高松宮日記第一巻 | web書店「ひっそりこっそり」出張版

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昭和天皇陛下の次々弟・高松宮宣仁親王殿下が御歳16才の時、大正10年(1921)1月1日からお書き始めた日記。

前年3月、高松宮は学習院中等科を三年生で中退され、5月から海軍兵学校予科に入学されました。
海軍兵学校予科とは、御皇族の方が海軍兵学校に入学される前の準備教育期間を予科と称していました。

15~16才の思春期で大正天皇陛下の御三男、と言う御立場の高松宮殿下の赤裸々な日記に感銘を覚えます。

大正10年5月になり準備教育期間を終え、正式に高松宮殿下は海軍兵学校第52期生になられた。

日本現代史・海軍史に興味がある方々なら、一度は目にする名前がズラリと並ぶ。

当時の海軍兵学校校長は鈴木貫太郎中将。(大正9年11月まで)
大井篤・豊田隅雄・末國正雄・詫間(旧姓:猪口)力平等々 。

思春期の高松宮殿下は、御付武官が煩わしく、5月21日の日記で
「田村に武官が尾けて歩くのはなぜかと聞いたら鈴木校長がそう云って教室までも尾けてるのだそうな。そこで余が涙を出して見せた。授業が始まるので、ものたらなかったが中止した。要するに学校内では何処へでも尾けてあるくのださうな私がどうしてそんなに一人で歩くと信用出来ないのかしら。武官は此処に居るときは校長の命令をうけてするのだそうだが、まぁ結局私は私で武官に関係なく行動することにするより外にない。私は武官に命令することが出来ないことになるのだ、ほんとうにいやになってしまう、だから今後はある程度まで武官に対する同情をしないことにする。」(原文はカタカナ)

まあ15~16才の少年に40代のおっさんが24時間付いて来るのはうっとうしいだろう。
しかも「御学友」と云って上の方が決めた「友人」と言うより同じ歳の「お世話係」に囲まれ、さぞかし寂しいお気持ちなのか度々、御母宮(貞明皇后)様、御兄宮(秩父宮)様、澄宮(三笠宮)様に御手紙を書かれている。

長兄の東宮(昭和天皇)殿下は、この年、御訪英に出掛けていらして着港地や訪問国からの絵葉書を高松宮殿下は嬉々として受け取っています。

思春期の男子の悶々とした気持ちが赤裸々に書かれています。