私にとっての“フランス6人組の父”詩人の藤冨保男先生 vol.1 | 古事記かたりべ ピアニスト 神武夏子 オフィシャルブログ

古事記かたりべ ピアニスト 神武夏子 オフィシャルブログ

フランス6人組を奏でるピアニストで、古事記を奏でる唯一のかたりべピアニストです。かたりべピアニスト神武夏子の作品情報やコンサート情報を当ブログにて配信中!コロナ禍で演奏活動を休止していましたが2023年5月より演奏活動を再開します。

私にとっての“フランス6人組の父”詩人の藤冨保男先生 vol.1

「神武夏子ピアノリサイタル サティとフランス6人組 豊かな諧謔」という、私のリサイタルのタイトルに付いている「豊かな諧謔」という言葉。この言葉を私に贈ってくださった詩人の藤冨保男先生の『藤富保男詩集全景』(沖積舎)が出版されました。

藤富先生、おめでとうございます!

先生と私は、先生の詩の朗読と私のピアノを合わせた「詩を奏でる」という公演を各地で行っていますが、先生との出会いから、サティとフランス6人組とのかかわり、今後のコラボレーションの予定まで、先生のお話とともにご紹介したいと思います。

東京外国語大学でモンゴル語を専攻し、他にもロシア語、中国語、英語、フランス語にご堪能な藤冨先生は、語学とサッカーに熱中する学生時代から私淑していた詩人の北園克衛さんの影響で、詩の世界へ。
コクトーやサティも翻訳している先生と、フランス6人組をバックアップしたコクトー、フランス6人組の兄貴的存在であるサティとの出会いはどんなだったのでしょうか?

藤富 戦時中だった16歳頃、もともと本は大好きだったけれど、美術雑誌の評論を読むのが好きで、古本屋で見つけた『アトリエ』という雑誌に「超現実主義の紹介」という文章を北園さんが書いていたんです。それが、読んでも全然わからない。でも、若い時は、わからないってことには異常な興味を持つんだな。それで、北園さんの家へ会いに行くようになりました。

そのうちに、僕の書いたものを読んでもらうようになるのですが、「もうやめろよ」と。また懲りずに行くと、「まだ書いてんのか、やめろ」と言われてね(笑)。普通ならやめるんでしょうけど、僕は逆にそれがおもしろいと思ったの。

神武 わかる。私も安川加寿子先生のレッスンで、「だめ。違う」って一言だけ(笑)。私はそれで引き下がりましたけど、ピアノはやめてないですね。

藤富 「やめろ」って言いながらも、しばらくしたら「おい、原稿貸せ」って、僕の初めての原稿料になる仕事を紹介してくれて、いつの間にか僕の作品をアメリカに紹介してくれたりもしました。
僕が英文で書いたものをどこかに送りたいと言ったら、「エズラ・パウンドに送れ」と。僕はパウンドなんて知らないから、「先生、他には?」って聞いたら、「あとはジャン・コクトーかな」。

コクトーからは返事が来なかったけれど、パウンドは当時、戦時中に間違ってファシズムのほうに行ってたために、ワシントンの精神病院に入れられていて、そこに送ったの。パウンドのところへは、アメリカの詩人がみんなお参りに来るから、当然お弟子さんも来るんだけど、その一人がレック。レックはハーハードの
学生だけれど、陸軍の伍長で日本に来た時、僕の家を訪ねて来たんです。

「藤富さん、エズラ・パウンドが日本に行ったら、あなたに会えと言ってます」

僕はびっくり仰天しました。びっくりを通り越して、こういうことがこの世にあるのかと思いましたね。それで、レックと親しくなって、私が当時、読んでいたカミングスの詩について彼に聞いたり、私がパウンドを翻訳したりするようになったんです。

神武 すごい! パウンドに認められたんですね。

藤富 コクトーから返事は来なかったんですが、コクトーは堀口大学の訳で読みました。当時はフランス語は読めませんでしたから。コクトーのものは、ほとんど本屋さんで買って読みましたね。
サティを知ったのは、コクトーよりもうちょっと後でした。

この後、「豊かな諧謔」については、次回のvol.2に続きます。




神武夏子(こうたけ なつこ)ホームページはこちら

http://www.geocities.jp/le_groupe_des_six/index.html