この頃、自分は考えることをしなくなったなーとふと思う。




自分の日記とか、過去のブログとか読むと、大した内容じゃなくっても、




その時々に見つからないかもしれない答えを見つけようと悩んで考えてもがいている、一生懸命な自分がいて、




今の自分にはエネルギーとか、生気がないな・・・と思うんである。







うちのお隣さんには私よりちょっと年上のお姉さんがいて、小さい頃一緒に遊んでもらったりもした人で、




むかーしむかしの記憶を辿ってみると、お嬢様っていう言葉がぴったりくるような、控え目で、でも凛としてて、何よりとにかく頭のいい人だった。




そんな彼女の近況を久しぶりに耳にして少々、いやけっこうな驚き。




某超有名・高偏差値の大学に進学したところで途絶えていた近況だったけど、私は当然研究職とか教授とか超エリートコースを進んでるんだろうなーなんて勝手に・でも結構な自信をもって思っていたんだけど、そんな彼女は今派遣で働いているということを聞き、




すごくもったいない!!なんて余計なお世話なことを勝手に思い、あれ?でもこの流れなんか知ってる・・と思ったら、自分にも当てはまることだったのだった。




彼女の卒業した大学にはもちろん劣る我が母校ではあるけれど、それでもどーしようもない、閉塞感と退廃しかない未来もない(ように感じる)この田舎で、一般職に就いていると、




「どうしてわざわざうちの会社に就職したの?!もったいない!!」




とかいろいろいろいろ・・そんなようなことを会う人会う人に言われるんですよね。




どうして、って私が一番聞きたいっつうの。




自分の人生なのに、自分が一番納得いってない。腹ただしい。こんなはずじゃない。




散々な就活の末に、私にはプライドなんて微塵も残っちゃいないぜ・・とか思っていたけど、こーんなことを考えてしまう私はやっぱり高飛車女かも。




変な話、会社でも「四大出の女はしゃしゃってる」なんて言われないように気を使ったりしてるもんな。そのあたりからして、私は案外人を簡単に見下しているのかもしれない。自己嫌悪。




深夜だからぶっちゃけてしまうけど、私いま人の幸せを素直に喜ぶことができない。(そもそも自分においても「幸せになりたい」とか「幸せにならなきゃ」とか思う人生はしんどそうと思う面もあるけど)




その人の全部なんて知ってるわけもないのに、一面をみて、挫折を知らなくて、何もかも順調で、楽しそうで幸せそうで、ほしいもの全部を手に入れてて、ひとの幸せなんてみんな壊れてしまえばいいのにと思う自分が確かにいて、割と最近はそんな自分に侵食されがちで、




さもありなんという気もすれば、やっぱりそんな自分が嫌な気も当然あり。




この上なく人間くさくて嫌んなる。




自分の信条のひとつに、「人間を人間たらしめるのはそこに理性があるから」というのがあるんだけど、そうすると最近の自分は人間以下である気がしてならんです。




春って本当に嫌な季節だね。




順風満帆なものには出会いとか別れとかきらきらしさを与えてくれるけど、立ち止まる者には容赦なく自分という人間の輪郭をなぞらせてくるもの。




無責任に言うけど、自己中でしかないけど、わたし明日世界が終ってしまっても今以上これ以上なーんにも後悔することなんてない。自分の未来なんてたかが知れてるし腐ってるし終わってるし、こんなまんまこんな自分をひきずってみじめに生きてくだけなら、すべてが終わってしまってもいっそ潔いとさえ思ってしまうこんな自分の矮小さ。