ものすごーーーい開いてしまいました。。。。。
その間に、7月の息子の3週間もの年度中間長期休暇が入ったりしてましたが、今回は再びメキシコへ!!!

旦那が前回に我が両親がコスタリカに来たときにいったメキシコがいたくきにいり、たっての希望で再びメキシコへ行ってまいりました。
今回は、昨年末に高校を目立てく卒業し、今年四月にめでたく高校課程卒業資格を取得した甥っ子アランと一緒です。
まあ、卒業祝いってところです。
ところで、この卒業祝い、実はものすごくのびのびになっちゃいました。
というのも、あろうことかアランは高校卒業時に国一斉に行う高校卒業資格試験で数学を見事に落とし、4月の再試験で無事卒業資格取得となったのです。
でも、高校の全過程は高校の定期試験の成績で修了していたので、高校は12月で普通にそつぎょうしていたんだけど。。。そして卒業式もプロム(卒業ダンスパーティー)も当たり前のようにでてました。

このあたり、ちょっと日本とシステムが違うのでわかりにくいのだけれど、ようは日本のように高校の定期試験でそれなりの成績をとって、つまり赤点を取らずにいけば卒業はでき、その高校の卒業証書はもらえるのだけど、国家資格としての高校卒業証明のようなバチジェラートという資格は国一斉のそれ専用の試験に合格しないともらえない。
そして、専門学校であれば、高校独自の卒業証書で入学できるけれど、このバチジェラートがないといわゆる高卒とは履歴書にかけないし、大学にも入学できない、ということになる。。。。

さて、この卒業資格試験は意外と大変である。というのも、全科目の合計点というわけではなく、評価は各科目別となり、全科目それぞれ基準点を満たさないといけないので、一科目でも不得意科目があると非常に痛いのである。
今回、アランがひっかかったのが数学。
これは我が旦那の数学のレベルを考えると妙に納得だったりする。つまりは旦那ファミリーの血のなせる業なのかもしれない。しかも、年が離れているのでうちの旦那の数学の宿題も散々手伝った彼の母親である義姉によると「アランは弟(旦那)よりさらにひどい」という数学のレベルらしい。。。
私はアランの数学がどれだけのものかは知らないが、自分の旦那のレベルはとてもよく知っている。。。。。それよりひどいというのであれば、それはもう相当に苦手だというのは想像に難くない。

そもそも卒業一年前の高校二年生の学年末試験で実は数学が追試になり、追試でもギリギリの点で最終学年へ進級した、という経緯がある。
その段階で、来年末に向け、一年間、数学の家庭教師をつけて準備するとかの手立てをうっておけば、たぶん普通にバチジェラートをとれたのだと思うけど、ポジティブ思考の典型的コスタリカ人である彼は「そうはいってもなんとかなるんじゃないか」などと思いそのままにしていたに違いない。
もともとアランは相当に頭がいい。小学校時代は6年間クラスの成績優秀者として表彰されていたのである。苦手なのは本当に数学だけなのである。
だから義姉も「まさかうちの子が・・」という感じであったに違いない。
数学も、もっといい高校へ行って、ちゃんとしたレベルでそれなりに教えられる先生のいるところだったら、ギリギリでも何でも無事に合格したのだろうと思う。
でも、残念ながらサンマテオ唯一の高校である公立高校は決してレベルが高いとはいえず、むしろ自主退学者をださないように、出来るだけ進級できる人が増えるように苦心している高校なのである。
もちろん、町唯一の高校で選択肢がないので、レベルの高い子もいるがあくまで本人の自助努力により授業と教師のレベルは高くない。レベルの低い生徒は山のようにいる。
事実、アランの同級生は30人ほどだが、今回卒業時に卒業資格を全科目で取れたのはなんとたったの9人だという。
つまり、同級生で彼と同じ数学のレベルがたくさんいたので、なんとなく安心していたのではないかと思う。自分だけが出来ないとあせるが、まわりが同じレベルだとそんなものだと思ってしまうのは当たり前である。

とはいえ、何処の大学のどの専攻にいこうかなあ、などと考えていたのに、高校卒業後は大学に入学できるわけもなく、一転して浪人生のようになってしまった彼は、さすがにあせった母親が急遽家庭教師をつけたのもあり、4ヵ月後の再試験で無事に高校卒業資格を取得できたのであった。
そうそう、再試験は落とした科目だけで、全科目する必要はない。
とはいえ、大抵の大学は来年まで入学できない。というわけで現在は旦那も学んだ、英語の専門学校の集中コースで勉強している。これはこれで、将来に役に立つだろう。

というわけで、無事に高卒資格のバチジェラートを手にし、念願の人生初めての海外旅行をゲットした満面の笑みがこちら


メキシコ旅行初日のレストランです。しかし、いい笑顔だね。
というわけで、次回はメキシコ旅行のもようをお届けする予定です。

そうそう、コスタリカは現在雨季ですが、今年は本当に雨が降らない。こんなんで雨季とよんでいいのか・・・・・。天気の話など「暑いねー」いがいしたことがない(しかも毎日言っている)オロティーナ住民がこぞって「雨がふらないわねえ」と顔を合わせるごとにしている光景はかなり異常である。もっとも子供達は嬉々として、放課後に毎日のようにお外で遊んでいる。
雨が続くと友達の家にいくのもままならない(すごい土砂降りなので、外はまず歩けないのだ)ので、今年は遊び放題である。

それではまた。

聖書より(コリントの信徒への手紙一/ 10章 13節)
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。


「耐えられない試練は課さない」という神様の言葉を信じて、今日も明日も踏ん張っていこう。
何しろ、今日までちゃんと生きてこれたんだからなあ、と思うのである。なんか、だんだんコスタリカ人みたいな精神論になっているような気もするが・・・・・

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というわけで、いつもどおりのおっそーい更新を続けております。

なかなか忙しくて、、、、などと月並みな言い訳を書いてみたりするが、これもむなしいものである。
大抵いつも天気について書いているので、せっかくなので書いてみようかと思うが、相変わらず雨はたまにしか降らない。スコールは週に2回降れば万々歳というかんじで、小雨やザーザー程度の雨をいれても週の半分降ればよい感じである。。。雨季なのに。。。。
これは明らかに異常である。今年はエルニーニョだというのでいたし方あるまいが、コスタリカに嫁に着てからエルニーニョの年は何度かあったが、正直ここまで降らないのはかなりの異常気象である。
異変は自然豊かなオロティーナでは一目両全である。
たとえばマンゴー。オロティーナの特産品といえばコスタリカでは押しも押されもせずマンゴーなのだが、マンゴーは本来乾季の果物で季節ものである。
雨季の初めはもちろんまだまだ実がつけているのが普通で6月くらいまではそれなりに見かけるので、そういう意味では対して変ではないのだ。だが変なのである。。。。
何が変かというと・・・・・その辺の近所の空き地のマンゴーを未だに食べられるのである。
実がなるなら変じゃないだろうと、さっぱり書いている意
味がわからないと思われているであろうが、本来雨季に入るとマンゴーの実に虫達がいっせいに卵を産み付けるので、この時期は熟れる前のグリーンマンゴー(まだ硬いので卵は産み付けられていない)は食べられるが熟れる直前や熟れたマンゴーはすでに虫さんでいっぱいで外から見るとおいしそうだがあけてみると芋虫が一杯で「うにゃーーー!」となるものなんである。
ところがどうだ、今年はまだまだ産み付けられていないマンゴーにかなりの確率であたり、この時期でも食べれる無農薬(農園さんでなく、庭やその辺のほったらかしのマンゴーの木から取れたやつである)マンゴーが結構あるのだ。これは、おかしい!!!!!

もちろん、まだこの時期でもマンゴーを楽しめるのは嬉しいことなのだが、やはりいつもと違うというのは人をどこかしら不安な気持ちにさせるものである。
などという、オロティーナのマンゴー事情は日本の皆様には全く興味がなかろうと思うのでここまでで。

書きたかったのはマンゴーではなく、野菜の話であった。
日本の皆さんは緑色野菜といわれると、たいていの人は葉物の野菜を思い浮かべるのではないだろうか。小松菜、ほうれん草、水菜、レタス、野沢菜、ちんげん菜、キャベツ、貝割れ大根、春菊など思いつくまま書いていくだけでも結構あるではないか。
さて対するコスタリカは、、、、、サラダ用の定番野菜はもちろんキャベツ、レタスの両巨頭である。さらにマスタードの葉とほうれん草が定番中の定番である。そして、、、、、、
その先が全く続かない。。。。しいて言えば、葱と白菜であろうか。
でも、日本人が炒め物などでよく食べる小松菜やちんげん菜などは全く見かけないし、それに当たるようなものもない。。。
これは毎日はおもっていなくとも野菜をまとめてとりたいなーーー、などとときたま思いついてしまう普通の日本人にとっては、かなり悲しい事実である。
ブログなどで大根の葉の炒め物を見た日には、「あーーーーー、根菜の葉っぱもついてくるとこはないのねえ・・・・」と全く手に入る可能性がないのでため息をつくしかないのである。
さて、そんな葉物野菜の欠乏状態の私にこの金曜日に思いもかけぬものが転がり込んできたのである。
金曜日といえば、ここオロティーナでは朝市の日である。
コスタリカの朝市はいろいろな町で大抵は週に一回、こすたりかのあちらこちらからやってきて産直の品を売ってくれるものである。サンホセは土曜日の朝のようだが、オロティーナは金曜日、旦那の勤め先の観光地ハコはたしか水曜日である。

朝市と聞くとオロティーナ近辺の地物をうってくれるのかと思われる向きもあるかも知れないが、実際はきているものはコスタリカの他の町のそれぞれの産地からわざわざ持ってきたものが多い。だからあまり安くはない。ものによっては安いが、物によってはスーパーより断然高いのだ。
なにしろコスタリカは一日あれば端から端まで余裕でつける小さな国なのだ。
たとえば、チーズが有名なのはzareroという町で、オロティーナの朝市でチーズを売るのは朝早く家を出てそのzarceroからやってくる夫婦。いちごや他の野菜はいちごの産地から来た人が売っている、という感じで、日本の朝市と違い、オロティーナの人たちが他所でつくったものを産直で買える場所、というのが実際のところで、添う思うと日本の朝市とはちょっと違う感じであるのだなあ、と書いていてあらためて思った。
まあ、私は日本では朝市が近所で開かれたりはしない首都圏のベッドタウン育ちなので日本と比べるのも、わかってないので難しいのだが。。。

さて、話を本題に戻すと、葉物のはなしであった。
なかなか葉物野菜がないコスタリカ、スーパーでも朝市でも最初に書いた基本の野菜意外をみかけることはまれである。しいていえばレタスの種類は日本より豊富である。
でもサラダ用なのは変わりないのだ。私が欲しいのは炒めて、またはおひたしで食べられる野菜なのである。

そして、この金曜日にこの朝市で思いも寄らない形で新たな種類の葉物野菜が入ったのである!!!
それはズバリ、ビーツの葉とラディッシュの葉である。
・・・・・・そう、皆さんはもうお気づきであろう。
別に金曜日に朝市で新たな品種の野菜がお目見えしたわけでもなんでもない。ただ、ビーツを買ったら、ラディッシュを買ったら、どういうわけか葉っぱつきでしかも新鮮でしゃきしゃきしていたというだけなんである。
しかし!!!!この機会を逃す手はないのである!!!!
そもそもラディッシュには普通はスーパーでも葉っぱはついてくる。でもとって大分経っているので葉の茎はすでにしなっとしていて新鮮には程遠い。もとより食べたい気持ちが起きるわけもない。ビーツにいたっては、痛みやすいので葉っぱはすでに切り取られた状態でうられているのが普通である。
しかーーーーーし!!!今回はな、なんとこのビーツに葉っぱが!!!しかも思わず、「うまそうっ」とうなるほど新鮮であった。。。
というわけで、帰ってきてから早速食べた。
丁度、超細目のパスタで冷やし中華風を作ろうと思っていたので、ビーツの葉はシャキシャキ感を残す感じで軽く湯がいて、ラディッシュは葉っぱも身もざく切りにしてそのまま冷やし中華風パスタに投入!!!
・・・・・う、うまかった・・・・・
ごちそうさまでした。
その野菜の写真がこちらっ。


残念ながら、お兄さんが葉を曲げてビニール袋にいれてくれたので、葉っぱが曲がっていて新鮮さが伝わらないのが残念だが、実際には曲げられても結構新鮮だった。
ちなみに、袋に入っているのはコスタリカ産の小さなプラム。今年初めて買ったのだが小さいわりに結構甘い。酸味もしっかりあって、いくらでも食べれてしまう美味である。
そうそう、葉っぱの話であった。
コスタリカは葉っぱを袋の外に多少出た状態で、野菜をそのままの状態で運ぶというのはあまりみかけない。基本は野菜でも、そして驚くべきことにパンでも袋に入りきるように、曲げたり折ったりするのだ。。。バゲットが半分にばっさり折られて入ってるときはがっくりする、、、、、しかも、ちゃんとナイフで半分に切ってくれるわけでなく、お姉さんが本当に、バキッと半分に折ったのねーーーという状態でやってくる。。。。折らないでそおままでー!!といいたいのは山々なのだが、パンは旦那が買いに行くので(このあたりはパンは父ちゃんか、息子がつまり朝は男が買いに行くのが一般的である)家にいる私の元にやってきたときにはすでにその状態で、旦那は子供の頃からみなれたその状態に文句などあるはずもなく、さもおいしそうに文句も言わずにてでちぎられて折られた部分も食べている。
サンドイッチとかにしようというときに、この折られてギザギザになってしまった部分をナイフで少し切り落としてから見た目のいいサンドイッチにするか、このままワイルドに手でちぎった感丸出しのサンドイッチにするか、いつも悩むのである。。。
大抵は家で食べる分にはそのまま、弁当などで外に持っていくときには切る、に落ち着くのだが、切り落とすときにいつも複雑な気持ちになるのである。

というわけで今日はここまで。毎度くだらない主婦の話にお付き合いくださり、ありがとうございます。それでは、また次回。できれば早い再開を願って。。。。

聖書より(箴言/ 08章 19節)
わたしの与える実りはどのような金、純金にもまさり
わたしのもたらす収穫は精選された銀にまさる。


わたし、というのは聖書なのでもちろん神様である。
私達は常日頃から、自分達とって本当に良い収穫、つまり本当に必要だったり良い影響を与えてくれるものを求めないで、金や銀みたいに目に飛び込んでくる良さそうなものばかり追い求めていないだろうか、というか追い求めがちなのが至極普通の人間であろう。。。。
本当に自分にとってよいものとしてこの世の中で与えられているものってなんだろう。。考えてみてもすぐに答えは出ないけれど、考えてみるべきテーマだろうなあ、と思うのである。

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というわけで、またもやどーーんと更新が開いてしまいました。
どうでもいいけど、本日、家の車庫側の隣との境に生やしている伸びすぎた蔦を切っていたら左手の中指をうっかり剪定バサミでざくっとやってしまい、バンドエイドならぬ紙のテープをガーゼならぬ台所用のナプキンのような紙でつくったガーゼのようなものをぐるぐるまいている。これはPCを打つのにとっても大変である。何しろ、医療用品でないのでやわらかくない上に伸縮もない。
今、記事を書き始めたことを後悔するほどに文字を打つのが・・・・・・つらいのよー。。。。

さて、更新が滞っていたのはこのところ家庭教師が忙しかったからである。
先週から今週にかけて中高の学期末テストがあり2人ほど英語と数学の面倒をみていたのである。
ちなみに金はとらない。
知り合いの子供が、この二教科でどうにもこうにもならないときに、大学時代の塾講師の経験を生かし、ちょびっと手伝いをしようというだけである。
何しろ専業主婦である、家にいるときに家に来る分にはただで教えるよ、といったところ時々困ったときに電話が鳴るのである。
もとより、コスタリカの中高生の数学のレベルは日本とは比較にならないくらい低いのでなんら問題はない。私はあんなだてらに大学は理系だったのだ。
英語は、コスタリカ人は日本よりよほど話す人が多いのだが、いかんせん文法が相当いい加減で先生も実はきちっとわかっちゃいないことが多く、知っている範囲で説明するため、苦労しちゃう子が多いのである。

しかし、この時期に二人とは、そうはいっても珍しかった。
コスタリカの授業は2月に始まり12月始めには終わる。中高だけでなく小学校からテストで落第が決まるお国柄である。
つまり、大抵は10月ごろに、最後のテストでかなりいい点を取らないとその教科を落とすことになるにっちもさっちもいかなくなった段階でお声がかかるのだが、今年はなんと一学期からである。。。
つまりは、ほぼ一年間、この子達はテストのたびにやってくると推察される。。さすがにちょっといそがしいかも。。。。。
しかも、いつもは数学なのだが、今回は数学もちょっとみたがメインは英語であった。

テーマは、一人は比較級最上級(公立高校一年生)、もう一人は現在形、過去形とその進行形(私立中三年生)であった。。
文法的には割かし単純な部類に入ると思うのだが。。。
こんな基礎の基礎もわかるように説明できない先生に教わっているとは気の毒としか言いようがないが、どうも、軽く説明し、問題を解かせて答えをいって以上、のようである。
説明がわかれば、以上で十分なのだがわかりにくいらしい。

というのも先生は教科書やプリントの文法説明をほぼ読みながら説明するようなのだが、この本の文法説明が、、、、わたしもよくわからなかった。。。。
なので、日本式にならったやり方でお教えした。「えーーー、そんな簡単なんだね」とは比較最上級をならった女子学生の言である。
あたりまえである、日本じゃ中2でならうような内容なのだよ。。。。。。。
日本で「3音節以上の単語はmoreとmostを使う」と単純に倣った事項が、例文を見てそれと気づくまで一体何の話をしているのかわからない説明に取って代わっていた。。。。
これじゃあ、家で予習も復習も出来ないではないか。

そんなこんなでどうやらテスト期間も彼女達は終わりを迎えつつありほっと一息である。。。

と、思いきや!今度は我が息子のテストが明日から始まるのである、、、ああ、がっくりだよ。。
とはいえ、小学三年のテストは中学高校のテストとはレべルが違う。そうはいってもそこまで切り切りすることにはならないのだ。

そうそう、先週に我が息子はなんと9歳になりましたーーー!!!
めでたいっ!!!!!
今年は学校が遠くなったのと、学友が多く休み時間も短いので、どうもケーキを持って参上するという感じでもないため、その前の週末に家族でお祝いで遊園地にいってきた。
とはいっても、9歳児にとってプレゼントとはまだまだおもちゃを意味する。なので結局誕生日当日にレゴとサッカーのキーパー用手袋をプレゼントした。
ケーキは学校から帰ってきてから近所の子を呼んで食べることに。
その日にいる子だけ誘うつもりで用意していたのだが、そういうわけかその日はいつもの遊び仲間たちは皆そろいもそろってお仕置きで家から出れない状態に。。。。

この辺りは、我が家もそうだが、何か悪いことをして反省させたいときには「今日は外に遊びに行っちゃ駄目!」というのがお仕置きである。これが一番聞くのだ。
住宅街にこだまする友達の楽しそうな声を聞きながら家にいるのは、子供にとっては地獄そのものであろう。
そうそう、話を元に戻すと、そうはいっても誕生日は一年に一回である。なので、その日はわざわざ早く帰ってきていた旦那が、それぞれの家に行って「今日は誕生日だから」と説明し、許可をもらっておおむねいつも遊ぶメンバーは無事にそろってハッピーバースデーを詠ってくれた。

ちなみに、事前にいっておけばよかったのに、と思う向きもあるかもしれないが、コスタリカでそれをやると親がついてきたり、わざわざ安くはないプレゼントを買ってくれたりしてしまうのでそれはやめておいた、という事情がある。
コスタリカの誕生会はときに、大変なのは一緒に来る親へのおもてなし、だったりするのだが、実際のところ子供にとっては友達さえきてくれて一緒に遊べたらそれで十分なのが本当のところであろう。プレゼントもあまり安いものや学用品は買わないから、それも申し訳ない。
というくわけで、面倒くさく(お互いが)ならないように、あえて事前には言わなかったのであった。
というところで、今日はここまで。たいしたことは書いていないが、何しろこの大雑把な応急処置中の指ではもう限界である。時間がかかってしょうがないのだ。

そうそう、最後にさっきわかった衝撃の事実を一つだけ。

さっき息子が実家から送られた本を見て「ま○○○」ってだれ?と聞いてきた。本には、元の持ち主であるうちの弟の名前が書いてあった。
しかし、、、、君はおじさんの名前はしっていたほずでは。。。と思ったがまさかということもある。
そこで息子に念のため「これはおじさんのマー君(弟の家での愛称)のなまえだけど」
というと息子は一瞬かたまり、びっくりしたように「え?おじさんの名前ってマークじゃなかったの?」といった。。。。。。
純日本人にマークなんて名前のやつは普通いないだろっ!~!~!

生まれて9年、初めて知ったおじさんの本当の名前(別にうそを教えてきたわけではない、ただ常に愛称で呼んでいただけである)、、息子にとっても衝撃だったようだが、知った私も驚いた。。。
外国育ちだと、たとえ日本語を話してもこんな驚くような誤解が生まれるのである。。。。
マーク、、、、、この話は近いうちに是非とも我が弟マークならぬマー君にしなくては、と強く思っている私である。
あーーーーびっくりした、ほんとに。。。。。。


聖書より(箴言/ 04章 25節)
目をまっすぐ前に注げ。あなたに対しているものにまなざしを正しく向けよ。


目の前にいる人、あるもの、起きていることにまっすぐにまなざしをむけてしっかりと見る。
意外と多くの人が多くの場面で出来ていないのじゃないだろうか。
しっかりと見ることから真実はみえてくるのだろう。私もしっかりとまっすぐ前に目を注げるように、と願いたい。注げるっていう字もいいよなあと思う。つまりは注しする、しっかり研ぎ澄ましてみるのだ。まずはそこから本当のことがみえてくるのだ。
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