3月30日(土)と31日(日)の2日間桜百選の雲南市桜まつりに合わせて、例年通C56108の公開展示を行いました。両日は突然気温も上がり次々と桜が咲き出し、特に汽笛を鳴らす事をめがけて多くの子供たちも集まってきました。あるお父さんは「息子が一週間前から蒸気機関車の汽笛を鳴らしたいとせがまれてたので来ました。」と広島県から来られた方など両日で約360名の人たちが集まりました。

 

 

 

 

 毎回の事ながらJROBの保存会会員から運転席(キャブ)に登ってC56108の木次線での歴史や機関車の構造などの説明があり、最後にお待ちかねのホイッスルを鳴らして、普段体験出来ない楽しい時間を過ごしたようでした。
 また、保存会では現在C56108の保存先を現在地からJR木次駅に移転する運動を行っておりますが、来場された方々よりは「いつ、木次駅に移転するのですか。」と移転運動には皆さんご存知のようでした。やはり野天での展示では腐食も進み早く屋根を付けた形で木次駅前の賑わい作りのシンボルとしてやりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜百選の雲南市の桜まつりを前にして、昨年末より積雪期間の腐食防止のためにシートで覆っていましたが、本日保存会の皆さんとシートを取り外し、合わせて腐食防止の廃油を塗布致しました。当地の桜まつり期間中の3月30日(土)・31日(日)にはC56108の一般公開を致します。運転室(キャブ)への添乗しホイッスルの吹鳴も計画いたしております。

 

 

 

 木次線無煙化後一時浜田機関区へ転区し廃車が決定した後の昭和49年より木次町の皆さんのご協力により現在地に保存展示され約50年が経過しました。その間野天での保存から腐食を防ぐために積雪期間中には全体をシートで覆って耐え忍んで参りました。これまでに2度の解体宣告は奇跡的に耐えてきましたが、これ以上腐食に耐えるのは限界になって来ました。現在保存会では木次線の存続とJR木次駅前の賑わいを取り戻す為に、屋根付きでJR木次駅付近への移転保存活動を行っております。

 

 

 移転運動を開始して早5年を経過しましたが、現在JR木次駅付近の雲南市中心市街地活性化計画の一部として移転を考えて来ましたが、活性化構想事業の計画が中々進んでいないようです。木次線存続と駅前の開発モニュメントとして早く移転保存を完了する事を願っております。

 

 C56108は長年露天での保存が続いております。保存会では12月以降の積雪から車体を守るためにシートを掛けて暫しの冬ごもりに入ります。

 本日(12月7日)保存会の皆さんが天候の合間を見てシートを掛けて暫しの冬ごもりとなりました。来春はさくらの咲く3月忠にシートを外して皆さんの目の届く勇姿をご覧いただけると思います。

 

 

 

 

 

 ついにこの日がやって来てしまいました。26年間に渡って木次線の観光列車として運行していた奥出雲トロッコ列車「おろち」号は令和5年11月23日をもって運行を終了します。
 運行開始当時から牽引(推進)して来たのはラッセル仕様のDE152558でしたが、平成21年秋に故障で突然運行不可能となった時には、DE101161が国鉄色のまま4日間ほどピンチヒッターとして運用に入り、翌年より正式におろち色として"おろち"2頭体制で運行をして来ました。また、DE152558は冬期間中は単線用のラッセルヘッドを付けて木次鉄道部に常駐し、積雪時にはラッセルとして木次線の運行を確保していました。

 

 

 

 

 

 補足として、よく木次線の工臨として入線していたDE101058が令和3年8月4日木次線八川~出雲坂根にて冷却系が故障した「おろち」号の救援列車として回送ではあるが木次まで「おろち」号を重連で回送している。
 26年間の運行を終了する事は大変残念な事ですが、2頭の"おろち“には心より感謝します。

 

 

 

  本日(11月8日・水) C56108保存会として11月23日ラスト・ランを迎える奥出雲トロッコ列車「おろち」号の研修会と称してラスト・ランを秋晴れに恵まれて会員さん20名と共に実施を致しました。

 

 

 

  これまで26年間に渡って木次線を走り続けて来たトロッコ列車のラストランはとても残念です。現在木次線を取り巻く環境は非常に苦しい現状です。観光列車として支えてくれた「おろち」号には感謝でいっぱいです。

 今日集まって下さいましたC56108保存会の方々も最後の思い出として1日を過ごして頂きました。

 

 

 

 沿線も平日でありながら多くの皆さんが線路脇から手を振って送って下さいました。また、遠路お越しになった撮り鉄の方々も沿線に何本の三脚が立っていたのか数え切れないほどでした。