【韓国】 李朝=インカ帝国説~古田博司筑波大教授「李朝には木を曲げる技術がなかった」★4[06/09]


 朝鮮研究の第一人者である筑波大学教授の古田博司氏が毎日新聞から発行される『アジア時報』五月号に掲載されたアジア研究委員会での研究報告の内容をめぐって、韓国大使館から激しい抗議を受けているという。すでに韓国情報部の人間も接触してきたといい、身辺の危険も感じているらしい。古田氏と親しい人から聞いた話だ。

 古田氏は日韓歴史共同委員会の教科書班の日本側の班長でもあり、問題の報告は韓国の歴史教科書60冊の内容を客観的に分析したもので、どこが問題なのか私には理解できない。 教科書記述の分析についてのクレームは表向きで、おそらく韓国側の神経に障ったのは古田氏の李朝に関する発言にあるのではないか。一般にはあまり目に触れる雑誌ではないので、ここで古田氏の発言を再掲しておこう。

 <中世については、この間、朝鮮中世経済史の某氏と話した時に、私が「ちょっと言いにくいんだけど、昔、日本では停滞史観だといって批判されたけど、どうも僕は、長い間やっていた感触として、李朝はインカ帝国に似ていないか」と聞いたんですよ。そうしたら、彼が「僕もそう思う」と言うんですね。/つまり、李朝というのは並みの中世ではないのです。例えば車がない。輪っかがないんです。なぜかというと、曲げ物をつくる技術がない。木を曲げることができないから樽もないわけですよ

 非常に興味深い発言である。李朝は木を曲げる技術がないほど停滞した時代だったという。李朝=インカ帝国説。さらに続けよう。

<甕は重いでしょう。樽だと楽なんですが、それがないんですよ。だから升に入れて、車がないから、チゲといって全部背中に担ぐ。王朝の宮廷に地方でとれた蜂蜜を届けるんですけれども、そういう時は四角の升です。それを組み合わせて木釘で打ったものに蜂蜜を入れて、背中に担いで山越え谷越えするものですから、着いた時は半分ぐらいないという状況になる。/もっとすごいのは、李朝には商店がないんですよ。御用商人の商店が一カ所に集まっている。でも戸が閉まっている。要するに、宮中の御用をするだけなんですね。一般の民衆はどうかというと、みんな市場で買い物をします。北朝鮮と同じなんです。開いている商店というと、筆屋とか真鍮の食器屋ぐらいですね。両班(ヤンバン)のうちで使うから筆屋と食器屋はある。/帽子などは地面に広げて売っています。商店というものが全然ないんですね。これは儒教のせいではありません。初めからずっとないのです。北朝鮮も同じで商店がない。闇市しかないわけです。

 刺激的な内容である。では朝鮮の誇る青磁・白磁はどうか。

李朝には顔料がないです。だから、赤絵の壷がないでしょう。薄ぼけた赤いのがあることはありますが、ほぼ全部真っ白。赤絵の壷がないというのが大きな特徴です。柳宗悦が「朝鮮の白は悲哀の色」といったのですが、それは本当は貧しさの悲哀のことです。(中略)顔料がないのです。コバルトをすこし発色できるだけでしょうか。だから衣も民衆は全部白です。(中略)上流はみんな色付きです。中国から取り寄せて上流階級では色の付いたものを着ている。また地方の農村でヤンバンが御用の染料屋に衣を染めさせるという記録はあります。でも下層は麻や木綿地の白ですよ。それを川辺で棒でたたいて洗濯をするものだから、ますます白くなる

 1805年に鄭東愈という儒者の書いた本によると、朝鮮にないものが三つあって、それは羊と車と針だという。針は衣類に穴が開くくらいの粗雑なものでしかなく、中国から買ってきていたという。

 これが李朝の技術水準だというのだ。にもかかわらず、韓国の教科書では「発達した中世」と書いてあるという。要するにこの時代にすでに資本主義の萌芽があったのに、「日帝」が潰したと言いたいのだ。しかし、実態は停滞した李朝の水準から一躍近代社会をもたらしたのは他ならぬ日本統治である。

が、それを認めたくない。そこで一方で李朝時代を文明度の高い時代として位置づけ、他方、日本統治時代を過酷なものとして描くのだ。何れも作り話だが、韓国の歴史問題は我々の想像以上に彼らの自尊心に関わっているのだ。古田氏には圧力に負けず、歴史の真実を伝えて欲しい。
高崎経済大学教授 八木秀次

ソース:正論7月号pp44-45<李朝=インカ帝国説>ネット上になし。
手入力:http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242996286/942-944

関連スレ:
【産経/コラム】「チャングム」のまやかし~増殖する韓国の「自尊史観」 筑波大学大学院教授・古田博司★2[12/17]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1229513310/
【産経・正論】筑波大・古田博司教授 特定アジアから偽史を強要されている恥ずかしい国に住んでいく覚悟を[05/08]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1241733441/l50
日韓併合前後 朝鮮半島写真館
http://photo.jijisama.org/


李氏朝鮮 現実

李氏朝鮮の黄金郷、ソウル市街


細井肇 著「漢城の風雲と名士」(『政治史』第77巻、豚犬的生活五より)

韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。・・・(中略)・・・
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような、「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を見ないことはなく、辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を襲い目を顰めない人はいない。
さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。全く持ってとんでもない話である。毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない・・・」


元京城控訴院判事 山口真昌氏の1908年6月の証言(『朝鮮における司法制度の近代化の足跡』友邦協会編より)

「道路は非常に狭く、しかも糞尿は至るところ道ばたに落ちているという有様でした。井戸水は混濁していて、風呂に入れば茶色の湯で、かえって身体が汚れるような感じで、飲料水は石油の空き缶一杯で何銭(当時のお金の単位)で買ってきて使用すると言う状態で(要するに飲料水は買わなければならなかったと言うこと)、電灯は今だ一般の家庭には普及しておらず、私たちが当時借家としていた家にはその設備(電灯)が無いためランプを使用しておりましたが、冬になると寒気が激しく、石油が凍って段々と光りが薄暗くなり、仕事が出来ないほどでありました。」
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi28.htm


インカ帝国の黄金郷、クスコ市街


13世紀前後にケチュア人の国インカが起こると、15世紀後半にはアンデス一帯を平定して大帝国を創り上げた。インカ帝国だ。インカ帝国はクスコを中心にインカ道で連結し、各地から特産品を集めて分配することで各国をまとめた。鉄器や車輪は持たなかったが、金や銀を精錬する技術に長け、インカ帝国はスペインに伝わる黄金郷=エル・ドラドそのままに繁栄した。

大航海時代、黄金を求めて南米の地にやってきたスペイン人コンキスタドール(征服者)、フランシスコ・ピサロはついにこのインカ帝国を発見する。カハマルカという温泉場に168人の兵とともに乗り込むと、皇帝アタワルバを捕らえ、帝国にある黄金を集め、奪うだけ奪うと1533年に処刑してしまう。この後、インカ帝国はスペインの傀儡政権と、山中深くに逃げた亡命政権に分裂するが、1572年、亡命政権最後の皇帝トゥパック・アマルがクスコで処刑され、傀儡政権最後の皇帝カルロス・インカが退位すると、インカ帝国は完全に滅亡する。

http://allabout.co.jp/travel/worldheritage/closeup/CU20070509A/


間違いなく、李氏朝鮮もインカ帝国も並ではない中世の国だった。