欧米人が見た江戸時代日本の世界一の識字率

イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファント『エルギン卿遣日使節録』(岡田章雄訳・新異国叢書9・雄松堂書店、1968年)は、
「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」(p.162)と、当時子どもたちがみな勉強しているので驚いたことが記されています。


ロシア海軍軍人ゴロウニン『日本幽囚記』(井上満訳、岩波文庫、1946年)は、
「日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」(p.31)、「しかしこれらの学者は国民を作るものではない。だから国民全体を採るならば、日本人はヨーロッパの下層階級よりも物事に関しすぐれた理解をもってゐるのである」(p.225)と、非常に高い評価が記されています。


アメリカ人のラナルド・マクドナルド『マクドナルド「日本回想記」-インディアンの見た幕末の日本-』(村上直次郎編・富田虎男訳訂、刀水書房、1981年)には、
「日本人のすべての人-最上層から最下層まであらゆる階級の男、女、子供-は、紙と筆と墨を携帯しているか、肌身離さずもっている。すべての人が読み書きの教育をうけている。また、下級階級の人びとさえも書く習慣があり、手紙による意思伝達は、わが国におけるよりも広くおこなわれている」(p.124)と、文書社会の到達点が記されています。


黒船で有名なペリーの『ぺルリ提督日本遠征記』(土屋秀雄・玉城肇訳、岩波文庫、1955年)は、
本が安く大量に売られていることを驚き、「教育は同帝国至る所に普及して居り」(p.140)と、教育の普及ぶりを評価しています。


プロイセンの画家ハイネ『ハイネ世界就航日本への旅』(中井晶夫訳、新異国叢書第Ⅱ期2、雄松堂書店、1983年)は、
子どもたちがしっかりと男女ともに小学校に入って勉強し、読み書きと祖国の歴史を教わっていると書いています。


スイスの全権主任アンベール『アンベール幕末日本図絵』上巻(高橋邦太郎訳、新異国叢書14、雄松堂書店、1969年)は、
「成年に達した男女とも、読み書き、数の勘定ができる」(p.88)と、驚いています。


イギリスの初代駐日公使オールコック『大君の都』(山口光朔訳、岩波文庫、1962年)は、
「日本では教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくゆきわたっている」と述べています。


遺跡発掘で有名なドイツのシュリーマン『日本中国旅行記』(藤川徹訳、新異国叢書第Ⅱ輯6、雄松堂書店、1982年)は、
旅行で来日したさい、「日本には、少なくとも日本文字と中国文字で構成されている自国語を読み書きできない男女はいない」(p.114)と記しています。


彼等外国人の感想は一部誇張的表現もみられますが、全体を通して当時の日本の教育が発達していたことが記されています。当時の先進国から来た人々は、野蛮な日本と思って来て驚いたのだと思いますが、その驚きを素直に書いているわけです。

江戸後期から幕末期、日本の教育は来日外国人を驚かすのに十分の水準であったといえます。

18世紀の識字率はロンドンが20%程度パリが10%未満江戸が70%以上と言われています。
こんなところも日本がアジアでも近代化出来た希少な国である理由がありますね。


欧米人が見た江戸時代日本の世界一の識字率

イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファント『エルギン卿遣日使節録』(岡田章雄訳・新異国叢書9・雄松堂書店、1968年)は、
「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」(p.162)と、当時子どもたちがみな勉強しているので驚いたことが記されています。


ロシア海軍軍人ゴロウニン『日本幽囚記』(井上満訳、岩波文庫、1946年)は、
「日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」(p.31)、「しかしこれらの学者は国民を作るものではない。だから国民全体を採るならば、日本人はヨーロッパの下層階級よりも物事に関しすぐれた理解をもってゐるのである」(p.225)と、非常に高い評価が記されています。


アメリカ人のラナルド・マクドナルド『マクドナルド「日本回想記」-インディアンの見た幕末の日本-』(村上直次郎編・富田虎男訳訂、刀水書房、1981年)には、
「日本人のすべての人-最上層から最下層まであらゆる階級の男、女、子供-は、紙と筆と墨を携帯しているか、肌身離さずもっている。すべての人が読み書きの教育をうけている。また、下級階級の人びとさえも書く習慣があり、手紙による意思伝達は、わが国におけるよりも広くおこなわれている」(p.124)と、文書社会の到達点が記されています。


黒船で有名なペリーの『ぺルリ提督日本遠征記』(土屋秀雄・玉城肇訳、岩波文庫、1955年)は、
本が安く大量に売られていることを驚き、「教育は同帝国至る所に普及して居り」(p.140)と、教育の普及ぶりを評価しています。


プロイセンの画家ハイネ『ハイネ世界就航日本への旅』(中井晶夫訳、新異国叢書第Ⅱ期2、雄松堂書店、1983年)は、
子どもたちがしっかりと男女ともに小学校に入って勉強し、読み書きと祖国の歴史を教わっていると書いています。


スイスの全権主任アンベール『アンベール幕末日本図絵』上巻(高橋邦太郎訳、新異国叢書14、雄松堂書店、1969年)は、
「成年に達した男女とも、読み書き、数の勘定ができる」(p.88)と、驚いています。


イギリスの初代駐日公使オールコック『大君の都』(山口光朔訳、岩波文庫、1962年)は、
「日本では教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくゆきわたっている」と述べています。


遺跡発掘で有名なドイツのシュリーマン『日本中国旅行記』(藤川徹訳、新異国叢書第Ⅱ輯6、雄松堂書店、1982年)は、
旅行で来日したさい、「日本には、少なくとも日本文字と中国文字で構成されている自国語を読み書きできない男女はいない」(p.114)と記しています。


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