日本の文化そのものが最大のプレゼントだった

■1.日本は、難局を好機として一層の飛躍を成し遂げる国■

 麻生太郎氏は幼い頃、祖父・吉田茂からよくこう聞かされていたという。

 日本人のエネルギーはとてつもないものだ。日本はこれから必ずよくなる。日本はとてつもない国なのだ。[1,p15]

 その予言通り、日本は敗戦の瓦礫の中から立ち上がって、あっという間に世界第二の経済大国を築き上げるという「とてつもないエネルギー」を見せた。

 その麻生氏がいよいよ首相となって、所信表明の冒頭でこう国民に呼びかけた。

 この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。

 申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。

「日本はとてつもない国なのだ」という祖父の言葉が基調にある。その「一層の飛躍」の方向を指し示しているのが、「自由と繁栄の弧」というビジョンである。

■2.「自由と繁栄の弧」の公約■

 麻生首相は、安倍政権の外相時代に、「自由と繁栄の弧」を築くことを公約として掲げている。

 我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる「自由と繁栄の弧」において、まさしく終わりのないマラソンを走り始めた民主主義各国の、伴走ランナーを務めてまいります。

 この広大な、帯状に弧を描くエリアで、自由と民主主義、市場経済と法の支配、そして人権を尊重する国々が、岩礁が島になりやがて山脈をなすように、一つまたひとつと伸びていくことでありましょう。

 その歩みを助け、世界秩序が穏やかな、平和なものになるのを目指すわけであります。[2,p36]

■3.「自由と繁栄の弧」への国際的反響■

 平成18(2006)年11月、デンマークのアナス・フォー・ラスムセン首相が来日した際、麻生氏は外相として、新機軸の「自由と繁栄の弧」を説明した。ラスムセン首相は説明が終わ
るや、この構想を「全面的に支持する」と断言し、かねてから持論のNATO(北大西洋条約機構)と日本の関係強化を主張した。すでにNATO加盟国海軍は弧の西側から、そして日本の海上自衛隊は東からせり出して、インド洋やアラビア海で海上ルートの安全を守るべく、協力している。

 この後、麻生外相は東欧を訪問したが、その最中にも米国はもとより、欧州各国から熱烈な支持を伝える電報が次々と寄せられた。

 しかし、この構想に反発する向きもある。共産党独裁政権のもとで「自由なき繁栄」を追求する中国は「自由と繁栄の弧」を反中包囲網と捉えたようだ。中国が民主化して、政治的自由が確立された暁には、「自由と繁栄の弧」の重要なメンバーとなろう。それこそが、「弧」の他のメンバー諸国にとって望ま
しいことあり、また中国の国民の幸福にとっても必要なことである。いかにして、中国をそのような方向に向けていくのか、これが「自由と繁栄の弧」実現への最大の難問であろう。

 麻生氏が首相としての所信表明の中で、「自由と繁栄の弧」という表現を使わなかったのは、中国側の反発を考慮してのことだろう。しかし、外交に関する原則では次のように述べている。

 我が国が信奉するかけがえのない価値が、若い民主主義諸国に根づいていくよう助力を惜しまない

「自由と繁栄」への志は首相の胸中に燃えさかっている。

■4.成功例としてのカンボジア■

 我が国が、実際、どのように「自由と繁栄の弧」を実現していくのか、具体的な事例を通じて語った方がよいだろう。日本が後押しして、「自由と繁栄」に向けて走り始めた国の一つにカンボジアがある。

 カンボジアは極端な共産主義を掲げるポルポト政権のもと、100万人以上と言われる犠牲者が出た。その後もベトナム軍の介入や内戦が続いた。1992年、明石康氏を代表とする国連の平和維持活動(PKO)が開始され、日本の自衛隊が初めて本格的に参加した[a]。

 翌年には、日本の警察、民間ボランティアも協力して、民主選挙が行われた。この時に命を捧げたのが、高田晴行警視正と民間人ボランティア・中田厚仁さんだった[b]。

 その後、議会で新憲法を発布し、立憲君主制が採択された。さらに法律の整備も進み、裁判官や弁護士を育てる学校もできたが、その学校の先生を育てる仕事を、日本の法務省の「法務総合研修所」所属の3人の女性検事、判事補が担当した。

「自由と繁栄」を実現するには、選挙制度、法整備、人材育成など「基盤作り」の実務が不可欠であり、こういう面でも我が国は地道に支援をしてきたのである。

 いまやカンボジアは、スーダンにPKO部隊を送って、平和構築を助ける側に回った。こうして「自由と民主主義、市場経済と法の支配、そして人権を尊重する国々」が、「岩礁が島になりやがて山脈をなす」ようにつながって、「自由と繁栄の弧」をなしていく。

■5.我が国の3つの役割■

「自由と繁栄の弧」の実現に向けて、我が国はいかなる役割を果たせるのか。麻生首相は以下の3点を挙げる。

 第一はアジアの中での「実践的先駆者」であること。政治・経済体制の近代化、民主主義の定着や公害の克服など、これから多くの国々が直面しなければならない問題に、我が国はア
ジアで最初に取り組み、幾多の失敗を乗り越えつつ、成功してきた。民主主義や人権というと、欧米の専売特許のように考える人が多いが、日本はアジア最初の近代憲法制定以来、すでに120年の歴史を持つ古手である[c]。

 第二に、安全保障面での自衛隊と日米同盟、経済面でのODA(政府開発援助)等によって、我が国は「安定装置」の役割を果たしている。

 経済力については、中国を含めた東アジアから、インドなど南アジアまで合算しても、日本のGDPの90%にしかならない。1998年から99年にかけて、アジア諸国は軒並み通貨危機に
襲われたが、日本は不況のただ中にもかかわらず2兆円規模の支援を行って、危機克服を支援した。

 また我が海上自衛隊は海軍力としては世界第6位と評価されており、1位の米国との日米同盟によって太平洋からインド洋までの安全が保たれている[d]。

 第三に、以上の卓越した経験と力を持っているにも関わらず、我が国はアジア各国と「対等な仲間」としての交流を積み重ねてきた。イラクを支援した自衛隊がサマーワの人々に中に溶け込み、地元新聞から「『古きニッポン』の子孫として愛情と倫理に溢れた人々」と絶賛されたのが、その一例である[e]。

■6.すでに豊富な支援実績■

 この3つの役割において、我が国はすでに多くの支援実績を上げている。

 アフガニスタンでは、元兵士の社会復帰を助けるために、職業訓練センターを9カ所、設立した。サウジアラビアでは自動車整備を教える自動車技術高等研修所、トルコでは自動制御技術教育改善プロジェクトを進めるなど、人作りに重点をおいた支援活動を行っている。

「自由と繁栄の弧」のさらに西側には、東欧諸国がある。1990(平成2)年1月、東西を隔てていた壁が崩れたばかりのベルリンへ行った海部俊樹首相は、ポーランド、ハンガリーに総額19億5千万ドル、日本円にして2800億円以上に上る支援策を発表し、実行した。支援の一環として、両国からその後の12年間で13百人以上の研修生を受け入れ、市場経済化のための人材育成に貢献している。

 ボスニア・ヘルツェゴビナでも、95年に紛争が終わるや、米国に次ぐ5億ドルもの金額を援助し、平和の定着、市場経済化、環境の3つの分野で支援を行った。「何で日本がそこまで」とかえって不思議がられたそうだが、現在では「一番実のある支援をしてくれたのは、結局日本だった」と言われている由。

■7.ニューデリーの地下鉄にて■

 3つ役割は、おもに日本政府を通じてなされるが、実際に支援を行うのは、一人一人の日本人である。

 平成17(2005)年の暮れに、麻生氏が外務大臣としてインドを訪問した際、首都ニューデリーに完成したばかりの地下鉄を視察した。これは日本のODAを使って建設されたもので、駅には日本とインドの大きな国旗が掲げられており、日本の援助で作られたということが大きな字で書いてあった。改札口にも
大きな円グラフで「建設費の約70パーセントが日本の援助である」ことが、表示されていた。

 その配慮に感激した麻生氏が、下鉄公団の総裁にお礼を言うと、総裁は次のような話をしてくれた。[1,p10]

 自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の8時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた。我々インドの技術者は、全員揃うのにそれから10分以上かかった。日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた。自分が全員揃ったと報告すると、「8時集合ということは8時から作業ができるようにするのが当たり前」といわれた。

 悔しいので翌日7時45分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。決められた工程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明された。

■8.「日本の文化そのものが最大のプレゼントだった」■

 日本人技術者たちの姿勢は、インド人の姿勢を変えていった。

 いつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった。これだけ大きなプロジェクトが予定よりも2か月半も早く完成した。もちろん、そんなことはインドで初めてのことだ。翌日からは運行担当の人がやってきた。彼らが手にしていたのはストップウォッチ。これで地下鉄を時間通りに運行するように言われた。秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた。その結果、数時間遅れも日常茶飯事であるインドの公共交通機関の中で、地下鉄だけが数分の誤差で正確に運行されている。これは凄いことだ。

 我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。労働に関する自分たちの価値観が根底から覆された。日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバッサダー(最高の大使)」と呼んでいる。

 自由の前提はルールを守ることであり、繁栄の前提は労働を美徳とすることだ。そのような価値観を身につけた国民が「自由と繁栄」を勝ち得る。

 ODAに従事する技術者、PKOで派遣された自衛隊諸士、NPOのボランティアたちが、相手国の国民の中に入っていって身をもって、これらの価値観を伝えている。こうした人作りこそ「自由と繁栄」のインフラなのである。

■9.「新しい日本人像」■

「自由と繁栄の弧」へ向けて、相手国の中に入っての努力は、相手側を変えるだけではない。日本人自身も変えていく。

 平成18(2006)年7月29日、麻生氏は小泉総理(当時)とともに、イラクに派遣された最後の陸上自衛隊部隊の隊旗返還式と慰労会に出席した。

 ここで見た若者たちは、年格好からするとその多くは二十歳そこそこです。それが揃いも揃って、実にいい顔になっていたことを、私は生涯忘れえぬであろうと思います。
「こんなに立派にしていただいて」。親御さんから感謝され、話が随分あべこべだとは思いましたが、見違えるように頼もしくなった息子を前にすれば、親ならそう言いたくもなります。入隊時の宣誓に言う「事に望んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」を実践して灼熱のイラクで善行をなし、いかにも達成感を得た表情がそこにありました。

 この時まで延べ7千6百人(航空自衛隊含む)の隊員が、イラク・サマーワの地で人道復興支援活動に携わりながら、盗みや暴行はおろか、軽犯罪の一つすら起こておりません。そのことでイラクの人々と、一緒に働いたオランダや英国、豪州の軍人たちから尊敬を勝ち得た自衛隊員諸君こそは、新しい日本人像を率先垂範、示してくれたのです。
[2,p10]

 人間は、世のため人のための使命を抱いた時に元気になり、困難を通じてそれをやり遂げた時に、自信を得る。

「自由と繁栄の弧」を創るという国家的使命感は、日本人に元気を与え、その挑戦を通じて、自信に満ちた新しい日本人像を生み出そうという試みでもある。
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5356

麻生首相の実績は意図的に報道されていません。
取るに足らない漢字の読み違いやホテルのバー通いを取り上げられて、さも無能であるかのように印象付けられる一方で、民主党の失言や不祥事はほぼ報道されません。
麻生内閣がこれほどまでに叩かれるのは特定アジアに都合が悪いだけではなく、実はマスゴミの既得権益を脅かそうとしているからです。
つまり、マスゴミはスポンサーの都合は勿論のこと、自身の都合のためにも麻生内閣を叩いているのです。