韓日歴史研究委が全体会議、分科別テーマを議論
(聯合ニュース 2008/06/08)    


 韓国と日本の歴史学者らでつくる第2期韓日歴史共同研究委員会は7日、東京都内のホテルで第3回全体会議を開き、各分科別に話し合うテーマについて議論した。委員会は会議後に記者会見を開き、古代史、中近代史、近現代史の時代別の3分科会と教科書問題を話し合う教科書小グループで話し合う具体的なテーマについて、意見が相当な歩み寄りを見せたと明らかにした。

 双方の見解が異なる近現代史の場合「韓日近代国民国家の樹立過程と相互関係」「植民地初期の日本と朝鮮の社会運動」を研究対象に決定したことが分かった


 独島領有権問題に関しては、日本側が議論が相当なだけに今回は研究に含めないのが良いとの考えを明らかにした半面、韓国側は「第2期研究で成果を発表すべき」と反論した
と伝えられた。

 また、教科書問題については日本側が「抑圧と抵抗という見方ではないアプローチで成果が出せる」と主張、これに対し韓国側は「抑圧と抵抗という歴史認識も研究しなければならない」と指摘したことから、今後の議論もたやすくは進まないと予想される。

 次の全体会議は11月29日に韓国で開催される。

 委員会は2001年に日本の歴史教科書歪曲(わいきょく)問題をきっかけに、両国首脳の合意により2002年に発足した。2005年5月まで第1期活動を行い、昨年6月に第2期活動に入った。


歴史研究のテーマを決定 竹島では溝、日韓共同委  (共同通信 2008/06/07)

 日本と韓国の学者でつくる第2期日韓歴史共同研究委員会は7日、都内で全体会議を開き、各分科会と「教科書小グループ」で論議する研究テーマを決めた。ただ、焦点の竹島(韓国名・独島)領有権問題などの扱いで日韓の立場は明確に分かれ、議論の集約作業は難航が予想される。

 研究テーマは「古代史」「中近世史」「近現代史」の各分科会と「教科書小グループ」ごとに設定。対立点が多い近現代史では「日韓近代国民国家の樹立過程と相互関係」や「植民地期の日本と朝鮮の社会変動」を研究対象に決めた。

 会議後の記者会見で、日本側委員は竹島問題について「議論は沸騰しており、今回は研究を想定していない」と述べたのに対し、韓国側委員は「第2期で研究成果を発表したい」と明言した

 また教科書問題に関し日本側が「抑圧と抵抗という見方ではないアプローチで成果が出せる」と指摘。韓国側は「抑圧と抵抗からの歴史認識も研究しないわけにはいかない」と不快感を示した



日韓歴史共同研究委員会 第2期メンバー ↓

日本側 韓国側
委 員 長 鳥海 靖 東京大学名誉教授 趙  高麗大学校
文科大学韓国史学科 教授

第1分科会
(古代)
坂上 康俊 九州大学大学院
人文科学研究院 教授
金 泰 植 弘益大学校
師範大学歴史教育科 教授
濱田 耕策 九州大学大学院
人文科学研究院 教授
盧 泰 敦 ソウル大学校
国史学科 教授
森 公章 東洋大学
文学部 教授
趙 法 鍾 又石大学校
師範大学社会教育科(歴史) 教授
第2分科会
(中近世)
桑野 栄治 久留米大学
文学部 准教授
孫 承  江原大学校
人文大学史学科 教授
佐伯 弘次 九州大学大学院
人文科学研究院 教授
李 啓 煌 仁荷大学校
文科大学東洋語文学部
日語日文学専攻 教授
須川 英徳 横浜国立大学
教育人間科学部 教授
韓 明 基 明知大学校
人文大学史学科 助教授
第3分科会
(近現代)
有馬 學 九州大学大学院
比較社会文化研究院 教授
朱 鎭 五 祥明大学校
人文社会科学大学社会科学部
歴史コンテンツ専攻 教授
大西 裕 神戸大学大学院
法学研究科 教授
柳 承 烈 江原大学校
師範大学歴史教育科 副教授
原田 環 県立広島大学
人間文化学部 教授
河 棕 文 韓神大学校
社会科学大学日本地域学科 教授
横田 伸子 山口大学大学院
東アジア研究科 教授
李 碩 祐 仁荷大学校
法科大学法学部 助教授
教科書
小グループ
木村 幹 神戸大学大学院
国際協力研究科 教授
李 讚 熙 韓国教育開発院
首席研究委員
重村 智計 早稲田大学
国際教養学術院 教授
鄭 在 貞 ソウル市立大学校
人文大学 教授
永島 広紀 佐賀大学
文化教育学部 准教授
金 度 亨 延世大学校
文科大学人文学部史学専攻 教授
古田 博司 筑波大学大学院
人文社会科学研究科 教授
鄭 鎭 星 ソウル大学校
社会科学大学社会学科 教授
山内 昌之 東京大学大学院
総合文化研究科 教授
玄 明  京畿高校
教師
山室 建 帝京大学
理工学部 准教授
辛 珠 柏 国民大学校
韓国学研究所 研究教授



第1期の韓国側委員の一人は、最後にこんな↓感想を述べてますね。

第6回 日韓合同全体会議 (2005/03/26 東京)

第3分科 研究活動の回顧と展望
(略)
李萬列(イ・マニョル)委員 国史編纂委員会

(略)最後に、韓日歴史共同研究委員会を終えるにあたって、日本側の学者の皆様にお願いがある。韓日歴史共同研究委員会で扱ったテーマは、韓日関係史というより主に日本が関与した韓国史が重要なテーマであった。私は、日本人学者の方々が韓国史を研究すること自体に対し、非常にうれしく、また感謝するものである。しかし、韓国史研究が韓国に対する温かい愛情を前提としなければならないことを強調したい。もし愛情がなければ、研究は、その歴史から欠点をみつけるために顕微鏡や望遠鏡を覗き込む作業となんら変わりがないであろう。

かつて、韓国史研究者はまず韓国に対する愛情を持たなくてはならない、と主張したのは旗田巍先生であった。旗田教授が力説したくらいの愛情があればこそ韓国史が正しく見えるようになるのであろう。共同研究に臨んだ日本人学者の中には韓国に対する愛情をもって研究を行った方がなくはないと考えるが、この共同研究を終えるにあたり、あらためてしっかりと考えずにはいられない。愛情をもって韓国史を研究するなら、過去に御用的な植民史観論者が取った韓国史認識を繰り返すことはないであろう

私は敢えて日本の学者の皆様に対して、日本史を愛し重要と考える、その1%だけでも韓国史を愛し大切に考える心をもって韓国史研究に臨まれることをお願いしたい。そこから本当の意味の韓日歴史共同研究が始まり、我々の子孫の代までも、両国の平和と繁栄のための未来志向的な歴史を共有することができるものと確信する。

日韓歴史共同研究委員会 第1期(2002-2005年) 報告書(pdf)  より一部抜粋




↑のような考えで“研究”に参加している委員がいるから、有名な名言↓が出たんですねw


「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
櫻井よしこ(ジャーナリスト)/関川夏央(作家)/古田博司(筑波大学大学院教授)

 金両基さんと対談したのは97年でしたが、当時、「従軍慰安婦」問題が論じられるなかで、私は「そもそも『従軍慰安婦』という言葉そのものが、当時の文書のどこにも出てこないおかしな言い方ではないか。それに、必ずしも強制連行されたわけではない」と言って、各方面からすごくバッシングをされたんですね。そのとき、最も反日的な人と意見を言い合ったらどうか、という企画をいただき、すぐに思い浮かべたのが金両基さんだった(笑)。

 実際に議論してみると、金さんは物凄く激昂するんですね。ときどき灰皿が飛んでくるかと思ったくらい。対照的に休憩時間になると、非常ににこやかになる方でもありました。私が、心したことは冷静に話すことでしたが、いま読み返してみると、もっと激しく言い返せば良かったな、と。

 読んでいると、金さんはご自分にあまり知識がないテーマ、たとえば、19世紀末ロシアの膨張圧力、日露戦争の原因や評価などのくだりがことにそうですけれど、ことさら激越な口調になられるみたいです。 

 「日中韓『靖国参拝』大論争」(文芸春秋2005年8月号)のときにも感じたのですが、韓国の人たちは都合の悪いところ、自分にとって弱いところを突かれると答えようとしない。そして、まったく別のところに話題をポンと変えて、また怒りだす 

 そうして、自分で自分を徐々に激昂させながら、涙と汗の反日に話を運んでいく傾向がありますけれど、いまだそういうテクニックは有効なのでしょうか。

  以前、呉善花さんと話していたら、「櫻井さん、あなたの話し方では絶対ダメよ」と言われました。「とにかく相手より大きな声と尊大な態度、相手より大げさな形容詞と身振り手振りで非難しないと、韓国では論争に勝てない」と(笑)。

 もうひとつ付け加えると、相手の話は聞いてはいけない。一方的に自分の言いたいことだけしゃべりまくる。

 韓国語に「声討」という言葉があるんですよ。声で討つ。

 やはり怒鳴ることが効果的ですか。

 いやいや、櫻井さんは声が小さければ小さいほどみんなが耳を傾けるんですよ。私のように気の弱い者が怒鳴るしかない(笑)。ただ、先方が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないということは認識しておかないといけない

 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。当事者なのであまい詳しくはお話できないのですが、たとえば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。

 「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。

 さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです

 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望と言うか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから

(中略)

 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる

 それは、韓国の大学の歴史研究者ですか。

 イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。

 要するに、「自分(韓国人)が絶対に正しい」というところからすべてが始まる。しかし、実はこの「自分が正しい」という命題は実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想に他なりません。その本質は何かといえば、「自己絶対主義」にほかならない。したがって、何をやろうと、彼らの「正義」は揺らがないのです。

 「自分が世界の中心にあり、最も道徳的に優れている」とするのが、中華思想です。韓国、北朝鮮、中国、それぞれ独自の中華思想を持っている。そして、この「自己絶対主義」の論理をたどっていくと、彼らの社会構造の根幹をなす「宗族」に行き着く。「宗族」というのは、文献上で遡れる自分の先祖に連なる一族のことで、要するに「血族」です。彼らの言う「道徳」とは、この宗族の中だけの道徳であり、正義ですから、宗族以外の人間には何をしても構わない。他の宗族と墓争いをすると、相手の墓を暴き、遺骨から何から全て焼き尽くして、その上に自分の一族の墓を平気で建てる。こうした例が、李朝時代の記録には非常に克明に記されています。

 靖国参拝に関する論議のおおもとにも、そうした他者に対する倫理観の違いがありますね。

 まさにそうです。自分の祖霊だけが大事で、相手の霊魂などまったく考慮しない。いわんや他国の神社の霊においてをや、です。儒教もまた、この宗族の論理と支えあう論理なのです。(略)
(文藝春秋 『諸君!』 2006年4月号より一部抜粋)



もしかして、李萬列氏だったりしてw


第2期ではどんな名言がでるんですかね。

http://specificasia.seesaa.net/article/99937909.html#more


朝鮮人というのは決して自分の都合の悪いことは認めない。

事実を突きつけられても関係ない。

朝鮮人にとってあるべき歴史というものがあって、たとえファンタジーであっても構わない。

実より虚を取りたがる朝鮮人と話合いをしても無駄だと思うが、相手にしないと何をしでかすのか分からない。まったく厄介な連中だ。

よく友好と言うことを言うが、仲良くすればするほど損をするような相手とは全く意味が無いことだ。

日韓友好の美名のもとにどれほどの援助をさせられてきたか。

その見返りが反日教育であり、更なる謝罪と賠償だ。世界中で日本の悪口を吹き込んで回っている。


日本人は人が良いし、情に脆いから、朝鮮人と話をしているうちに彼らに取り込まれてしまう者も出てくる。

日韓の歴史を研究している日本の歴史家を見ているとそんな人間が何人もいる。

まさにミイラ取りがミイラになるのだ。


歴史を振り返れば日本が朝鮮と関われば関わるほど不幸になっていく。

歴史を鏡にし、日本は今こそ朝鮮半島と縁を切ることだ。

それがお互いのためでもある。