMaagdenhuis博物館をオープンすることになります。

ヨルダーンスやヴァン・ダイクなどの作品を鑑賞できるほか、公的貧困救済に関する重要な歴史文書も見ることができます。

 

Triptoek van Jan van der Biest©︎Pieter Aertsen

OCMW(公共社会福祉センター)アントワープの歴史は、中世初期のさまざまな慈善活動に遡り、Maagdenhuisの豊かな芸術遺産に反映されています。

 

すべての芸術作品はアントワープの社会史の一部と、そして、多くの食器は、Maagdenhuisの歴史と何世紀にもわたる貧困救済に直接関係しています。

 

お粥ボウルだそうですひらめき

 

手洗いですが、繊細で美しい。

 

名簿です。重みがありますね。

 

最後に木製のクララをご紹介します。

 

Maagdenhuisを舞台にしたHendrik Conscienceの中編小説に登場するクララという少女の物語。

スペインの伯爵にはフランドル人の妻カタリナがいますが、カタリナには伯爵と結婚前にアントワープ在住の婚約者がいました。

しかし彼は、1576年の反乱で亡くなってしまう。

カタリナは彼との間に授かったクララをアントワープに残し、スペインに嫁ぐ。

しかし、大きな後悔が残り、彼女は捜索に出て、Maagdenhuisでクララを見つけ、頻繁に訪ねることになります。

これに気づいたスペインの伯爵は後にクララに会います。

彼は、彼女の素朴さと優しさにとても感銘を受け、彼女を養子にすることに決めました。

彼らは末永く幸せに暮らしました・・・という、この物語は残念ながらフィクションですが、語り継がれ、劇場でも上映されてきたようです。

 

クララはいつも直立不動で立っていたため、「木のクララ」というあだ名が付けられました。

中庭には、制服を着た 17 世紀の孤児の少女の木製像があります。

Maagdenhuis に暮らす他の女の子たちの、クララに対する親愛を元に、リクエストで作られたものと言われています。

写真のクララのレプリカは、品質の違いと木で作ることの難しさを示しているのだそう。

 

少しマニアックかもしれませんが、アントワープの歴史とここにおける福祉の歴史も絡み合って、興味深かったです。

 

場所は街の中心の便利なエリアにあって便利です。

サイトを貼っておきますね左下矢印

 

 

では〜ニコニコ

こんにちは。

3月に一時帰国して、ベルギーに帰国して、実は既に20日ほど経過してしまいました。

時間が過ぎるのって、本当に早いですね泣き笑い

 

こちら、上野不忍池公園の蚤の市で見つけたこけし。

赤ちゃんおんぶしてるデザイン、珍しいですよね〜

 

ですが、ようやく終演です。

ベルギーに移住して5年、一時帰国は3回目になりました。

色々思うこともありましたし、少しはどなたかの役にたつ情報にもなるかと思い、総括を残して最終回とします。

 

まずはテクニック編。

 

椿山荘から

 

・運転免許の期間前更新

元々予定のなかった、今回の一時帰国を突然決めた1番の理由はこれです。

ご存知のように日本の運転免許の更新は誕生日を中心に前後1ヶ月間です。

2024年は更新の年、そしてその期間に自分は帰国できないことがわかっていました。

 

在外邦人でこの期間に更新手続きができない、しかるべき理由がある人は、期間前更新が選べます。

2020年度にも1度更新しましたが、その手続きが明確でなく、不可解なものでした。

具体的なやりとりは伏せますが、えびっくりマークええ〜はてなマークの連続でした。

ただ、限られた条件の中、背に腹は変えられなかったので、解せないながらも更新しました。

 

今回、これらが全て明朗明確になっていました。

登録の住所や電話番号を実家などで登録する場合、「一時帰国(滞在)証明書」を持参すれば可能です。

私はこれを家族に書いてもらったので、その家族の住民票も必要でした。

でも、例えば家族や実家がない場合はどうなるのはてなマークと思いますよね・・

なんと、宿泊先のホテルの住所でも、了承が取れれば可能とのこと。

画期的ですよね。

 

ただ、手続きをする管轄の警察署や免許センターによって違いはあります。

また、公式サイトで調べて必要書類のひとつになっていた写真が、私の場合必要ないと言われました。

(行きがけに駅で撮って行ったのですが、1000円無駄にしました悲しい

現場との食い違いはあるのかもしれませんので、可能なら周りの人に聞いて、怪しかったら、まずは現地に行ってみる。

証明写真は免許センターなり駅で撮れることも多いので、必要とわかったら対応するので十分かもしれないと思いました。

 

・免税での買い物について

海外に暮らすことで、日本との手続き関係で数々不便なことがあります。

そのひとつに、免税での買い物も加わりました。

免税を受けるために、日本大使館発行の在留証明書(または戸籍の附票の写し)が必要になりました。

それを得るために、該当のコミューン発行の住民票と、日本の戸籍謄本が必要。

前者は発行から3ヶ月以内の原本とコピー、

後者は本籍に変更がなければコピー可、発行日は問われません。

しかしながら、在留証明書発行には8ユーロ(今のレートだと1300円程度)かかります。

戸籍謄本のための費用や、日本の家族とのやりとりなど考えると費用がさらにかさみますよね。

そして、ブリュッセルの日本大使館に行くにも交通費かかります。

免税といっても、たかだか10%引きですから、総合的に判断しないとですね。

 

免税品を国外に持ち出す(国外の居住地に戻る)にも決まりがあり、未開封のまま30日以内に国外に持ち出さなければなりません。

そして、基本的に手荷物で運ぶルールになっているので、各航空会社の手荷物の規定に従う必要があります。

手荷物は、誰しも必要最小限にしたいと思われるのではないでしょうか。

重くて大きなものは預け入れのスーツケースに入れたいものです。

いずれにしても、重さやサイズの規定はありますから、なかなかに頭が痛い。

 

免税品は高額の買物をする予定があるなら意味がある、軽いものだと尚相応しいと思います。

が、それ以外ならば一部の百貨店で発行している在外邦人向けの買物カードの方が使い勝手がいいな・・と今回思いました。

私が使ったのは、高島屋発行のSHOPPER'S CARD(通称キティちゃんカード)です。

免税品は5500円以上の買物から適用されますが、高島屋SHOPPER'S CARDの場合は、3000円以上から適用されて5%引きになります。

免税品と比べたら割引率は半分ですが、これで日数も手荷物も気にせず、買い物してどんどん荷詰してしまった方が楽だなと思いました)うずまきうずまきうずまき(に続く)

もし免税品として買物したければ、同日中に高島屋内の別の店舗で買物して、合計で5000円以上ならば適用されます。

SHOPPER'S CARDと併用すれば、普通に免税するより更にお得になりますよね。

ただ、高島屋内にあっても適用されない店舗もありましたので、事前に確認した方が良いと思います。

・・・ここまで書いてアレですが、高島屋SHOPPER'S CARD発行にも、在留証明書(または戸籍の附票の写し)は必要でした。

なかなか困難ですね悲しい

私の場合、別件で在留証明書が必要で大使館に行きまして、ついでがあったので、免税販売のための在留証明書も取った形です。

 

うずまきうずまきうずまき

関連して、ANA(全日空)とヤマト運輸の提携サービス、”手ぶら・空港宅配サービス”をご存知ですか?

ANAの国際便に限るサービスなのですが、ネットで申込み後、自宅に集荷に来てもらい、手続き。

受け取りは、到着の空港で受け取るという、秀逸なサービスで、1人で一時帰国した時は大変助かりました。

なにしろ、一時帰国=仕入れ泣き笑いでもあるので、制限マックスまで荷物を持って帰りたい。

23kg×2個のスーツケースに同じくマックスの手荷物を持って1人で空港に行くだけでも大変ですから、その内、1個のケースでもこのサービスを使って事前に預けられると助かります。

受付も出発の30日前から可能なので、上記に書いたように、ちゃっちゃと必要なものは買い物して、どんどん詰めて、1個のスーツケースは早めに預けてしまえば、残り1個のアレンジで済みます。

集荷はホテルなどはNG、自宅とか友人宅とか個人の住宅からのみ可能です。

費用も空港までの宅急便代+空港使用料(660円)と実に良心的でした。

 

椿山荘の素敵カーペットより

 

・eSIM

前回までの一時帰国ではポータブルWIFIを契約してました。

今回はSIMカードにトライしてみようと思っていて、周りの人々にリサーチしました。

空港に到着後、申し込みなどして、すぐに使えるのが理想だなと気持ちが固まり、eSIMにトライしてみました。

到着時間が空港内のショップが閉店してからの可能性もあったので。

若いお友達と旦那さんに教えてもらって、airaloを選びました。

若い人にはなんでもない初期設定とかも、実は不安なんです不安

実際、ちょっとヘマしたりもしたのですが、懇切丁寧にアフターフォローもして下さって、なんとかチョキ

使い始めたら、本当にスムーズで、手間いらず。

友達が言ってたように、スマホの画面上で設定するので、SIMカードを入れ替える手間も、無くす心配もありませんでした。

持つべきものは友達ですね、特に海外では身に沁みます。

ありがとうニコニコ

 

・コトラボ料理教室

お仕事のことも少し、書かせてください。

今回もお世話になりました、コトラボさん。

前回2022年のコロナ渦の頃とは随分と状況が変わったのだな〜と随所に感じながらも、最終的には満席御礼でした。

前回、「キャンセル待ちです」とかそのまま繰り上がらなかったというご連絡をいただいた元生徒さん達が、相当数いらっしゃったので、個人的にお声がけしたり、この間にコンタクトいただいた方にも同様にさせていただきました。

実は日本にいた頃主宰していた料理教室の常連の方には、既にご存知のメニューも多くて、少し申し訳ない気持ちもあったのですが、

それでもおなじみのお顔をたくさん拝見。

都合をつけて足を運んでくださったことに今まで以上に感激しました。

この場をお借りして、本当にありがとうございます目がハート

と、同時に、私は本当に恵まれた環境でお仕事させてもらっていたことを再確認しました。

また、ご一緒できることを楽しみにしています飛び出すハート

そして、いつも支えて下さっている、コトラボの皆様にも改めて感謝しますニコニコ

 

あとは、徒然に・・

師匠の枝元なほみと電話で話ができたことも嬉しかったことです。

物理的距離ができてしまって、以前のように助っ人もしにくくなってしまったけれど、いつまでも元気でいて欲しいです。

連絡が取りづらくて凹んでいた時も、励ましてくれた妹弟子の市瀬悦子さんにも感謝です。

今回は会えて、色々話せて嬉しかった目がハート

 

その他の友達で会えた人は、前回と比べたら人数的にはグッと減りました。

前回は50日間1人旅だったので、はじから連絡してスケジュール真っ黒な状態でしたけど泣き笑い

今回は1人時間は2週間、諸手続きやお墓参りや、教室も含めてだったので、なかなかの忙しさで、単純に時間切れですね。

そんな中、私のデビュー当時からの友達なのに、相方を引き合わせられていなかったSさんに遂に彼を紹介できて良かったニコニコ

 

大人になってからの友達は、関係性が変化しにくいというか、定着しやすい傾向がありますよね。

数より質になりますし。

考え方が近い人の方がわかり合いやすいし安心感がある・・だけど、同じである必要はなくて、むしろ違うから惹かれることも多い。

それが揺らぐのは信頼感?

私ならそうゆう風にはしないな、できないな・・ってこと、できちゃうことに驚いたり、ちょっとそんなこともありました。

自分を押し殺してまで人に合わせたり、窮屈な思いをする必要はない。

自分がしたいこと、思っていることを優先することには賛成だけれど、それは他人をおざなりにしていいって意味ではない。

それではあまりに横柄ではないか・・と私は思う。

温度差と言ってしまえばそれまでですが、大変な時に寄り添ってくれる、せめて気にかけてくれる人を選びたいですね。

感謝の気持ちは相手に伝わってナンボだと私は思います。

自戒を込めて書いておきます。

 

物価の高いベルギーに暮らしていると、日本は安い、コスパが良いってイメージが強いけれど、

その先入観をおいても、今回は部門によっては高いと感じることが多かったです。

というのも、万国共通の小麦粉やコーヒー、油の値上がり、

水道光熱費の高騰などあるから、やはり世界規模の問題なのだなーと思いました。

某コーヒーチェーン店で、特別な店舗だったのかもしれませんが(銀座だった)、1番スタンダードな炭火焙煎コーヒーが800円超だったことには震えましたね不安

”安い”が売りのお店も、それなりになっていましたし。

そんな状況でも頑張っている100円ショップは神ですねひらめき

 

椿山荘の素敵カーペットより

 

最後にご紹介するのは、沖縄系のそばがどうしても食べたくて、最終日のお昼に行った湯島のみやら製麺。

八重山そばのお店で、尚更興味深い飛び出すハート

自家製麺で、理想的な出汁のお味でした。

私は八重山そばとジューシーのセット。

 

相方は1番人気のソーキそば。

沖縄はもちろん、八重山諸島にも行ったことない相方ですが、これをきっかけに興味が湧いたよう。

完食してましたひらめき

 

最後に、日本での私の諸雑務の窓口をしてもらっている妹にありがとう。

あなたなしでは、私のベルギー暮らしは成り立たないのだよお願い

 

それから、今回も居候を快く引き受けてくれた友人Yにも大感謝。

彼女のベースは親切、でも脱力系な感じで快適に過ごさせてもらってます。

彼女なしでの一時帰国は考えられなくなりつつあります。

ほんとありがとう飛び出すハート

 

総括だけに、猛烈に長くなりましたが、2024年度の一時帰国はこれにて締めさせていただこうと思います。

お付き合いいただきありがとうございました〜目がハート

 

 

こんにちは。

写真撮りすぎたのか、まだ終わらない泣き笑い

もうしばらくお付き合いくださいね。

 

さてさて、京都から東京に戻った翌日、私たちは横浜へ行きました。

 

妹夫婦が横浜港の屋形船を提案してくれたんです。

彼女達とは、ブルージュで気球にも乗りました。

乗り物好きなのか?

そういうアトラクション大好きな相方はノリノリでこの日を迎えましたひらめき

 

話それますが、このシンボリックな半月型のビル、ヨコハマ グランド コンチネンタルホテルの最上階に女神がいるってご存知でしたはてなマーク

半月の側面に挟まれた真ん中の部分の最上階です。

この女神像は、別名みちびきの像で、横浜の飛翔、パシフィコ横浜の航海の平穏、世界の平和への願いが込められているのだそうです。

 

さてさて、その麓近くの港から、屋形船に乗り込みました。

その日の海の状態によると思いますが、この時が1番揺れて、若干この先が心配になりました。

(結果大丈夫でしたが指差し

 

さてさて、出発し、飲食が始まりました。

和食のフルコースで数々のお料理が出ましたが、写真を殆ど忘れて3枚だけでした。

 

最後は桜餅でした。

従姉妹も加わり、5人で飲んで食べて楽しみました。

 

ベイブリッチ波

 

私は東京湾の屋形船を2回、経験したことがあります。

相方はもちろん初めて。

気合い入ったのはいいのですが、体が大きいので、狭いスペースはきつそうでしたね。

食事が大体済むと、甲板に出て、景色を楽しむ方が多く、私らグループも私と相方以外は行ってました。

私もそうだったのですが、乗り込む時の船の揺れ、不安定なまま靴を脱着する、船が出発するまでの揺れで少し気分が悪くなり、不安に不安

相方はめまいを中心とする体調不良を少し長めに患っていたこともあり、多くの方が甲板に出る頃には落ち着いていましたが、

また動いて危ない状況になるよりは、安定してる状況を死守したいとのことで、私も同意して席に留まりました。

 

そんなわけで、甲板に出て眺める360度のパノラマビューが最高なのだと思いますが、その写真はございませんガーン

船内から撮った写真を少し上げますねニコニコ

 

最後は下船して少し離れたところからの写真です。

 

日本ならではの体験がしたい方には屋形船はオススメです。

 

続く。