ひみつの嵐ちゃんに出演したはるかぜちゃん(@harukazechan)が大人すぎる まとめ - Togetter
残念ながら私はひみつの嵐ちゃんという番組を見てません。
はるかぜちゃんも動いているところを見たことがありません。
が、ツイッターで浴びせられる罵詈雑言を軽くいなし、かつ的確に反撃する能力の高さに舌を巻きました。(くるくる)
これで小学6年生か、よもまつ…いや素晴らしい人材だな。
はるかぜちゃんが使う
(ω)
が 可愛く思えたら、あら不思議!あなたもはるかぜちゃんのファンです。
ま、この時は「必死だなジャニヲタ」ぐらいの感想でした。
ただ、小学6年生に大人がよってたかって(言葉の)暴力をふるうという光景は見ていて気分の良いものではありませんでした。ゆえにそれを華麗に切り返しているはるかぜちゃんに注目していました。
朝日新聞デジタル:《いじめている君へ》春名風花さん - いじめと君
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120817/07/c0ffeet1me/02/b4/j/t02200352_0800128012139229206.jpg?caw=800)
今日の朝日新聞の1面である。(どん)
「おおごとになってるー!!」
というかきっちりと↑の経験を次の仕事にいかしてるのがすごい。
そこにシビれる!あこがれるゥ!
> ぼくもツイッターでよく死ねとか消えろとかブスとかウザいとか言われます。顔が見えないから体は傷つかないけど、匿名(とくめい)なぶん、言葉のナイフは鋭(するど)いです。
ぼくだけでなく、時には家族を傷つけられることもある。涙が出ないくらい苦しくて、死にたくなる日もあります。
けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、その人たちが何も感じないことを知っている。いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。
僕っ娘かわい(ry…注目点はそこではない。
朝日新聞の「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」という連載は、大津のいじめ問題から連載が始まったもので、とってつけたような安っぽい…(げふんげふん)
まあいじめ問題について芸能人が作文大会する企画のようです。
人選が猫ひろしとか井筒和幸とか姜尚中などと謎だらけですが、最後の最後ではるかぜちゃんを持ってきたのでプラマイゼロですね。
はるかぜちゃんがツイッターでの出来事を新聞の一面にのせ、「いじめ問題」と線引きしたことで現れたのは、
「いじめ」と呼ばれるものは子ども特有のものではなく大人になっても発生している問題である、ということです。
しかも良い年齢の大人(と見られる匿名の人物)が小学6年生を「いじめ」ることすらあり、「いじめ」られた方は
涙が出ないくらい苦しくて、死にたくなる日もある、と全国紙の1面で発言しているのです。
はっきり言えばこの国、狂ってるよね。
いじめ問題の感想で紋切り型になっている「大人になるまで逃げてでも生きろ」というのはある意味で正しいと思います。
学生生活は、「学校」という狭い範囲が生活のすべてになり、極めて近い年齢の人間が多数いる中での人間関係の構築が必要です。大人のなり仕事をはじめれば様々な年齢層の人と関わる必要があるし、雑多な思想が混在しながら一つの会社なりグループを形成することが普通で、折り合いの付け方も洗練されてきます。
そういう意味では大人のなってしまえば、学校を卒業してしまえば、いじめから逃げられるかもしれません。
ただ、その先にもいじめは存在しています。
人が3人集まれば派閥ができます。そして多数派は得てして正義となり、対極を悪として認識し、攻撃することの正当性があると勘違いします。
私たち大人がいじめ問題を考える時に「学生の問題」としてどこか遠いところの出来事として扱うことがあると思います。
ただそれは間違いで、質は変われど「いじめ」は非常に身近にあり、人間が無秩序でいる限り年齢の高低にかかわらず発生するのだ、ということを私ははるかぜちゃんに教わったような気がするしだいです。