悪魔のように細心に


監督:ヴィクター・フレミング

製作:デイヴィッド・O・セルズニック

原作:マーガレット・ミッチェル

風と共に去りぬ (1) (新潮文庫)/マーガレット・ミッチェル

¥780

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脚色:シドニー・ハワード

撮影:アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン

録音:トーマス・T・モールトン

編集:ハル・C・カーン、ジェームズ・E・ニューカム

美術:ライル・ウィーラー

衣装:ウォルター・プランケット

特殊効果:ジョン・R・コスグローヴ、フレッド・アルビン、アーサー・ジョンズ

音楽:マックス・スタイナー

出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、オリヴィア・デ・ハヴィランド、レスリー・ハワード、イヴリン・キース、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、アン・ルザーフォード、ジョージ・リーヴス、フレッド・クライン、ハティー・マクダニエル、オスカー・ポルク、バタフライ・マックィーン、ヴィクター・ジョリー、エヴェレット・ブラウン

原題:Gone with the Wind

1939年/アメリカ/238分・テクニカラー


これは映画史上最も有名な作品の一つでしょうかね。現在に至るまで何度もリバイバル公開され、アメリカ国内のインフレ調整を行った興行成績では歴代1位を記録しています。ピューリッツァ賞を受賞したマーガレット・ミッチェルの大ベストセラー小説を原作に、南北戦争前後の南部を舞台にしたエピックで、当時としては歴代3位となる390万ドルの製作費を投じて作られた、フルカラーの4時間近い大作でした。


本作は、興行的には失敗に終わった過去の超大作とは違い、クランク・インの2年も前のオーディションの段階から大々的な宣伝を行って観客の関心を高め、見事に大ヒットを記録。これ以降、宣伝や製作費に大金を注ぎ込んで客を呼ぶハリウッド商法が確立していくことになります。


名作揃いだった1939年度のアカデミー賞で、作品、監督、脚本、男優(クラーク・ゲーブル)、女優(ヴィヴィアン・リー)、助演女優(オリヴィア・デ・ハヴィランド、ハティー・マクダニエル)、撮影、録音、編集、室内装置、作曲、特殊効果賞の13部門にノミネートされ、作品、監督、脚本、女優、助演女優(ハティー・マクダニエル)、撮影(カラー)、編集、室内装置賞の8部門を獲得。他に劇的なカラーの使用に対する特別賞と特撮に対する科学技術賞を受賞し、合わせて10部門。これは、20年後の『ベン・ハー』に破られるまでの最多受賞記録でした。他に、製作のデイヴィッド・O・セルズニックにはプロデューサーとしての功績に対してアービング・G・タルバーグ賞が贈られています。


日本では戦前は一般公開されませんでしたが、占領地の上海、マニラ、シンガポールなどで本作を見た兵士たちから凄い映画だという評判は伝わっていて、戦時中でありながら特別に輸入され、軍関係者のみによる試写会や東大での上映会などは行われたそうです。ようやく一般公開されたのは製作から13年後の1952年のことでしたが、それでもそのスペクタクルは全く色褪せることなく大ヒットを記録しました。なお、劇場公開は遅かったものの、本作が世界で初めてテレビ放映されたのは1975年の日本で、栗原小巻がヴィヴィアン・リーの吹き替えをやるということでも話題になったものでした。


ヒロインのスカーレット・オハラ役のオーディションは、映画の宣伝も兼ねて全米各地で行われ、1400人以上が面接を受けたと言われています。しかしヒロイン選びは大いに難航し、ジーン・アーサー、ルシル・ボール、タルーラ・バンクヘッド、ジョーン・ベネット、クローデット・コルベール、ジョーン・クロフォード、ベティ・デイヴィス、フランシス・ディー、オリヴィア・デ・ハヴィランド、アイリーン・ダン、ジョーン・フォンテイン、グリア・ガーソン、ポーレット・ゴダード、スーザン・ヘイワード、ミリアム・ホプキンス、キャサリン・ヘプバーン、キャロル・ロンバード、アイダ・ルピノ、マール・オベロン、ノーマ・シアラー、バーバラ・スタンウィック、マーガレット・サラヴァン、ラナ・ターナー、ロレッタ・ヤングなど多数の女優が候補に挙がりました。


原作者のマーガレット・ミッチェルは、ジョージア州出身でもあるミリアム・ホプキンスが、最も原作のイメージに近いと言っていたようですが、彼女は当時30代半ばという年齢に問題がありました。それから、ラジオ番組で、誰がヒロイン役にふさわしいかという聴取者投票なども行われ、ベティ・デイヴィスが最多得票を集め有力視されましたが、彼女は所属先のワーナーがエロール・フリンをレット・バトラー役に起用するなら貸し出すという条件付きだったため、その点で折り合わずに断念。最終的にはポーレット・ゴダード、ジーン・アーサー、ジョーン・ベネット、ヴィヴィアン・リーの4人に絞られ、最有力視されていたポーレットが最初にカラーによるカメラテストを受けることになりますが、彼女は未婚のままチャップリンと暮らしていることが問題視される恐れもあるということで脱落してしまいました。


ヴィヴィアン・リーはその時点で4番手の評価だったようですが、次にカメラテストを受けた結果に、プロデューサーも、当初の監督だったジョージ・キューカーも大いに満足し、残りの2人のテストは行わずヒロインに決定されたということです。彼女は当時アメリカではほとんど無名だった25歳のイギリス女優で、『嵐が丘』に出演中の恋人ローレンス・オリヴィエの後を追って渡米していました。ちなみに、先のラジオの投票では彼女にはわずか1票しか入らなかったそうです。


この作品はスカーレット役が決まらないままアトランタ炎上シーンの撮影が行われ、それを見学にきていたヴィヴィアン・リーの炎に映える横顔をプロデューサーが一目見て、「彼女こそスカーレットだ!」と叫んだという伝説も残っています。


その話の真偽のほどは定かではないようですが、そのような伝説を生み出すほど、この作品の中のヴィヴィアン・リーが強烈な個性を放っていたことは事実で、もしポーレット・ゴダードやジーン・アーサーがヒロインに選ばれていたら、果たしてこれだけの大成功を収めたかどうかは分からなかったかも知れませんね。


本作の監督は2年前の準備段階からジョージ・キューカーに決まっていましたが、撮影に入って3週間も経たないうちに、演出方針を巡ってセルズニックやクラーク・ゲーブルとの折り合いが悪くなり、『オズの魔法使』を演出中だったヴィクター・フレミングと交代することになりました。しかし、女優陣のヴィヴィアン・リーやオリヴィア・デ・ハヴィランドはキューカーに傾倒し、降板後もこっそり彼の演技指導を受け続けていたそうです。また、代わったフレミングも、途中でこの超大作の演出に疲れ果て2週間ほど休養することになり、その間サム・ウッドが一時的に演出を担当しています。


それから、脚本もシドニー・ハワードのオリジナルはあまりにも長すぎて、映画にすると最低でも6時間は要するということで、その後ベン・ヘクトら複数の脚本家によって書き直されているし、撮影も当初はリー・ガームスでスタートしたものの、映像が暗すぎるということで1ヶ月でアーネスト・ホーラーに交代になっています。


というように様々な紆余曲折はあったものの、それはより完成度の高い作品を目指した結果で、そんな努力が実を結び、このような不朽の名作が誕生したということかも知れません。

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