神奈川の世論。を転載
平成20年1月7日

姜尚中氏の嘘を告発する

                調布史の会 世話人

                                 松木國俊

平成20年度NHK紅白歌合戦。なぜか姜尚中氏がオリンピック金メダリストと並んで審査員席に座っていました。彼と同じ昭和25年に生れ、同じ熊本で育った私には彼の本質がはっきりと見えています。その男がこともあろうに年の最後を締めくくる国民的番組の審査員に祭り上げられ、勝ち誇った顔に満面の笑みを浮かべているのです。「このままこのインチキ偽善者を勝者にしてはいけない」という怒りと焦燥の思いがこみ上げ、皆様に彼の仮面の下の本質を知って頂くためにここに筆をとりました。

 姜尚中氏は「在日」と題した自己の半生記なるものを出版しています。彼はこの本の中で日本人から彼の一族がどれほど酷い差別をうけたか、そしてその様な抑圧された環境を自分がいかに乗り越えて来たかを克明に書いています。彼の現在の地位はこの本に書かれている「被差別者」としての彼の生い立ちに対する日本人の負い目によって保証されているといっても過言ではないでしょう。

 ならばその本の内容を検証することが、彼の正体を皆様に理解してもらうための最も近道ということになります。以下、「在日」に書かれている矛盾点を指摘して参ります。

1.一体だれが“差別”したのか?

  「在日」26ページにはこう書いてあります

(引用)戦前から軍国主義の土壌があった熊本では、特に「在日」に対する偏見や

先入観、差別意識が強かったといえる。(引用終わり)


姜尚中氏と同じ熊本で育った人間として、のっけから大きな違和感を覚えました。「戦前から軍国主義の土壌があった」など聞いたことも感じたこともないからです。熊本にあったのは勤倹尚武の気風であり「軍国主義」とは何の関係もありません。

軍国主義の土壌があったから熊本では「在日」に対する差別意識が強かったというのは彼が左翼的発想で作り上げた虚構の論理であり、半生記の最初から自分の都合のいい様に歴史を捏造しているのです。むしろ私が熊本の親兄弟から聞いていたのは、戦後朝鮮人が「戦勝国の民」として威張りちらし、町々で傍若無人に振舞うのを警察でさえ取り締まることが出来ず恐怖したという経験談でした。


そして「在日」71~72ページにこう記述しています。

  (引用)なぜ自分は「在日」なのか。どうして父母の国は分断されお互いに殺し合いをしたのか。何故自分たちは「みすぼらしい」のか。こうした疑念が私を不安にしたが、それを口に出していえる友や先生はいなかった。(中略)しかもその分断は、日本の歴史と決して無関係ではなかったのだ。(引用終わり)

   彼は熊本市内の済々黌高校の出身であり、彼のクラスメートだった私の友人も沢山います。彼等は私に会うたびに「誰も差別ばしとらんとに、永野(姜尚中氏の日本名)はけしからん」と言っています。彼等によれば姜尚中氏が在日であることすら誰も知っておらず、もし知っていても済々黌という誇りを持った学校に、彼を在日だからといって差別するような生徒が居るはずがないと怒っているのです。姜尚中氏がその生い立ちを苦労話で埋め尽くすために、クラスメートすら信じられなかったと“告白”したことが、彼を本気で友人と思って付き合っていた多くの同級生の気持ちをどれほど傷つけているか彼には分っているのでしょうか。

姜尚中氏は常々「被差別民」として育ったことを強調しますが、私の中学の同級生にも「在日」はいました。すでにこの時代、熊本の中学校や高校ではまじめな生徒であれば「在日」であっても差別されるような雰囲気は全くなかったことを私自身の経験から断言できます。姜尚中氏の言葉は虚言に過ぎません。また、上記引用文にもありますが、あらゆる文章の中で朝鮮の悲劇をことごとく日本の責任に結びつけるのも彼の特徴でありその反日性を如実に示しています。

2.ハングルを読めない母親?

   彼は自分の母親についても下記のように書いています。

  32ページ(引用)幼少の時から教育の機会を奪われていた母は日本語だけでなく、民族の言葉についても話すことは出来ても読むことも書くこともできない「文盲」の状態だった」(引用終わり)

 41ページ(引用)「母のずば抜けた記憶力は文字が書けないハンディを補おうとする必死の努力の成果だったかもしれない」(引用終わり)

上記の二つの文章は完全に矛盾しています。彼等の民族の文字ハングルは李氏朝鮮第四代世宗国王が文字の読めない下々の人間が読めるようにと考案した極めて簡単で合理的な文字です。基本形は24文字であり後はこれらの組み合わせです。

以前商社で働いていた私はソウルに4年半ほど駐在したことがありますが、韓国語を全く知らなかった妻が赴任後3日目にはすでにハングルを読めるようになりました。まして「抜群の記憶力」を持つ母親がハングルを覚えられなかったなど、ボランティアで韓国語教室をやっている私には到底信じることができません。明らかにお涙頂戴のための作り話なのでしょう。

なお、蛇足ながらハングルは李朝時代には下賎な文字として殆ど使われていませんでした。これを福沢諭吉をはじめとする日本の教育関係者が発掘し、その後日本によって建てられた普通学校(小学校)を通して朝鮮全土に広まったものです。(ハングルを朝鮮全土に広めたのは日本です) 

3.戦後10年目に廃品回収場に軍刀とは?
42ページに下記のような文章があります。

  (引用)(六歳の頃の話)その中で思い出深いのは、軍刀や鉄兜などの戦闘用具が廃品として大量に我が家の前に高く積み重ねられていたことである。血のりなどで赤褐色にさび付いた軍刀の数々は私の目にも異様に映った。そこは明らかに戦争の臭いがあった。(中略)戦争の血なまぐさい記憶はこんなところにもまだ残っていたのである。廃品回収とは歴史のむごたらしい残骸を処理する生業でもあったのだ。(引用終わり)

ちょっとまってください! 彼が六歳のころと言えばすでに昭和30年代に入っているはずです。戦後10年も経って「血のりのついた軍刀の数々が廃品として捨ててある」ことなどありえるでしょうか。終戦直後にGHQの命令で全ての軍刀は強制的に回収されており、所持していれば銃刀法違反で直ぐに捕まってしまいます。そんなものが昭和30年代に廃品として回収してきた中に「数々」あるはずがありません。そのような「危険」なものを廃品回収業者に払い下げる訳がないからです。さらにもし廃品として在庫していればそれこそ「不法所持」になります。それが誰にでも目につく「我が家の前」に高く積み重ねられていたなど考えられるでしょうか。
 昔軍人だった人々の話では、軍刀はお守りであり人を斬ったりしなかったそうです。彼は「軍刀は人を斬るもの」という思い込みをもとに、日本の軍人をそして日本の歴史を貶めるべく嘘八百をならべているのです。この文章を見ただけでもこの本の内容が「虚偽」であることが分ります。


4.日本の兵隊が女性を犯してなぶり殺し?

44ページには下記の記述があります。
 (引用)「犬はようわかっとるばい。もう“犬殺し”をやめて何年にもなるばっ

てん、臭いがしみつとっとだろうね。」犬の臭いだけでなく人間の血の臭いもしみついているのではないかと思ったのは、飯島さんがある夜、酔いにまかせて戦争中、中国で若い女性を犯してなぶり殺しにした話をしたときである。ニヤニヤしながら、しかしバツが悪そうに告白する飯島さんの口元には苦笑のような笑みがあらわれていた。私は何か聞いてはならないものを聞いてしまったような後悔の念とともに、身近な大人の中の残忍さを知ったようで戦慄を覚えざるをえなかった。

(引用終わり)

そもそも女性を犯してなぶり殺しにするとは猟奇的変質者のやることです。にもかかわらず彼は何の検証もなしにまるで日本人の大人が全てこのような変質者であったかのような書き方をしています。日本人への憎悪丸出しです。よくぞここまで日本人を侮辱してくれたものです。それならこちらもこう返すしかありません。「飯島さんは朝鮮人だったのではないか」

私たちの祖父がそのような変質者だったはずがありません。まして、軍規の最も厳しかった帝国陸軍がそのようなことを許すはずもありません。当時中国戦線で娘が強姦されたと言って中国人の父娘が日本の憲兵に訴え出た際、憲兵は部隊のすべての兵隊を並べて首実験までやったそうです。(ベトナムでは首実検で見つかった兵隊が重大な軍規違反としてその場で銃殺されたことを私の知人が目撃者から聞いています)

日本人の残虐性を強調したいが為に、ごく一部の事件に過ぎないものを日本軍全体の犯罪にでっち上げる左翼の手法に従って彼はこれを書いたのでしょう。しかしながら検証された事実ならまだしも、自分の半生記の中にわざわざ酔っ払いの与太話を取り上げて日本人を侮辱する文を書き、それを平気で日本人に読ませる彼の神経はどうなっているのでしょうか。もっともそれに怒りを感じない多くの日本人の神経も狂っているのかもしれませんが。

まだまだおかしな部分は限りなくありますが、とりあえず以上にしておきます。彼の文章には嘘があることが既に皆様にはっきりとお分かり頂けたでしょう。これだけ嘘があるからには、彼が何を書こうと何を話そうともはや信用することができません。

姜尚中氏は「在日」という立場を最大限に利用して今日の地位に昇ったのであり、そのためには「ありのままの自分史」ではなく、自分にとって「あるべき自分史」を捏造する必要があったのでしょう。自分が幼い頃から「在日」というアウトローの世界で差別の目で見られながら過酷な人生を歩んできたということが、彼のサクセスストーリーにとって不可欠な要素となっているのです。従って半生記を書き出した彼の頭には「どう書けば読者に受けるか」ということしかなく、事実をどう捏造しようが歪曲しようがおかまいなし。得意の反日トーンで筆の赴くところ書きまくり、やがて自分の文章に酔った挙句に筆が滑って次々にボロを出してしまいました。

この「在日」なる本がフィクション小説であれば三流作家の駄作として見逃すことも出来ます。しかし彼は全てを「事実」として発表しているのです。これは読者への裏切りであり「経歴詐称」という立派な犯罪行為に相違ありません。



もう皆様はお分かりになったと思います。自己の人生を粉飾し、日本批判を「飯のタネ」として日本人から稼ぎまくるイカサマ師。それが姜尚中氏の正体です。

最近彼が書いた「悩む力」という本は既に50万部が売れたそうです。日本に生まれ日本で育ち、日本の社会システムの恩恵を受けているにも関わらず、自らを道徳的高みに置いてひたすら日本人を蔑み、日本の歴史を貶めながら日本で思う存分お金を稼いでいるのです。これほど悔しい話はありません。

私は日本人として、そして人間として断じて姜尚中氏を許すことができません。

http://blog.livedoor.jp/hjm2/archives/51305966.html


姜尚中
姜尚中

「日本が拉致問題を理由に北朝鮮を支援しない態度でいれば、国際社会から孤立してしまうので経済支援をするべきである」と現在の金正日体制を支援すべきソウル大学 での統一政策フォーラムにて発言2007年10月1日総合ニュース。
「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻がいても、これを言うことができる。」と拉致問題と日韓併合時の徴用・徴兵を同一視した発言を2006年11月25日の世界海外韓人貿易協会での講演にて行った2006年12月1日OhmyNews(韓国語)-

世界の平和運動で生まれたエネルギーを北朝鮮に


ミサイルは半永久的に凍結 核は絶対に廃絶させる

過去のしがらみから脱却できない現実を、我々は克服しなければならない。だからこそ、今の5人の拉致被害者の肉声を忖度できるような世論をつくらないと。

拉致被害者の5人が北朝鮮に帰るということは、おそらく今の日本は許さないと思うんです。だから北朝鮮に対して、5人の御家族を日本にいったん帰す、しかし、必ず家族はいったん北朝鮮に戻すと北朝鮮に保証しなければならない。それができなければ、第三国で対面させるような状況をつくらなければならない。そこで対面をし、話し合い、そして最終的に永住の地を彼らが決定する。国が決めるんじゃないんですよ。

まず、8人の行方不明者に関しては、ちゃんと北朝鮮に詳細な報告をさせるべきです。そのうえで、保障を求める。報告が出て、保証が出たならば一応、拉致被害の決着はつくと思います。

しかし、拉致問題が国交交渉の入口であってはならないと思います。そして、ミサイルについては、半永久的に凍結させる。これは日朝平壌宣言にうたわれている。そして核は絶対的に廃絶させる。 

そのために、アメリカに働きかけ、北朝鮮に改善させる。そして休戦協定を平和協定に変えるために不可侵の公約をアメリカはすべきです。核実験をしていない以上、核が兵器に転用されるとはとうてい思えません。

50万tのKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)からの重油供給がなくなっている以上、北朝鮮は満足な軍事訓練さえできない状態なんです。全部破壊したあとに、実際は張子のトラだということがわかると思います。日本は昨年9月の日朝交渉で、先手を打ったんですよ。もう一度それをやるべきです。

喜納 私は韓国へ5回、北朝鮮にも2回行きコンサートをしています。どちらでアリランを歌ってもそれぞれの市民は涙を流す。これは資本主義から来た涙ではなく、共産主義から来た涙でもない。これは資本主義、共産主義に分断された朝鮮民族の歴史の断層から流れてきた涙。その断層には戦争のおぞましい歴史がモンスターのように眠っている。

人類の良心を束ねて、大きなルネッサンスを

喜納 今回のイラク戦争は、小さい悪魔のフセインと、大きな悪魔のブッシュが、石油利権を求めて何の罪もない人たちを殺したものだと思う。今後これらのモンスターをどう解決していくのか。アメリカをただ敵とみなすのではなく、良心を引き出す。朝鮮半島からも良心を引き出す。ヨーロッパや中国などからも。そして人類の良心を束ねて、大きいルネッサンスを起こすことが必要では。

今、日本人は拉致問題でファナティックになりつつある。しかし今こそ日本人は試されているのだと思う。拉致問題で流された日本人の涙と、38度線で流された朝鮮民族の涙は、世界的なスパンで考えると同根であると考えられる。そういう哲学を持って朝鮮民族と勇気を持って対話をつくっていくべき。国益、国益というが地球が破壊されてしまっては何が国益かと。グローバリズムが広がる中、国益は人類益と整合性を持たないと。

朝鮮民族は何か十字架を背負っているのだと思う。板門店を天国にするか、地獄にするか、我々にかかっている。

日本に住む在日の方々には38度線の国境はないはず。しかしなぜ自ら総連とか民団とか、心の中に線を引くのか。まずはそれを取り除かなければならない。そして日本民族は、なぜ彼らが心の中に線を引かざるをえなかったかを大いに理解しなければいけない。そこから本当の対話が始まる。

伊高 昌吉さん、38度線の板門店での祭りを興す構想があるそうですが、具体的にどんなことを考えていますか。

喜納 まず「アリラン」で結びたいですね。北朝鮮と韓国の芸術家、芸能家がひとつになって、私もそこに参加して、世界のアーティストにも呼びかけて。そして広島、長崎にも参加してもらい、東京の方たちにも実行委員になってもらい、もう東北アジアには戦争は必要ないという形で行動を興していきたい。

伊高 姜さん、北朝鮮人民が飢える理由は何ですか。

  複合的にあると思います。体制の問題があることは言うまでもない事実です。北朝鮮は1976年くらいから、西側先進国からいろいろプラントを輸入したんですけれども、76年にデフォルト(債務不履行)になってしまった。70年代の半ばには、韓国の開発独裁型の成長に追いつけなくなっている。

そして大きかったのは、旧ソビエトの崩壊ですよ。これによって、援助物資が出にくくなって。中国も、北朝鮮に圧力を食われるため、いろいろ援助をやめて、特にエネルギーを一時シャットアウトした時がありました。

体制を少しずつ前進的に改善していく必要がある。北朝鮮が少しずつ変わっていく国際環境を整えて、共存体制にもっていくことは可能だと思います。北朝鮮も今、西側的経営を学ぼうと、努力はしている。20年はかかると思いますが、とにかく北朝鮮を崩壊させずに暴発しない形で、共存体制をつくり、経済特区をつくっていく。

北朝鮮が話し合おうという気がなければ、多国間会議に出てきません。核を使おうとするならば、核開発を今やってしまったなんてことを、外交の場でしかもオフレコ的な形で発言しない。一番良いのは、ある日突然核実験をして、持ったと宣言すること。やはり私はまだ交渉の余地があるからこそ、核を告白したんだと思います。休戦協定を平和協定に変える過渡的な措置をアメリカに望んでいる。

日本が北朝鮮に経済的な支援をすることは、恩恵ではありません。日本は国際的な責務として、北朝鮮に出さなければならない。それがいつのまにか、経済的な施しのようになってしまった。それはまったく歴史を理解していない了見です。

北朝鮮の問題は北東アジアの何十年単位の平和と安定にかかわる重要な問題です。

紛争地を国連に独立させて 全部非武装地域にしていく

伊高 喜納さん、沖縄民族は独自の憲法を持つべきでしょうか。

喜納 日本が、憲法9条を捨てるというのであれば、沖縄がもらって独立しようかと思ってます(笑)。それも国境主義からの独立。国境は人間の頭の中にしかない。鳥にも、魚にも、風にも雲にも、人間が作った電波にも国境はない。チェルノブイリの被害にも国境はない。あるのは人間の頭の中だけ。この頭を解放しないといけない。

 沖縄をどう国境主義から独立させるかというと、まず国連を改革する。そして正義の名の下に運営する国連の中に沖縄が信託統治として自ら入っていく。国連を改革しながらですよ。あらゆる紛争地域も国連に独立させていく。それらは全部非武装地域にしていく。国連が武器を握って、最後に解体していく。その解体工場を日本が担う。それぐらいの大いなる遊びをつくって欲しいですね(笑)。

伊高 姜さん、文明の衝突とよく言われるが、西洋文明的なものと、東洋文明的なものとの衝突になるのではないか。

  僕自身は、イスラム対アメリカというんではなく、西側とくくられている側に亀裂が入ると思ってましたし、実際そうなりつつあります。国際社会を協調体制にするのか、一国が一極支配をしていくのかについては原理的な対立がある。

伊高 喜納さん、アメリカも含めてアーティストの運動はとかく抽象的で、効果があるのかという質問が来ています。

喜納 平和運動は、キリストもアブラハムもブッダもマルクスもみんな失敗している。平和というものを考えたとき、爆弾を投げれば戦争、投げなければ平和かというと疑問がある。例えば病気があっても平和ではないし、あらゆる問題があるかぎり平和ではない。平和というのは人類の、文明の、最高のアートではないかと思う。だから私自身もそれを目指す平和アーティストだと言いたい。皆さんもそうであって欲しい。

自由にルーツを語れる、開かれた社会に

伊高 姜さん、在日コリアとしてどのような提言、貢献、展望ができるか。

  なぜ在日の人たちが自分の出自を隠したり、このような生活を強いられているかというと、南北分断を背負い込んでしまったから。私は、ミニ国家をつくろうとしたんだと思います。民族団体という、国家と相似系の団体をつくって民族主義を組み立て直そうとした。今から見て、それを歴史的に裁断するのは間違いであって、そのときに人々は何かにすがろうとしたのは、切実な問題であった。

しかし、結局はミニ国家の論理でした。南北は自分たちのナショナリズムや愛国主義の正当性争いをして、敵対的依存関係をつくっていた。在日の人々は南北という国家と、日本という国家の3つの国家の狭間で生きたわけです。だから在日は屈せざるをえないわけです。3つの国家の軋轢の中で生きなきゃいけないとしたら、誰だって屈折したり内向化したり、いろんな問題をかかえこんでいく。

自分の母語をしゃべれない、知らない、本名を呼べないにもかかわらず、日本国籍を取っていない3世4世がいるわけです。これがいかに異常であるか、日本の人も在日の人も知らなければならない。

大事なことは、皆さんが生きていてもいい、そして自由にルーツを語って、ルーツを語ることは良いことだと。そうすれば、将来、日韓の間で2重国籍はできると思います。政治の問題などいろいろありますけど、可能性はあるんです。

日朝が国交を結べば、日韓は北朝鮮にとって脅威ではないことがわかると思います。そして南北が鉄道を敷設して、交流を深めていく。そうすれば非核化ができあがる可能性がありますし、交流が深まれば、日韓が将来2重国籍、将来的には20年か30年か、北朝鮮もその中に入ってくると思います。

ナショナリズムの最大の欠点は「AであってA以外であってはならない」と強要することだと思います。なぜかというと、結局国家は最終的に死という問題に結びついているからです。国家のために死を捧げるために、A以外であってはならないと言うんです。

僕は今、日本に住んでいます。この社会にどこか愛着を持っています。「AはAであって、A以外であってもいい」と許容できるようになるためには、国籍を2重、3重持ってても人は生きていけるということを認める社会でなければならない。韓国も日本も開かれていかなければならない。日本は韓国の問題を超えなければアジアの仲間入りはできない。韓国も狭隘な反日意識から目覚めなければ、アジアの中で生きていけない。

そういう意味で、在日朝鮮人は、最前線にいると思います。

舞踏派と歌劇派で、和合する祭りをやろう

伊高 喜納さん、あなたは日本の国籍を持っていますが、沖縄民族です。その立場でどういう提言をするでしょうか。

喜納 私は国家というものはもう無用の長物、古いものだと解った。ただ国家を棄てる権利は我々にある。奪われるよりも自分で棄てたほうがいい。

沖縄の尖閣列島には油田があるといわれる。将来そういうものを目指してモンスターが押し寄せて来ても不思議ではない。それまで我々は寝て待つのか、それともそういう事態が来ないように自分で歩くのか。利権を争う文明からは飛び出さなくては。輝く惑星文明、地球が健康になる文明をつくらなくては。それには和合しかない。そして有限なる資源と永遠に付き合うには共生しかない。そういう精神文明をこの日本から起さないといけない。

沖縄からは日本をヤマトと呼び、ヤマトは大いなる和と書く。日本には大いなる和合の精神を持ってアイヌを受け入れ、沖縄を受け入れ、在日の方々を受け入れてほしい。それを受け入れる一番のアクションとして私は祭りしかないと思う。

武闘派、過激派にも目覚めてほしい。武闘派は踊る舞踏派、そして過激派は歌う歌劇派としてね(笑)。みんなで和合していく祭りを創りませんか? 

伊高 姜さんは喜納昌吉さんの人間像をどうとらえていますか。また喜納さんは姜尚中さんの人間像をどうとらえていますか。

 やっぱり喜納さんは飛んでいる人だと思いました(笑)。やはりアーティスト。僕のひとつの夢は、沖縄で船の上で南北首脳会談をやること。その先導役で喜納さんが二人を会場に案内する。日本の首相も参加して。是非それを沖縄で。その先導役に喜納さんならなれそうな気がします。これだけ飛んでなければできないんじゃないかと(笑)。そういう印象を持ちました。

喜納 私は姜さんとお会いして、非常に基盤がしっかり整備されている人だと感じました。だから私を着地させてくれる人だと思いました(笑)。

伊高 南北首脳会談を沖縄でやろうという案は?

喜納 非常にいい案だと思う。大きな人類のビジョンが出せるような気がする。

伊高 今日の会について、総括を。

 何とか着地点に(笑)。ありがとうございます。

喜納 姜さんも、私も、皆さんを守りますから、皆さんも私たちを守ってください(笑)。

『月刊あれこれ 7月号』掲載

http://www.hana-matsuri.org/event/2003kan/arekore.html

姜尚中は『在日』のなかで、自分の両親が、自分の意志で日本に渡ったことが明確に記している。

 いずれにしても朝鮮戦争のただ中に、わたし(姜尚中)は九州は熊本市内の熊本駅近くにある
韓国・朝鮮人集落で生まれた。
                       『在日』(23頁)
【父、母はこうして在日一世になった】
 父が日本に来たのは、満州事変の年だった。若干十五歳のときである。 着の身着のまま、単身、日本にやってきたのだ。慶尚南道昌原郡南山里という、韓国南部の典型的な貧しい小作人の長男に生まれた父は、貧しさに押されるように宗主国にたどり着いたのである。まさしく流民のような境 遇であった。
                        『在日』(27頁)

 韓国の釜山近くの鎮海(チネ)から母が許嫁の父を訪ねてくるのが、太平洋戦争勃発の年である。日本の破局を決定づけることになる大戦勃発の年に母は父の住所を唯一の手掛かりに単身、関釜連絡船で下関に上陸し、そこから各地を転々としながら、東京の巣鴨三丁目にある父の社宅に身を寄せ、新婚生活を始めることに
なったのだ。わずか十八歳の娘であった。
                        『在日』(29頁)

姜尚中の両親は、日本の強制連行で日本に来たのではない。
姜尚中の両親は、自分の意志で日本に渡ったのだ。
姜尚中は、強制連行の子孫ではない。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1228434220/

左翼イデオロギーに感染していった在日コリアンと沖縄

http://www.youtube.com/watch?v=9NA22FXZDcY

何でも自分に都合のいいように解釈して、フタをあけてみればすべてデタラメ。

今まで散々日本をありもしない歴史を持ち出して散々愚弄していきたくさえに、立場が逆になると全く次元の異なる話を持ち出してごまかそうとする。

これぞ典型的な反日思想に凝り固まった韓国朝鮮人。

日本の税金で飯を食わして貰っている分際で、恩をあだで返す不届き者。

姜 尚中という在日は、在日の中でも特に嫌いな輩だ。

もし韓国と戦争になれば、まっさきに刃を向けるのはこの男だ。

満州で朝鮮半島でこの日本でどれだけひどいことを日本人に行ってきたか。

そんなことを一切棚にあげて日本だけ悪者にして、いざ加害者の立場になると知らんふりをする。

一体どういう根性してるんだろうね。

この在日野郎だけは、必ずどこかで報いを受けさせてやるよ。