あっし的、谷川親方
結局、八百長関与の人は、元海鵬の谷川親方以外は引退届を提出し、拒否した谷川親方は解雇となりました。
絶対やってない!というのが、一人残った理由でしょうが、もうひとつ、彼は現役を引退してるので、その段階で退職金を受理していて、さらに年寄としては、退職金もらえる年数に達してないと。要は勧告にしたがうメリットがなかったわけです。これから、どういった反撃に出るかですが、まー注目してます。
あっし的には谷川親方というと、別の人を浮かべます。
元白田山
谷川親方としてでなく現役時代の白田山がなぜか好きだったんですね。
昭和46年3月場所新入幕。ちなみに前1月場所新入幕が輪島だ!
この時、入幕までの場所数71場所という当時の新入幕までの場所数の新記録をひっさげてのベテラン新入幕力士だったわけです。
ただ相撲っぷりはきびきびしていて、当時のおそらく幕内最軽量。運動神経のよさ(千代の富士登場前の短距離走最速ランナーだったんですね)で、動きまわってるうちに勝機をつかむ取り口。ただ当時だったら、けがする前の藤ノ川(現伊勢ノ海親方)ほど、ケレン味はなく、正攻法だったので、そう上位には通じなかったですね。
でも入幕後、すぐ横綱とも対戦。大鵬戦こそ間に合わなかったけど、ポン友北の富士、そして玉の海戦はかないました。この後、しばらく十両に落ちたり低迷するんですが、もう1度、昭和50年1月に上位に復活して輪島とも戦っています。この場所は、あっしのプチ好きな場所で、この白田山、あと大鷲、大旺と軽量で典型的中堅力士がそろって上位に顔をつらねると。まー当然玉砕したわけですが、妙に新鮮でしたねー。
あと最終的に彼は初土俵以来連続出場の記録も作ってやめてます。そのあと、ぬかれてますが、いま記録のサイトみたら、まだ10位に名を連ねていました。
あと、彼で印象深い記録は、のちの貴ノ花、要は若貴の父ね。その幕下から十両時代、彼を大の苦手にしてまして、5連敗。どうも同じ軽量ながら動き負けしたようです。十両でやっと1勝。その後対戦なく上述した50年1月場所、上位にきた白田山を大関としてむかえ、勝っています。でもそこまでで、結局2勝5敗で終わったわけですね。
あと最近、古い相撲雑誌読んでて、発見したのが、ある場所で現役力士と親方が乱闘したと。で現役が白田山で親方が元国登の佐ノ山親方だったらしい。さわやかな風貌の奥には熊本人らしい強さがあったんですねー、まぁことの詳細はわからないんだけど。あ、だから高砂部屋の彼が引退後、九重部屋の所属になったのは、北の富士と仲いいだけでなく、こういう悶着があったのも原因だったかもと、最近わかりました。
さて海鵬の元谷川は、どういう悶着をおこすでしょうか?