峰岸達(みねぎし・とおる)の絵と解説、ねじめ正一のエッ
セイからなる。
小説ではない。
昭和に少年期を送った大人たちにとって、この上なく懐かし
く楽しい。





あいうえお順に出てくる中の【大学浪人】の項目が胸
に突き刺さった。
全文を書いてみる。
   当時の学生(中・高生のこと)はよく帽子をかぶった。
   学校から帰って私服で出かけるときでも学帽をかぶる
   ほどだった。
   大学浪人してしまうとかぶる帽子がなくなるので、そ  
   ういう人たちは何故か登山帽をかぶるのだった。
ぼく自身がまったくその通りだった。



町内会で敬老祝賀会を開催した。
十時半開始だが、役員は九時に集って準備した。
参加しなかったお年寄りに紅白まんじゅうを配るのが
たいへんだった。



ヤン・ソギル、大阪市生まれの在日朝鮮人。
1936年8月13日生まれ、2024年6月29日没。
1998年、実父をモデルに書いた『血と骨』で第11回
山本周五郎賞。







三十七年間勤めあげた食品会社と退職したY氏は歓送会
を中座してぼったくりバーに入り七十五万円をとられた。
翌日デパートに行き、衝動的にブルゾンとパンツを買い
これも偶然七十五万円だった。
妻の和子ははらわたが煮えくり返り、ブルゾンを返品し
に行ってもっと高価な毛皮に代えた。
長男の正友は何の仕事をしているかY氏も和子も知らな
かったが、部屋の鍵が開いていたので中を調べると通帳
が五冊もあり、正友の名義で一千万円もの預金、他の四
冊はそれぞれ違う女性の名前だった。
自称監督の正友は猥褻な映像をとって嗜好家に高額で売
っていた。
妹の芳美はデートクラブに所属していて、普通のOLの二
倍から三倍の収入を得ていた。
Y氏は変な夢をよく見た。
どしゃぶりの中、以前勤務していた会社のあるビルの屋
上から飛び降りる男を目撃して、現場に駆け付けるとそ
れは自分自身で、そこで目が覚めた…。
1952年4月10日、長崎県長崎市の生まれ。
國學院大學を数ヵ月で中退。







制作局の新任局長駒井は聴取率に大革命を起こすと宣
言し、東亜放送アナウンサー四年目の寺島尚人が聴取
率1%未満の深夜ラジオの新番組を担当することにな
った。
それからは毎晩、居酒屋ちょい都(ちょいと)で飲み
会を開き、寺島がメインパーソナリティで放送作家の
内田と安部の三人で、タイトルは« 寺ちゃんのサタデ
ーナイト・レター 今夜も生だよ »に決まった。
一貫したテーマは「昭和に帰ろう」で、フォーマット
はお葉書大紹介、三秒笑劇場、ゆく週くる週、深夜の
茶会、深夜の句会、最後がラストレターに決まった。
記念すべき第一回がスターした直後、最古参のプロデ
ューサー大越がスタジオにいきなり入ってきた。
「初日おめでとう、たい焼きかってきてやったからよ、
ありゃもう始まってんのか」
副調整室には社長をはじめ女子アナや美人受付嬢、営
業担当者など大勢が自分勝手に騒いでいた。
内田が、いっそのことこっちに入ってきたらと言った
ものだから、ぞろぞろやってきて放送に関係なくおし
ゃべりが始まった…。