先日、誕生日を迎え26才になりました。


26・・・!


なんだか未知の世界です。


とはいえ、思い返すと20越えてくらい~25までは誕生日前からなんだか憂鬱で、年を重ねる恐怖のようなものがあったけど、今回は驚くくらい何も余計なことを考えずに誕生日を迎え、


特にこれといった感慨や気負いがあったわけでもなく、そして自分は26才にはならないような気がしていたという思えば遠いところへ来たもんだ感はありつつも、


心身ともにどこか老成してたような自分の部分がちょっとだけホッとしているのがわかるような、とても不思議な気持ちです。


ともあれ、老成部分よりもずっと多くを占める子供部分・・・こんなだめだめな自分に、温かい気持ちをくれた人、プレゼントやメッセージをありがたく身に余る思いで受け取りました。本当にありがとう。





思いつきでこのブログの過去の記事とか、もう八年書き続けている日記なんかを読み返していると、過去の青さ、変化した今の青さ、過去の素直さ、だんだんと守りに入ってしまったいま現在、意外とちゃんと考えていた過去、甘かった過去、チャンスを棒に振ったと気づかなかった過去、後悔するいま、惰性で生きてるいま、、、


いろんな毎日と自分が交差して、同じ自分は自分でも、どこかしら変化はあって、変わらない部分もあって、変わってしまったのは何かに奮起する気持ちだったり、変わらず、むしろ助長されたのは惰性だったりして・・


結果、成長はせずにいやな感じに年だけ重ねちゃったな感。


その時々で一生懸命生きてきたつもりだったけど、今思うと、ほんとに一生懸命だったかな?と思う自分がいて、もっとできたこと、より後悔の少ないいまがあったかもしれないよなと思う自分がいて。


東京事変のスーパースター を思う、


”もしも逢えたとして喜べないよ か弱い今日の私では これでは未だ厭だ”


”明日はあなたを燃やす炎に向き合うこゝろが欲しいよ もしも逢えたときは誇れる様に”


近しいひと、遠い人、いずれにせよいつだってそういう心もち、それがしんどい生き方だと人に言われたって、惰性で生きてたって、でもやっぱり心の中でそんな風に思っている自分がいる。