2007年4月28日、病気の息子に人肉スープを食べさせたとして起訴された夫婦とその妹に、裁判所の判決が下ったとの報道があった。中国全土を震撼させたこの猟奇事件は、取調べの段階から驚愕の事実が明らかになったのである。
2007年4月28日の報道で、昨年中国全土を震撼させた猟奇事件の判決が4月24日に下っていたことが判明した。

2006年12月11日夜、四川省獅山県油搾村に住むA(女)は、「死んだばかりの赤ん坊の肉を食べると、どんな病気も治る。」と昔聞いたことがあるのを突然思い出した。Aの姉B夫婦の一人息子(9歳)は脳腫瘍を患っており、手の施しようがないと医者から宣告されていたのである。

その日となりの家で生まれた男の赤ん坊がすぐに死亡。埋葬を手伝ったAは姉夫婦に電話し、こんなチャンスは二度とないと説得。3人で墓地に向かい、赤ん坊の死体を掘り起こし、頭部を切断して胴体部分を持って帰った。次の日午前中から人肉スープ作りにとりかかったBは、息子に「チキンスープ」と偽って飲ませたという。

墓地で嬰児の頭が発見されて以来、殺人事件として捜査していた現地警察は、目撃者の証言からAおよびB夫妻を逮捕。取調べの段階で驚愕の動機が判明した。

四川省南海法院はこの日、3人を死体損壊の罪で懲役6か月を言い渡した。(翻訳/編集本郷智子)

Record China
http://www.recordchina.co.jp/group/g7620.html

中国語の喫人(チーレン)とは、単に人を食すという言葉ではなく、人を味わって喰うという意味です。
唐の時代になると、食人は常態化します。
司馬光は「資治通鑑」に書いています。
盗賊は街角や暗闇に隠れて人を捕らえ、人肉市場に売り渡してその利を得る。
日が暮れる前に、街という街には通行人の姿は見られなくなった。
さらに食用人間の飼育や兵糧としての「乾屍」「塩屍」も登場し、市場では公然と人肉市場が開かれるようになります。
「資治通鑑」の「唐紀」によると、狗肉は一斤五百銭でしたが、人肉の方が安く百銭でした。
唐の時代に食人が常態化した理由は、人の内臓が病気治療の薬として使用されるようになり、時の政府が医学と「忠孝仁義」という伝統の思想を融合して、食人を奨励したといわれています。
また政敵を殺し、その肉を食べるという事はそれこそ枚挙に暇がないくらい出てくるし、有名な三国志や水滸伝にも食人の記述はあります。
辛亥革命の志士、徐錫麟と秋瑾は革命に失敗して殺され、その肉は政府から払い下げられたといいます。

文革の時は、「階級の敵を喰おう」と階級の敵として殺害した人の太ももを吊るした食堂もありました。

また、現代においても、殺人の証拠を残さないために、食べてしまうという事例もありますよ(流通もしてるかもよ)。