無理がたたって、昨日は痛み止めを飲んで講義をしたけど
今日は、背中全体が痛くて、痛くて、動けなくなっている。
さすがに、年末は締め切り仕事が重なってくるのだが
なにもかもが遅れがちで、親切にしてくれる事務の人たちまで、
迷惑をかけるとなると、本当に心苦しい。
10年間、あらゆる抵抗勢力をはねのけ、
学科の一年次導入教育プロジェクトのリーダーをやったツケなのか
昨年度から血圧異常や心電図異常は見られたが
今年度に入って、一気に、身体が言うことをきかなくなった。
プロジェクトリーダーも、政府系金融機関に勤務していたときと同じやり方で、
つまりバンカーのやり方で、黒子に徹したので、
教授会の先生や事務の方々は、僕の仕事と理解しているが
この10年間、実は様々なオリジナルテキストやスチューデントアシスタントや日経セミナーやJRプロジェクトや劇団四季ミュージカルセミナーや地域再生プロジェクトなどが、誰が中心でやっているかは、学生さんは誰も知らない。
うちのゼミ生だけが知っているのだけである。
バンカーの美学を、教育に持ち込むべきではなかったのかな。
ある同僚の先生から、一人ならずとも、
「誰が主流派か見極めて、もっと要領よくやっていけ」とか「うまく立ち回れ」とか
見るに見かねての親切心と思うが、アドバイスをもらったことも再三再四あった。
だけど、どうもこれも、自分の性に合わなかった。
だって、大学は、研究機関であり、真理を追究することを許された場所であり、
憲法26条で保障された憲法機関である。
全国に400校か600校かある大学だが
かつて特急停車駅全てに大学があるという意味で駅弁大学と揶揄されたが、もはや駅弁どころではない。
また、学問の薫りすらなくなって、ディズニーランド大学といわれたが、これも本家ディズニーランドに失礼な話。いまの大学はもはやコンビニ大学である。
しかし、それはそれとして、憲法上の機関という事実は重たい。
・・・なんてことを痛みで眠れず、うつらうつらと考えていたら、
今朝12月22日の日本経済新聞の私の履歴書(作家、津本陽氏)に、こうあった。
以下、日本経済新聞2009年12月22日付「私の履歴書」より引用
「その課員は何事にもすばやく反応し、課長に気に入られていた。彼は私に教えてくれた。
会社の仕事なんて、まともにやれば大変だけど、皆要領をつかっているんだ。学校とは違うんだから、うまくやればいいんだ。一緒に要領よくやろうよ」
難事を正面からひきうけず、うまく立ちまわれというのだが、そのやり方がいまひとつ理解しがたいものであった。」
作家津本陽氏の言葉を借りれば、「会社の仕事」を「大学の仕事」、「学校とは違うんだから」を「会社と違うんだから」と言い換えれば、まさに10年間勤務した気持ちそのものである。
古典的な表現で僕の文才のなさを実感するが
「わが意を得たり」 同じ考えの人がいるというのは、やはり絶滅危惧種でも嬉しい。
ちなみに、今日は誕生日。 誰も来ない誕生日。 プレゼントもメッセージもカードもない誕生日。
だけど、思いがけず、新聞から、「言葉」のプレゼントをもらった気分です。
とりあえず、ベッドで一日中寝ていますが・・・少し嬉しい。
神様は覚えてくれていたのかな、僕の誕生日を。