12月、母は6月からフォルフィリ+ベクティビックス療法を3週間に1回休まず投与続けていました。



12月上旬、母は部分入れ歯の調子が悪く、歯の治療をする事になりました。母は1度、抗がん剤投与前日に虫歯を抜き、エルプラット投与中にアレルギー出てしまった事がありました。医者は歯の治療と抗がん剤のアレルギーは関係ないと言っていましたが、母は抗がん剤治療中の歯の治療は避けていました。




ですが、歯の調子が悪く食事もちゃんと食べれないと母が言うので、主治医に相談しました。




主治医は、抗がん剤治療中でも関係ないと言い、歯科に伝えておきますから いつでも行ってくださいと言われ、母は福岡徳州会病院内にある歯科で治療していました。




病院内の歯科は正直腕がないので、他の歯科に治療してもらいたかったのですが、抗がん剤投与していると普通の歯科医は対応してくれませんでした。



 
主治医は、本当に歯が悪くて食事が取れないですか?歯でないなら、もう相当がんが進行していると言われました。6月から効いてない抗がん剤をしているのに、良くなっていくはずがありません。




もうこの頃、母の体調は本当に良くなくて、日課である、洗濯や掃除などは2~3日に1回程はしていましたが、毎日歩いてスーパーに買い物に行っていた母が、もう一人外に出ることもなくなっていました。




12月中旬、母は抗がん剤で入院前、おばさんもうそんなに長くないぞ、自分の身体やけん良く分かる、入院長くなるかもしれんと母は言いました。





本当にキツそうで、少し元気だった時は、冗談など言って笑わせてくれていた母ですが、この時はもう、笑顔すらなくなってきていました。




そして入院当日、母を病院に送り仕事へ行きました。3時間後母からの電話、普段母は自分から電話をかけてこないので、何かあったのだとすぐに分かりました。



電話に出ると、母は炎症の数値が上がっていて、抗がん剤は無理になり、炎症治す為に入院なったと母は言い、先生から息子さんと話たいと言われたと母は言いました。




電話を切ったあと、私の気持ちは最悪でした。もう主治医に会うのも嫌でした。最悪の結果を言われるだけだからです。




そして、母の入院当日、仕事が終わり母の面会に行きました。母は大部屋に居ました。いつもならカーテンを開けている母ですが、カーテンが閉まっていてあけるとぐったりした母が居ました。



話をすると、母は先生の顔見よったら、もう相当悪いみたいよと母は言いました。話題を変えて話をしたりしていましたが、母は表現も変えずただベッドに横たわっていました。



それから、3日後に主治医と話をする事になりました。



6月の時は、母も一緒に話をしましたが、今回は兄と私だけで話をしました。



主治医は、お母さんの事ですが、もう正直相当悪い状態です。胆管炎を発症していて、今抗生物質による治療をしていますが、炎症は下がるどころか上がっている状態です。熱も38℃から37℃いったりきたりしている状態で、 サチレーション、血中酸素も80%台 息子さんが気にされていた 間質性肺炎に関しては問題ありませんでした。ですが、レントゲンで肺を撮影で両肺に白い影がありました。お母さんには、肺に転移している事は伝えきれないと主治医は言いました。




主治医は、お母さん本当に長くて1ヶ月くらいだと思います。抗がん剤をやれたとしても3ヶ月とかはもう考えられないと言い、主治医はホスピスを考えてあげた方が良いと言いました。ホスピスに入るのにも1ヶ月以上かかる場合もあり手遅れになる可能性もあるので、今からでも相談した方が良いと言われました。




私は、母が入院中いつも面会に行き話をしていて、母はいつも早く家に帰りたいと言い、どうせ死ぬなら家で死にたいと母は言っていました。なので、ホスピスに入院させる事は考えていませんでした。



とにかく、母は早く退院したいと言っている事を主治医に伝えました。ですが、主治医は、今の状態では、正月に入っても退院は無理だと言い、正直いつ心臓が止まってもおかしくないと言われました。



なので、私は仕事を辞めてこれから毎日母を看ていく事を伝え、訪問医師に来て頂いて、抗がん剤が出来るまで頑張りますと伝え、主治医も訪問医師が決まれば考えますと言われました。



そして、抗がん剤が出来るまで回復したら、私はエルプラットを投与してほしいと主治医にお願いしました。ですが、主治医は6月に言われた事を何度も言います。私が何度もエルプラットは耐性がついたから、投与中止になったことを詳しく説明しました。すると、主治医は、わかりました。ですが、効果は無いと思ってくださいと言いました。私は、何それ?と思いました。6月にあれだけ言ったのに、あの時投与していたら状況も変わっていたんじゃないかと思いました。



話も終わり、病院側がすぐに訪問医師を探してくれて、訪問医師と病院が連携してくれるということで、話もスムーズに進みました。



母には、言い方向に進んでいると言い、抗がん剤も変更して、良くなっていくと私は母に言いました。




そして大晦日、母は医師から退院は無理だと言われて止められていましたが、 母は反対を押し切り同意書にサインをして、何かあれば救急車で来てくださいと母は言われていました。



母は、良い状態ではありませんでしたが、正月を無事に迎えることができました。