シャルル・ダレ

フランス人宣教師 「朝鮮事情」より抜粋


1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。