壁に掛ける花器を作った。

テーマ:
テグスで吊って壁に掛けられる花器を作った。
平たい板にポケットを付けた。
ポケットの部分は畳に押し付けて、畳目が残るようにした。
大きさは最大幅が25.5センチ。




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周防柳 『余命二億円』。

テーマ:
すおう・やなぎ、1964年12月21日、東京都練馬区生まれの女性。
早稲田大学第一文学部を卒業して編集プロダクション勤務を経て
フリーの編集者兼ライターになる。
2013年、『八月の青い蝶』 で第26回小説すばる新人賞。
2015年、同作で第5回広島本大賞を受賞。







九州のK市で田村工務店を営む田村俊司はいつものように
早起きしてジョギングをしていた。
走り始めてすぐ、内科医院の駐車場に近所の花屋の幼い子
供の麻衣ちゃんがいるのに気がついた。
麻衣ちゃんがしゃがんでいるところに製薬会社の営業車がバ
ックしてきた。
田村俊司はとっさにスライディングして麻衣ちゃんを突き飛ば
し、そのせいで自分は手足を怪我し、頭を強打し入院。
俊司には妻の連れ子の一也がいて、結婚後に妻との間に次
男の二也が生まれ、早くに妻を亡くしてからは男手ひとつで
兄弟を育て、一年ほど前から工務店の事務員の良美と内縁
関係にある。
二也は子供のころから腎臓が悪くて、高校生のときに父親の
俊司から生体腎移植を受けている。
俊司が入院しているときに一也が知り合いの弁護士を連れて
きて二也の会わせた。
弁護士の説明によると、もしも俊司がこのまま亡くなった場合
には一也と二也に二億円の遺産が転がり込むという。
一也は、
「つぐ(二也のこと)、恨みっこなしで二人で分けような」
と言って去っていった。
事故から三週間後、退院を視野に入れてリハビリに励んでいた
俊司がいきなり昏倒した。
事故で傷ついていた血管が原因でくも膜下出血を起こしたのだ。
水頭症と脳梗塞も併発し、植物状態になった。
医者は遺族から申し出がない限りすべての延命治療を積極的
に施すという。
一也は去年から移動カーによる外食ビジネスに取り組んでいた
が、前からの借金もあって崖っぷちだった。
さらには息子の湘は腎臓が悪く、金のかかる海外渡航移植を考
えていた。

このあと、予想外の事実が明かされていくが、そこまでは書か
ないほうがいいと思うので、ここまで。


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伊東 潤 『横浜 1963』。

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1960年6月24日、神奈川県横浜市の生まれ。
早稲田大学卒業。
2011年、『黒南風の海』で「本屋が選ぶ時代小説大賞2011」受賞。
2012年、同作品で第34回吉川英治文学新人賞。
2013年、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞
の作品賞受賞。
同年、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞。
2014年、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞。
五年ほど前から毎年のように直木賞の候補になっている。







2020年ではなく1964年の東京オリンピックを翌年に控えて、高度
成長期に突入したものの、いまだに米軍との関係において戦争
の後遺症を引きずる横浜が舞台。
ソニー沢田はハーフだが、見た目は純粋な白人でも通る。
大学は出ていないが、その容姿と英語の能力をかわれて神奈川
県警に採用され、当然のように外国人の犯罪を扱う外事課に配
属された。
横浜港で若い女性の全裸死体が引き上げられた。
強姦され、アーミーナイフと思われる大型のナイフで腹部を刺さ
れており、爪の間からは金髪が見つかった。
県警は在日米軍に手を出せないので、内密に操作を行って犯人
の目星をつけ、証拠を握ったところで本国に送還して始末をつけ
ようと考え、ソニーの出番となった。
被害者の女性は函館出身の二十七歳で、東京で米軍用に安価な
米国産牛肉を大量に仕入れて余剰分を国内の卸業者に流すこと
で相当の利益を上げている浜中食品社員の赤沢美香子であるこ
とが分かった。
ところが警察上層部からの意向でこの件の捜査は打ち切るとい
うことになったが、ソニーのたっての願いで七月いっぱいまで、つ
まり残り十三日間だけ捜査を継続することになった。
浜中食品から入手した取引先リストの中の三軒のレストランが
気になった。
だが戦後の空気を色濃く残した横浜には日本人立ち入り禁止の
場所が多すぎた。
大きな白い外車に乗り日本語を話せるというだけのわずかな情
報からひとりの外国人にたどり着いたが、相手は横須賀基地内
で巡回説教師のロドニー・エイキンスという中佐で、下手をすれ
ば国際問題になりかねない。
第一、ソニーに与えられた二十二日間という期限は目前に迫っ
ている。
米海軍横須賀基地の犯罪捜査部に単身やって来たしソニーは
ショーン坂口という米国籍で日系三世の兵曹長と出会う。
ショーンはたったそれだけの情報でエイキンス中佐を尋問する
ことはできないと、すげなく追い返す。
だが、のちにソニーの熱意にほだされて二人は協力して事実を
明かしていく。

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柚木麻子『その手をにぎりたい』。

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ゆずき・あさこ、1981年8月2日、東京都世田谷区の生まれ。
立教大学文学部フランス文学科卒業。
2008年、『フォーゲットミー、ノットブルー』で第88回オール
讀物新人賞。
2015年、『ナイルパーチの女子会』で第28回山本周五郎賞。
同作品で翌年、第3回高校生直木賞を受賞。







寿司屋さんの食べ物の名がついた十の章からなり、バブル前夜
から終焉までを東京で生き抜いたOLが主人公。

地元栃木の大学を出て東京で就職した本木青子は二十五歳を
目前にして退職し故郷に帰ることにした。
送別会として社長が、すわるだけで三万円と言われる東京一の
すし屋、銀座「すし静」に連れて行ってくれた。
それ以来、大好物だったピザやドリアには興味がなくなり、会社
でお鮨が食べたいなあとつぶやいていたら、同僚の幸恵がそれ
ぞれのボーイフレンドにおごらせようよと言ってダブルデートを
実行した。
鮨屋から出てカップル同士別々の行動をとったとき、ずっと煮
え切らなかった川本君がとうとうプロポーズめいたことを口に
した。
そのこととは別に青子はやっぱり東京に残ろうと決めた。
もう一度すし静のあの若い職人が握ってくれた鮨を自分の稼い
だお金で食べたいと思った。
「とらばーゆ」してもっとお給料を稼ごうと決心したのだった。
青子は新興の不動産会社に営業補佐として転職した。
都心のワンルームマンションが人気で業績はうなぎのぼりだった。
女友だちと手軽に入れる鮨屋の食べ歩きを続けながらも、数か
月に一度はひとりで銀座すし静に出向いた。
自分にはすし静のカウンターという戻れる場所があるのは本当に
心強いことだ、そうだ昇進試験を受けて外回りの営業職に挑戦
しようと決めた。
昇進試験に合格した青子は大手町を中心としたオフィスビル賃
貸事業チームの一員に抜擢された。
もともとは営業補佐としてついていた大島にせがまれて生まれ
て初めて男の人のために手料理を作った。
翌朝、大島のいびきで目が覚めた。
これからは生きたいように生きようと思った。
大島との時間を燃料にしてこれまで以上に稼いで、行き詰まっ
たらすし静で旬の鮨をつまもうと思った。

海堂 尊 『ひかりの剣』。

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かいどう・たける、1961年、千葉県の生まれ。
千葉大学医学部を卒業後、千葉大学大学院医学研究科博士課程修了。
高校時代に始めた剣道は三段の腕前で、千葉大学では医学部剣道部
の主将を務めた。
2005年、『チーム・バチスタの崩壊』で第4回このミス大賞。
2008年、『死因不明社会』で科学ジャーナリスト賞。







バブル景気真っ盛りの1988年。
大学医学部の剣道部だけの大会、通称医鷲旗大会の覇権を目指して
切磋琢磨する才能豊かな二人の男がいた。
東城大学医学部剣道部主将の速水晃一と帝華大学医学部剣道部主将
の清川吾郎。
それぞれ猛虎、伏龍と並び称され鎬を削っていた。
勝つことへの執着心と努力することの欠落した天才的な清川に唯一
の黒星をつけたのは、昨年の医鷲旗大会での速水だった。
かつて医鷲旗の覇者だった三十半ばで四段の高階が帝都大から速水
のいる東城大に講師として赴任し、剣道部の新顧問になった。
東城大の入学式のあと、二人の新入部員を確保できた。
その中の一人はなんと帝都大の清川の弟の清川史郎だった。
帝都大剣道部の新入部員は七人。
その中に薬学部でマネージャー希望の朝比奈ひかりだいた。

『ジェネラル・ルージュの凱旋』、『チーム・バチスタの栄光』、『ジーン・ワ
ルツ』などでなじみの深い登場人物たちの青春時代が活写されている。

小路幸也『カレンダーボーイ』。

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しょうじ・ゆきや、1961年4月17日、北海道旭川市の生まれで
江別市在住。
少年期をデビュー作の舞台になった旭川市のパルプ町で過ごし、
旭川高専を三年次の中退してミュージシャンを目指した。
だが、夢は破れて札幌の広告宣伝会社に就職。
三十歳で作家を志した。
2002年、『空を見上げる古い歌を口ずさむpulp-town fiction』で
第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。







四十八歳であるはずの大学教授の三都充ははじめ夢だと思ったが、
どうも夢ではないらしい。
信富小学校五年二組の教室にいた。
ごく自然な先生や同級生たちの中にもう一人、怪訝そうな顔をし
ている者がいた。
安斎武がそれで、今は三都と同じ大学の事務局長をしているはず。
二人は三十八年前、つまり1968年の六月十五日にいた。
放課後はこれといってすることもないので、それぞれ自宅に帰り、
懐かしい家族に囲まれて眠った。
目が覚めると三十八年経った2006年の翌日の日付になっていた。
寝て起きるたびに1968年と2006年を往ったり来たりしている。
二人は過去と現在が繋がっているかを確かめるために、当時担任
だった佐藤先生の家が不審火で全焼するのを未然に防いでみた。
その結果を当時の新聞のマイクロフィルムで確認したところ、大き
な火事がボヤ騒ぎに入れ替わっていた。
三都は安斎に相談をもちかけた。
小学校でアイドル的存在だった古内里美を一家心中から救おうと
いうのだ。
里美のお父さんは三億円事件で現金を奪われた銀行の行員で担当
責任者だったから、事件の一週間後に家族三人で一家心中をした
というのが同級生たちの間の定説だった。
だから三都と安斎の二人で三億円が奪われるのを防ごうと計画し
たのだった。

タイムトラベルファンタジー。
最後が切ない。

いい形の徳利を作った。

テーマ:
少し大きめの徳利がほしくて作った。
白い粘土に白萩という釉を掛けた。
白萩という釉は焼成の途中で流れて台までくっついてしまう
傾向があるので、底のほうに流れを堰き止める薬品を使用。
予想以上にいい形の徳利ができて満足。
ぐい吞みも大きめにした。
徳利の高さは12.8センチ。




白石一文 『幻影の星』。

テーマ:
1958年8月27日、福岡県福岡市の生まれ。
早稲田大学政治経済学部を卒業して文芸春秋社に入り、週刊誌記者、
文芸誌の編集などを経験するが、パニック障害になって休職。
その後復帰したが、退社して作家業に専念。
直木賞作家の白石一郎の長男でもある。
1992年、『惑う朝』で第16回すばる文学賞の佳作。
2009年、『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で第22回山本周五郎賞。
2010年、『ほかならぬ人へ』で第142回直木賞。







東京で会社勤めの熊沢武夫は郷里の長崎県諫早市にいる母親から携
帯で起こされた。
実家近くのバス停の屋根の端に引っかかっていた武夫のバーバリーの
コートを駐在さんが届けてくれたという。
そのレインコートは数日前の日本橋の高島屋で買ったばかりのもので、
武夫はクローゼットを確認すると間違いなくそれはあった。
母親によれば銘柄も色味もローマ字のタケオ・クマザワの刺繡も同じで、
しかもポケットには武夫の好物のm&mのチョコレートまで入っ
ているという。
二日後、母からの荷物が届いた。
Takeo Kumazawa の刺繍の位置や書体まで二つのコートはまったく同一
のものだった。
ただ一点だけ大きな違いがあった。
母から送られてきたほうのコートは使い古されていたのだ。
長年着られた相当の年代物だったが、二つが同じものであることに疑
いはなかった。
ポケットに入ったまま送られてきたm&mはまだ初b愛される前の「ビ
ターチョコレート」という味のものだった。
前身ごろの内ポケットにはSDカードが入っていた。
そのSDカードは水没していて武夫自身のデジカメでもパソコンでも再
生できないので、データ復旧センターに郵送してデータを取り出しても
らった。
そこに写っていた数十枚の写真は自分のデジカメに入っている写真と
同じものだった。
ただし最後の六枚だけは未来の日付になっていた。
ひと月以上先の写真は武夫が少年時代を過ごした諫早の本明川に架
かる彦国橋の上に佇む一人の女性のものだった。
一方、話は変わってるり子は諫早で事務員として働きながら夜はスナ
ック「メロディー」でアルバイトをしている。
そのスナックに、常連客が彦国橋の下の河原で水に浸かっていたとい
ってるり子の携帯を届けてくれた。
それはるり子が持っている携帯とストラップを含めてまったく同一のも
のだった。
中に入っている写真のデータも同じだったが、彦国橋の河原に落ちて
いたほうの最後の一枚だけに見知らぬ男性が写っていた。
それはひと月以上先の日付だった…。

地震とか火山の噴火とか巨大隕石落下のこととか、雑学的な著述がと
ても多い。
堀江さんという武夫の三歳年上の女性とのセックスの描写がかなりの
スペースで描かれている。

花村萬月 『色』。

テーマ:
1955年、東京都の生まれで、京都府在住。
幼少期から問題児で、都立高校では入学三日目に喧嘩
が原因で退学、十七歳で京都の移る。
1989年、『ゴッド・ブレイス物語』 で第2回小説すばる新人
賞を受賞してデビュー。
1998年、『皆月』 で第19回吉川英治文学新人賞。
同年、『ゲルマニウムの夜』 で第119回芥川賞受賞。
2009年、花園大学の客員教授になる。

好きな作家ではない。
むしろ作風は嫌いだといえる。
だが、手に取ってページを捲ってしまう。
そして、読み始めてしまう。
やっぱり好きじゃないと、いつも思う。
受賞歴以外の経歴は詳しく書く気にならないほど滅茶苦茶だ。







色をテーマにした九つの短編からなる作品集。
赤、紫、灰、黒、白、青、緑、黄、茶。
最初の赤はこんな話。

コマネチが活躍したモントリオールオリンピックやロッキード事
件があった年の夏のさなか、二十歳になったのをきっかけに
私は京都から東京に戻ってきた。
十四歳のころに収容されていた福祉施設の木工所で覚えたシン
ナーを皮切りに、施設を抜け出してからは大麻、コカインやLSD
などの非合法薬物を愉しむようになっていたので、真っ先に向
かったのはいかにも薬物が入手しやすそうな新宿歌舞伎町だ
った。
そこでアルバトロスというキャッチバーで働く咲ちゃんという娘
と知り合い、新大久保にあるRという暴力団の事務所がずらっ
と入っているマンションにある咲ちゃんの部屋に転がり込む。
別名ヤクザマンションと呼ばれるそこに私はすぐに馴染んだ。
そこでは欲しい薬物が簡単に手に入った。
注射器の中に逆流してくる血液の様を咲ちゃんは、こう言った。
「凄いわ、真っ赤なキノコ雲。
 広島長崎原爆投下よ、今日のはとりわけ綺麗」
咲ちゃんと二人でアルバトロスのカモを物色しながら歩いている
と、近くに深夜営業のぬいぐるみの店が開店していた。
巨大な赤いクマのぬいぐるみが中空にディスプレーされている。
咲ちゃんが店主に聞いたところによると、女の子が酔っ払いに
ぬいぐるみを買ってとねだる。
赤い大きなぬいぐるみは三万円也。
あとでそのぬいぐるみを店に持っていくと半額で引き取ってもら
えるのだそうだ。
店のおじさんによると赤という色は派手なくせにじつは汚れが目
立たず、弄ばれて手垢がついても夜目には平気なのだそう…。