男46歳のダイエット!!!

男46歳のダイエット!!!

自分がデブだと気が付き、血と汗と涙のダイエット日記

大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)をご存じか?

我々に親しみやすい呼び方だと、仁徳天皇である。

ご在位期間は349年〜427年頃だと言われているが、岸田文雄や財務省に爪の垢を煎じて飲ませたいが、仁徳天皇といえば、やはり民の窯である。

民の生活が苦しいのをみて、向こう3年間無税とされた。

3年間経ち、待ちの民の竈から煙が立ち上るのを見て、近習衆が「そろそろ税を取らねば、御所がボロボロです」と言ったが、天皇は「もう三年間無税とする。民の生活の余裕が出来ねばならない」との仰せであった・・・

その間にも、御所の屋根はボロボロで雨漏りをするようになり、床板も所々朽ちていたというが、それを知った民は、自ら御所の修復を買って出たという・・・

 

さて、この時代の日本は、世界一裕福な国であったという。

食べ物に不自由することなく、皆が互いを支え合いながら幸福に生活をしていた。

そして、三国志の"呉"が、日本に朝貢に来たという。

更にインド、ペルシア付近からも日本と交易を求めて使者がやって来ていたというのだ。

 

しかし、裕福な国は絶えず狙われているのである。

各国の使節団に潜り込んでくる悪輩が多かったという・・・

身分の高い使節団や商人は、自国へ戻っていったが、素行の悪い奴らは不法滞在をしたという・・・

 

日本人同士は殺人や強盗などという犯罪は無かったという。

だって、衣食住が揃っているのだから、犯罪を行う意味がないでしょう?

しかし、不良外国人によって殺人や強盗が怒るようになったという・・・

 

あれあれ?何処かで訊いた話でないの?

これ、どう見ても日本人の仕業じゃないようね?

こういった犯罪が、1600年前にも起こっていたのである。

 

仁徳天皇の御代は、国民が裕福で安定、安心して生活が出来た時代であったが、同時に世界中の人々から羨望の眼差しであり、一部の悪い人間共(彼らの生まれた国が酷かったからかもしれない)にしてみれば、「飢えを知らない国がある」としてやって来たが、言葉や風俗習慣の壁の現実に悪の道へ走ったのかもしれないが、日本人にしてみれば「そんなこと知ったことか!!!」と正に、現代人の我々と同じ思いだったと思う。

 

その後、一七代:履中天皇、一八代:反正天皇、一九代:允恭天皇(いんぎょう)、二〇代:安康天皇と続くのであるが、これが犯罪が蔓延り日本社会が混沌化する中で、朝廷や貴族も崩壊し始めていたのである。

履中天皇の御代は、朝廷内でも傍若無人に振る舞うやからが多発したというのだ。

そこで天皇は弟の瑞歯別皇子(みつはわけ)に命じて、誅殺させた。

ここで履中天皇は、色々嫌なことをさせたという気持ちから、弟に初めて皇位を継承させ、誕生したのが反正天皇であった。

しかし、反正天皇は国賊の皇后を娶ることなく、まあご自身の見込み皇位を譲らずに弟の雄朝津間稚子宿禰尊に皇位が継承された。

 

この頃になると、外国人共が日本人より威張り出す事が起こっているという。

今の日本と同じである。

何で日本人の税金で貧乏外国人に生活保護費を出してまで養しなわねばならいの???である。

 

允恭天皇は、皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)を大変愛して御座したが、皇后の妹の衣通姫(そとおりひめ)に心を奪われてしまった。

名の通り、美しさが衣を通り抜けて光り輝いている程の美人であったという。

姉妹両方を愛してしまったのである。

 

神々は、人間の行いで一番嫌うのは性の乱れであるという。

乱交などもっての外であり、天道に反している行為である。

当然、この時代、性風俗も乱れ始めていたことは理解できるでしょう?

世界中から外国人がやって来ては犯罪を行いそれが蔓延すれば性風俗も乱れるでしょう?

現代と同じである。

允恭天皇の立太子した皇子に木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)が御座した。

彼が愛した女性は軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)であったが、なんと、同母の兄妹であったのである!!!!

 

明治以前までは、異父・異母である兄妹・姉弟婚は合法であった。

例えば、強大な豪族の息子が、妾の娘を異母兄妹を愛して子供を作っても問題なかった。

だって、脇腹の子なら本宅に住んでいなかったし、会うのも年数回ぐらいだから、現代の異母兄妹とは訳が違うのであるが、流石に同母はTabooであった。

結果、木梨軽皇子は廃太子となり、伊予国へ流され軽大娘皇女も同じく流され、二人ともで自害して果てたという伝説がある。

允恭天皇の後を継いだのが、安康天皇であるが、木梨軽皇子の弟であった。

 

この頃の宮中の役人の中には、外国使節団の高官のお付きだったり、高官も日本に残ると言ったことがあっというが、此奴らが今で言う反日をおこなったり、敵を利する政策をしたりともう滅茶苦茶であったという。

私利私欲のためならば、人を殺してでも良いという風潮が出てきていた。

 

安康天皇は、大草香皇子が自分の暗殺を企んでいるという讒言を信じて、大草香皇子を誅殺してしまったのであるが、その妃中磯皇女(なかしのひめみこ)が美しかったために、自分の后としたのだが、問題は、大草香皇子と中磯皇女との間の皇子眉輪王(まよわのおおきみ)が真実を知ったら親の敵を取るかもしれないことであったが、この心配は現実のもとなった。

天皇が殺害される時代、もはや社会はぐちゃぐちゃであると言える。

 

そして今日の話の主人公である大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)は、眉輪王と裏で操っていたであろう円大臣を大臣の屋敷毎焼き払ったのである。

そして、即位されて雄略天皇となられた。

雄略天皇の別名は大悪天皇と呼ばれたのだ。

彼は、不正を行う皇族、貴族等を片っ端から殺していったのだ!!!

犯罪者は容赦なく死罪としたのであった・・・

兎に角、日本中から畏れられた天皇であったのだが、晩年病に倒れられ、その御最期の時に自らの寝所に、御皇続、朝廷の高官を集めて自らの話をされた。

「朕が少しでも悪い評判の輩を殺したのは、全て百姓(大御宝)の為であった。民衆の安全安心のために我々が存在している。このことを理解しない豪族を殺したし、犯罪を犯している奴らも全て殺した。これも全て百姓の為であった。

朕が大悪天皇と呼ばれ、犯罪者を皆殺しにしたことによって、国内で悪事を働く輩はいなくなった。

これから国内が平和であるように祈る。

大悪天皇たる自分が全ての悪行を被るから、後はお前達よろしく頼む」と言い残した。

詳しくは日本書紀を読んでください!!!

 

現在、30年間経済成長が止まり、日本人の富を海外へバラマキ、不良外国人が国内に溢れ、善良な日本人が損をしている。

外国人共は、日本の世界一であるシステムの国民健康保険制度や生活保護制度を悪用している。

病気療養で日本にやって来て、医療費を払うどころか、生活保護制度を悪用して高額医療すら無料にしようと企んでいる。

我々の兄弟である日本人が、本当に困っているのならこれは皆で助けなければならいが、まったく無関係な支那人、半島人、東南アジア、アフリカ諸国の奴らが、なんで我々の互助制度を利用しようとするのか?

 

今この国に必要なことは、私は大政奉還に継ぐ新政府である幕府(政府でも良いのだがややこしいので)を作ることだと思う。

官僚制度が腐り、末期状態であるので、改革ではダメで壊して建設しかないと思う。

新幕府が出来れば、マンチャンス旧政府時代の悪人を粛正の名の元に処刑できるのである。

証拠も裁判もなく、幕府の御威光で悪を断罪できるのだ。

 

雄略天皇が成された粛清の嵐であるが、誰かが"大悪"の汚名を着てでも国民の為に正義を行う必要があると思う。

 

このまま、自民党で良いのですか?

日本人が貧乏で、毎日人生を諦め何百人も自ら命を絶っているこの社会が正義ですか?

日本人が本来手にするべきであった富を、海外へバラマキ続ける政府が正義ですか?

国会銀共は自らは裏金を造り、脱税をしても検察・警察が動かない社会は正常ですか?

 

いい加減にしろ!!!という意志が、倒政ではないのですか?

 

自民党が平成9年に間違った方向へ財政政策を切ったせいで、日本は貧乏になり、そのまま30年間、世界最低の経済成長率である。

これって、内乱国家レベルなのである。

本来ならば、サラリーマン平均年収は1500万円を超えているというし、年金も一人平均1,000円万超えだったという・・・

この金を自民党は海外へばら撒いたのである・・・

 

このままで良いのですか?

皆さん、日本書紀を読んで考えてください。

NHKの大河ドラマでも良いから、戦国時代のものを観てみて!!!

戦国時代の日本人も、江戸時代という平和な時代が来ることなど知らなかったのですよ!!!

歴史は繋がっている。

我々は書物で当時のことを知ることが出来る。

では、想像して!!!

我々の100年後、500年後の子孫が令和という時代を観たとき、どう思うのか?

自慢できる時代ですか?

出来ないのならば、先ずは政治に興味を持つことから始めませんか?

もう奪われるだけでなく、選挙に行って繁栄できる世の中を目指し、それでダメなら倒政そして、新幕府でしょう?

歴史は繰り返すのである!!!

 

だから、歴史を知る必要があるのだ!!!

温故知新なのである。