R.I.P SQUINGY... | CAPTAIN-C 20XX "Who God Bless Unno Know Di Rest"

R.I.P SQUINGY...

BASS ODESSEYのMC SQUINGYが入院していた
FLORIDAのTAMPAの病院で肺がんで亡くなりました。

CAPTAIN-C 20XX "Who God Bless Unno Know Di Rest"

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この前POISON DARTがSQUINGYの為に寄付を集めてるって
BLOGに書いたばっかりなのにすげー残念です。

そしてSQUINGYの為に最後色々やっていたFLORIDAのPOISON DARTの
KIRKY-CとCREWの皆さんにも本当にRESPECTの気持ちでいっぱいです。

向こうのサイトに集中治療室に入っているみたいなことが書いてあったのを
見て結構深刻な感じなのかとちょっとだけ思いましたがまさかこんないきなり
旅立つとは思わなかったです。

野球少年がイチローになりたくなるようにSQUINGYみたいになりたいって思ってる
SELECTORのヤツ世界中にたくさん居ると思うし、DANCEHALL REGGAE界にとって偉大な
かなり大きな影響を与えたSUPER STARでした。

実際かなり悲しいNEWSですが生前に幸運にも何度かLINKすることが出来た事を
本当に大事に忘れないようにしようと思います。

はじめてSQUINGYのPLAYを観たのはMIAMIで地元MIAMIのCRYSTAL ってSOUNDと
CLASHしたDANCEに遊びに行ったときかな、、
それまでのBASS ODESSEYはGRAMMA GとLENNYって言うイケてる若い奴ら居て、
BASS ODESSEY自体もかなりいい感じだったんだけどそいつらがAMPLEXに移籍してから
BASS ODESSEYはまたSQUINGYしか居ないみたな感じになって元気なくなったっていうか
DUBをあんまり切ってない感じでBASS ODESSEYは世間的にあんまりイケテない感じ
だったんだけどこの時観たBASS ODESSEYは正直その時期のTOP CLASH SOUNDと
比べるとDUBはあまり無いけどそのやりくりしてる感じのPLAYはマジで格好良かったのを覚えてる。
相手のMIAMIのSOUNDボロクソ言われてかわいそうだった。

そのDANCEで一番BUSSした瞬間はその時流行っていた
FRISCO KIDの"BEEN THERE DONE THAT"をかけてブースの裏に積んであった
TABLEの山にSQUINGYが興奮して、てっぺんまで登ったと思ったら
TABLE5つ縦に重ねたぐらいの高さからそのまま頭から真っ逆さまに落っこちた時。
そん時一瞬みんながSQUINGYが死んだかと思ったけど、その後崩れてグチャグチャになった
TABLEの山を掻き分けてSQUINGYが現れた瞬間の盛り上がりマジでハンパなかった。
そのままMICでしゃべりまくってたな。マジヤバかったよ。

色々思い出してみたけど確かはじめてファンとしてでなくLINKしたのは、
オレがMIGHTY CROWNに入ってはじめて海外のBIG CLASHでRECORDを回したときだと思う。

まだCROWNに入ったばかりの時でCROWNのDUBをDANCEでかけるのが確か
はじめてぐらいな感じだったそのDANCEは
BASS ODESSEYとの一対一のCLASH"FACE OFF 2K2"だった。しかもBROOKLYNで、
この時が人生今までで一番緊張したかもしれない。

BOUNTYが司会だった年のWORLD CLASHで、その時はBASS ODESSEYが優勝して
CROWNは負けたんだけど街の声はCROWNが勝ったあれはKILLERのバイアスだ
みたいな感じになっていてそしてついに一対一でBROOKLYNで対決することが決まって、
NEW YORKのヤツも世界中のCLASHファンもすげーそのCLASHに注目しまくってて、
さらにその頃のCROWNのNEW YORKをはじめ海外での注目度も凄い時だった。

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このCLASHの時にまあSQUINGYはオレのことなんか全く眼中になかったと思うが
はじめてBIG DANCEで相手として観たSQUINGYはとてつもなくおっかなかったぜ。
まじでいつか何かオレに言ってくるんじゃねーかと思って勝手にかなりビビってたね。

結局この時はまたしてもBASS ODESSEYが勝つんだけど、このCLASHで勝った後の
BASS ODESSEYは、マジで本当の最強CLASH SOUNDだったよ。
SQUINGYとDJ MARKのコンビマジ最強。本物のバリバリのJAMAICAのBADな
SOUNDってみんな認めてたね。やっぱりジャマイカでしょ、コンチでしょみたいな。

そしてこのDANCEのすぐ一週間後にバージンアイランドのDANCEにSAMI,SIMONなしで
行った時になんと同じ飛行機にSQUINGYが乗っていて、DJ MARKなんかオレの目の前の
席でCLASHとは聞いてなかったけど、あんな小さい島でBIG SOUND呼んで二つもBIG DANCEなんか
ありえないでしょと、勝手に思い、そして実はPROMOTERが内緒でSET UPしたCLASHなのかもしれないと
思い、飛行機の中でDJ MARKの後頭部観ながら勝手にビビってた事もあったね。

結局違うDANCEに同じ日に呼ばれただけだったんだけど、空港で荷物を待ってると
オレがPICK UPしたRECORD BOXをみてSQUINGYが近寄って来て、今回は一人で来たと
言うと"オマエがCROWNの新入りか。まあがんばれ"的なこと言ってくれて
迎えが来るまでなんだかんだ一緒に待っててくれて、その間、
"キタネー事考えているPROMOTERいっぱい居るからマジで気おつけねーと"
みたいなことずっとオレに教えてくれたりしてくれて。

そん時はこっちのCLASHやってるSOUNDのヤツなんかいつもオラオラな感じなのかと
思っていたけどそんなことねーなって気づかせてもらったよ。
CLASHではそういう所は絶対出さないけど、むしろ超イジ悪だけど、、
でも俺たちがやってることは全てがなんだかんだでENTERTAIMENTってことで
一歩離れればSQUINGYぐらい一流のヤツは同業者にはむしろRESPECTな感じで
接してくれんだなとか、、なんて言うかスポーツマン的感じのVIBESを忘れちゃだめだなと、、

CAPTAIN-C 20XX "Who God Bless Unno Know Di Rest"

その後もCROWN在籍時、いろんな所で一緒にDANCEやらしてもらって本当よかったと思う。

まだまだいっぱい書きたいことがあるけどSQUINGYと言えばみたいな名言的なものに
“REPRESENT COUNTRY"とか"COUNTRY MI SAY"とかがあってよくMCで言ってたんだけど
ようは"ジャマイカの田舎モン代表だ"ってことだね。

AMERICAにもジャマイカの田舎出身のヤツはいっぱい居るし、そう言うヤツのハートを
いつもガッチリつかんでたよな。海外で観るといつもジャマイカの田舎モンが今来たって感じの風貌で
服とかも大体凄いコンチボーイ丸出しなんだけど、全く変に飾らないMCとDJ MARKとバッチリ息の合った
PLAYは他のSOUNDよりも確実にウマいし、ぜんぜん盛り上げるし、マジでSELECTORは格好じゃねーし
PLAYがイケテルヤツが確実に一番格好いいってことみんなに解らしてると言うか
そんな感じのこと教えてもらった気がする。
マイクで格好つけたすかしたこととか絶対言わなかったよな。

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今思うと、今年日本に来た時は、最後に力を振り絞って来てくれたんだなーと。
その時は直接会う事は出来なかったけど、HOTELに電話して二回ぐらい話したのが
オレがSQUINGYと話した最後の瞬間でした。
二年前に来た時は大阪で一緒にDANCEやったり、その次の日のEMERGENCYにも
遊びに来てくれたり、日本に来た時もいろいろ話も出来たりした事とか、
本当いろいろ忘れないようにしなきゃって事と、あとなんかいろいろがんばろうって気持ちになるよ。

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長々と書いちゃいましたけど

本当SQUINGYありがとうございました。

R.I.P SQUINGY......

GONE BUT NEVER FOGGOTTEN.

THANKS FOR GOOD TIME YOU BROUGHT TO ME.



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BASS ODESSEYからの公式MESSAGE

THE LEGEND GONE TOO SOON, A MILLION GUNS SALUTE SQUINGY

Kevin “Squingy” Bennett was a legend, a product of natural, raw talent. It is with much grief that we must inform the public that he is no longer among us.
At 6:40 am on Tuesday November 24, 2009, we were informed of his death in a hospital in Tampa, Florida. It is reported that his lungs collapsed which lead to the failure of his other organs.

At little over five years ago, he was diagnosed with a terminal illness. Although there is no cure he had been receiving adequate treatment in both Jamaica and the United States. At this time we extend gratitude to those who have helped us to support and maintain Squingy’s life until now as that in itself is a miracle from the Almighty that he had been with us so long.

Kevin was a proud, strong, loyal and dedicated member of our family who bravely fought this obstacle to the final second and lived his life to the fullest in light of the surrounding circumstances.

We appeal to the true Squingy friends and family, the loyal Bass Odyssey fans and supporters of the music that effort be made to preserve his important legacy and contribution. Let us bury the man as a legend.

We maintain that we have always supported Squingy and the entire staff and in extension Alexandria community have stood by his side 100 per cent. Keith Walford and Kirky C are making the necessary arrangements to ship his body to Jamaica where he will receive an honourable burial.

We appeal to everyone to rise to the occasion and support us in honouring a legend for his lifetime and dedication to entertaining fans around the globe.
Thanks to those who have expressed their support and condolences, they are our strength in this time of grief.

Sincerely’
Bass Odyssey