朝鮮人は自らの大罪(略奪・暴行・殺戮)から逃れるために日本人を悪者にしてきた



引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
 みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮_人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという
「博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。(中略)
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、「水子の譜」に収録されている。同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。」


この二日市保養所の報告書が残っているようです。

「二日市保養所報告書 六月十日p183 "地域別と加害者"
(一部期間)
不法妊娠(強姦等による妊娠 救療部の用語)ヲ地区別ニ分類スルニ北朝2ニシテ最多、 南鮮14、満州4、北支3ノ順序ニシテ
鮮_人ニ因ルモノ28、ソ連人ニ因ルモノハ8、支那人ニ因ルモノ6人、米人ニ因ルモノ3、台湾人、比島人ニ因ルモノ各1ナリ 」

朝鮮_人による被害者は全体の6割です。


『ある戦後史の序章』 (「石田一郎の手記」西日本図書館コンサルタント協会 所収)
 「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりつ いた。
 そこで見たものは、日本人の娘達がつぎつぎにまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。折角ここまで連れてはきたが、最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不悩に思い、近くの林の中の松の木に経って自決させ、これはその遺髪ですといって私に見せてくれた」

「平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦12」(平成14年 平和祈念事業特別基金発行)
8月15日(終戦日)を境にして、それこそ天地がひっくり返ったようになり、いく先の運命は段々と暗くなっていった… 文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。私たち文坪在住の日本人も、このままでは危ない、何か対策をたてないとということで相談を始めたところに、朝鮮保安隊(朝鮮_人による警備隊)から指示があった。その内容は、「日本人は町中の一ヵ所に集め、集団生活をさせることとなった。2世帯か3世帯が一緒になって同居のような形になる」というような内容だった。態度を豹変させた保安隊員は、指示により他に移り住む人々を、まるで囚人を追い立てるかのように家から追い立てていた。まだ移転する準備もできずに家財道具も整理していないのに、小銃などで追い出していた。私の家も追い立てられて、よその人の家に同居することになった。
ソ連兵や保安隊員の傍若無人ぶりは、相変わらずであった。女性に対する暴行事件も後を絶えず、暴行を受けた人の中には自ら死を選んだ人も多かった… 死者が出ても葬式をだせるはずもない… なんとかしなければと有志の人たちが、保安隊の幹部に申し入れてやっと許可を得た… 深さ1.5メートル、幅2.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに山から風倒木を運んできて薪をつくり、それを土の上に敷き並べて、さらにその上に遺体を数体ずつ置き、石油をかけて四方から火をつけて荼毘(だび)に付した。 家族の者や作業をしていた人だけが手を合わせて野辺の送りをしたが、運命とはいえ、悲しく、かつわびしい有り様でした… 保安隊では、お骨を持って帰ることを許さなかった。噂話で聞くところによると、遺体が灰になった後、金歯などの貴金属を探して持っていったということだった。

第三國人の暴行
「 表題の件に付ては既に一通り書き終えた心算であったが、本日郷土、城東葛飾に赴いたところ、偶々老人達が本件を論じてゐた 中にも地方議員たる七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力有りし故、帰宅早々記憶により再現し、此処に記して御歴々の御参考に資せむとするものである
--- 録取者 北斗星 ---
 終戦後の第三國人どもは本當に酷かった 軍の兵器を盗んで來たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた」

田岡一雄山口組組長の回顧録(「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載)
「一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった・・・(中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲 食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のど ん底に叩き込まれた。こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好 んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを 首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯 を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまる ものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民 だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げ られ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

投稿者 不動明部長 : 2006年06月15日 23:15
私は満州引き揚げ者の孫ですが、朝鮮半島での引き揚げ者に対する朝鮮人の非道を語り継ごうと考えています。
女性に対する拉致・強姦、強盗・殺人その他ありとあらゆる非道を受けて日本人は満州から引き上げてきました。
ロシア人からの被害をマスコミでは目にしますが、朝鮮_人もかなり行っています。
祖父母はロシアに対しては何も言いませんが、朝鮮_人だけは許す事が出来ないと言っています。
http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2006/06/post_72.html


日成直系の李紅光に率いられた朝鮮_人部隊(日本人は新八路と呼んだ)が、「36年の恨み」を口にしながら、暴行、掠奪、処刑と残虐な所業で日本人を震え上がらせていた。(中略)また女だけの留守宅は、朝鮮の新八路軍に襲われ強姦されて自決した女性もいた。
http://www.alphapolis.co.jp/mailmaga/maga_each.php?maga_id=1000060&maga_no=8876&back=1&back_time=1162868460


「マンセイ・マンセイ」  ATSUSHI
ある日の夜8時過ぎにどんどんと戸をたたく音がした。当時戒厳令が出ていて、夜の8時以降は外出禁止になっていた。父が戸の傍に出て、「どなたですか?」と言うと、「保安隊から来た。ちょっと開けてください。」と言うので、父が「保安隊から戒厳令が出ているのに可笑しいですね、用事があるなら明日あさにきて下さい」と言うと今度は「ソ連の特務機関から来た。開けなさい」と厳しい口調になったようである。父がすかさず、「特務機関のあるのは、日本だけだ」と言うと「どうしても開けないか。開けないと撃つぞ」と言う声。父が「ようし、皆入ってきたら、構わないから、鉈でたたき殺せ」と怒鳴った。
 当時捕虜となって行進中に脱走してきた兄の友人を匿っていたのだが、彼は空の五右衛門風呂に蓋をかぶってがたがた震えていたそうである。私と姉は裏庭から隣の家に避難していたが、押し問答の声は静まりかえった夜だけに全部聞いていた。ややあって、ダダン・と銃声が鳴り、父の声も沈黙。一瞬やられたか?と心配したが、朝鮮_人とロシア兵の話し声が聞こえ、立ち去っていった。当時朝鮮人が若い女性の居る日本人の家を教えて稼いでいたようである。

http://ameblo.jp/campanera/entry-10023828615.html



戦争が終わった後もわたしたち一家は平壌に居残っていました。

ある晩の事です。

玄関の音をはげしく叩く音がしました父が出てみると進駐してきたソ連2人を後ろに従えて朝鮮人が立っていました。

「この家には女の子がいるはずだ、連れて来い!」

朝鮮人はいきなり怒鳴りつけました。

「うちにはい女の子はいません。」

父は嘘をつきましたが、とっくに調べはついていました。

「差し出さないなのなら家族全員の安全はないぞ!」

「ゆるしてください。あの子はまだ子どもです。」

父の哀願も、朝鮮人には全く通じませんでした。

「日本人も戦争中子どもたちを犯し尽くしたのだ戦争に負けた今、お前たちが同じ思いをするのだ!」


父はうなだれて、朝鮮人を家に入れると、私を奥の部屋に連れていって、こういいました。

「これからあの人とお布団に入って寝るんだよ。」

「なんで?知らないおじさんと寝るの?」

わたしは嫌で仕方ありませんでしたが、父のつらそうな顔を見て、嫌とは言えませんでした。

「痛い事をされてもじっと我慢するんだよ、すぐにおわるから。」

私は意味が判りませんでした。


わたしはお布団の中で朝鮮人のおじさんに、とても痛くて気持ちの悪いことを色々と繰り返しされました。おじさんはその間中「この日本人め!日本人め!」と言いながら腰を突いてきました。何回か続けるウチに私のお大事の辺りはあまり痛みを感じなくなっていきました。

後はもう、おじさんが体や口の中を嘗め回すのが気味が悪くて早く終わって欲しいと願うだけでした。


翌日、お大事の所から血が止まらず、お医者に連れていかれました。お医者さまは、私の足をいっぱいに開いて、とても痛い麻酔の注射をして、色々と手当てをしてくれました。

父と母に

陰部および肛門に裂傷、直るまでは同じ事はさせないようにと言いました。

(直ったら又同じ事をされる!)

一度だけだと思っていた私は恐ろしさのあまり涙がでました。


参考資料
戦後在日朝鮮人が起した集団暴力事件
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html
参考映像
■永久保存推奨■高倉健 三代目襲名■伝説の神映画■
終戦後の在日の蜂起・在日によるレイプ・・・他盛り沢山の内容
【korean matter】戦後の日本における三国人たちの蛮行 01~12
http://jp.youtube.com/watch?v=Lg-vGIgid04


この記事を目にした在日コリアンよ、どう思う?

あんたら韓国・朝鮮人が日本人に対して行った残虐非道な行為の一部だよ。

差別を訴える前に、まず、自らが犯した罪を考えろよ。

日本人にだけ、謝罪・賠償をさせておきながら、在日だけは謝罪しないなんて許されるか?

散々、恨まれるようなことをしておいて、何が差別だ。

このままでは絶対に許さない。

絶対に償わせてやるよ。


日本人の皆さん、韓国・朝鮮人がいまだに忌み嫌われるのか、この記事をよく読めばわかります。

自分たちが犯してきた罪は絶対に認めない。むしろその罪をごまかすために、日本人を悪者に仕立て上げたのが在日コリアンという外道の集団なんです。

日本人から不当に奪ったその土地で、パチンコ屋や焼き肉屋をやっていることを許せますか?

私は絶対に許せません。

この外道達が罪を認めず、このままのうのうと日本で暮らしていくなんてあり得ません。

このまま在日に日本を良いようにされたままでいいですか?

現在進行形でこの外道に私たちの日本が浸食されて、こうしている今でも、日本人が毎日のようにこの外道の餌食になっているのですよ。

このままなら日本が日本でなくなってしまいます。

日本が朝鮮半島のように外道ばかりの国になっていいのですか?
もう、いい加減声を上げましょうよ。

中にはまっとうな在日もいるでしょう。こうした罪を犯しても償わないでのうのうと暮らしている、それを知っていながら、被害者になりすまして、日本から莫大な金をせしめている在日はどうあっても外道です。

そして、この外道と戦いましょうよ、日本人の皆さん。そして、それをよしとしない善良な在日の皆さんも。